2回目の支援物資収集にご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。


差し入れをしていただいた方もいらっしゃいましたし、お手伝いをして下さった方もいらっしゃいました。おかげで、沢山の物資を集めることができました。


スタジアムDJでおなじみの酒井道代さんも、ご家族でいらして、物資を持ち寄ってくださいました。


bayfmさんをはじめ、各報道機関の皆様にも、今回のことを取り上げていただきました。ブログなどで告知していただいた皆様も、本当にありがとうございました。


寄せ書きについても、沢山の皆様の思いを詰め込むことができたと思っております。


 


そして、市原市市民生活部市民活動支援課NPOボランティア支援室代表の中村様には、場所の貸し出し、市原市としての物資提供などをしていただきました。重ねて、御礼申し上げます。


 


皆様から託された思いの詰まった物資ですが、5日の日に、有志の会2名がトラックで仙台市の協力者の方に届けて参りました。


4日深夜に詰め込み作業を行い、5日の4時に市原市を出発。高速道路を利用して約6時間で現地に到着し、仙台市泉区の施設に荷下ろしをしました。今後は、現地の方が行政と協力をしながら、必要に応じて、物資が足りていない施設から中心に物資を届けていってくださいます。


尚、現地の皆様には、本当に丁寧な感謝の言葉をかけてくださいました。この思いが、被災者の方々に届き、少しでも力になれるよう祈っております。


 


 


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ここからは、


物資を届けた帰りに、被災地にトラックを走らせた同志の言葉を、こちらに掲載したいと思います。


 


「現地の方に、『是非被災地のほうを通って帰ってみて下さい。それが現状を知る一番のことだと思います』と声をかけられ、仙台市の沿岸部から南下するルートを使い、千葉まで帰ってきました。荒浜地区、長浜地区、それに名取市などです。


津波が街を襲った爪痕は、想像を絶するものであり、いままで見たことのない惨状でした。言葉にならなかった。それが正直な気持ちです。TVなどで見るように、全てのものを波が奪い去り、道路の脇にはありとあらゆるものがぐちゃぐちゃになっていました。車や船がひっくり返ったまま残されており、潮の香りが海岸から何キロも離れたところまで充満していました。路面も波打っている箇所がたくさんあります。多くの人が、何かを探して歩いています。


自分達が、いかに恵まれた環境のなかにいるかということを痛感させられました。


ガードマンの方に、私は声をかけました。『車が通れるようになるなど、1ヶ月でやっとここまで来ました。ここにある物を整理するためには、1、2年じゃきかないでしょうね』。彼はそう言いました。身元が確認されていないご遺体も、たくさんあるそうです。その腐敗も、始まってしまっているそうです。


私は、この光景を皆様に伝えたい、そう強く思いました。ボランティアは迷惑になるという情報がありますが、いまはそんなことはありません。片付けなど、手伝えることはあります。これからも、被災地に対してできることを続けていきたいと思います」