苦しくて息が詰まる
水の中でも呼吸ができる魚は偉大だ。
そんな事をぼんやり考えながらパサついたパンを齧った。水分がなくては飲みこむのも大変であるが贅沢はいってられない。
一般兵の給料は雀の涙である。現在行っている任務も合わせて豪華な食事なんてできるはずはない。
名前を呼ばれて慌ててパンを押し込む様に口に詰め込む。水を流し込んでようやく一息つき返事をした。
どうやら本日の任務は終わりのようだ。
ふぅ、と肩から銃を降ろし所定の場所に仕舞いこむ。制服のまま外に出れば既に日が落ち、オーロラ色の光化学スモッグが空を彩っていた。
寒いがあいにくコートは持っていない。ネックウォーマーを鼻上まで上げて走り出した。
今日の帰る場所には待つ人がいる。
その人物を思い出すと自然に笑みがこぼれてしまう。
好きだった人と思いが通じるのはこんなにも嬉しい事だったのだ。
インターフォンを2回押す。
相手を確認もせずに開いた扉と出迎えてくれた人物に胸が高まった。
「おかえり、クラウド。」
太陽のように笑うザックスがいた。
「た、ただいま。」
ぱっと視線を逸らす。小さな声で挨拶を返すのがやっとだった。
「寒かっただろ?飯は?」
そんなクラウドの態度にも気にすることもせずに問う声はいつも通りだ。
ドッドッと高鳴る心臓を抑える様にザックスの背中を追う。
「食べたといえば…」
再びカラカラに乾いている咥内に酸素を取り込みなんとか返事を返す。上手く、息が出来ない。
「どうせあのクソまずいチーズサンドだろ?スープあるから食べろよ。あと、着替え風呂場にあるから。」
「うん。」
もう何度か訪れているはずなのに部屋に入るたびに緊張してしまう。バスルームの場所だって、寝室だって、クローゼットだってわかるのにそれでも未だ身体は固まったままだ。
こんなに温かい空気に包まれているのにも関わらず。
そのままバスルームに向かい、制服を脱いで楽な格好に着替える。
ふわ、と香るザックスと同じ匂いになんとも言えない感情が湧き上がってくる。
一緒に暮らしているわけではないから服はまだ少ないけど、二つ並んだ歯ブラシやよく肌荒れを起こすクラウドのための化粧水等を見る度にクラウドの心臓はざわりと落ち着かなくなるのだ。
「すきだ。」
声にならない音量で呟いて頭を抱えた。鏡に映った自分の顔は真っ赤だった。
はく、はく
陸にあがった金魚のように口を開ける。
意識をして空気を取り込まなければならない。そうでなければ酸欠でどうにかなってしまいそうだ。
頬が赤いのは外が寒かったことにしよう。それで誤魔化せる。もういちど、服の香りを吸い込んでからリビングへ戻った。
「ほれ、食べろよ。」
目の前に置かれたスープに口をつける。
「いただきます。」
「どーぞ。」
無言で食べるクラウドにザックスが話しかけるのはいつもの事だった。
それは付き合う前からずっと同じことだった。
けれど、最近は前以上にどうザックスに返事をしていいのかわからなくなっていた。
彼は最初クラウドを友達と言った。
その後、恋人になった。
クラウドは友達の途中から自分の気持ちに気づいていた。気づきながらこの思いを口にすることはないと知っていた。それが相手も同じ気持ちであったと言われた時は本当に、騙されているのではないかと思った。
同性同士というものもあったし、自分のどこが好きなのかまったくわからなかった。比べるのもおこがましい、それほどまでザックスは魅力的な人物であったのだ。
はふ、はふ
息を吹きかけながら大きな野菜を口に含む。
「クラウドは今日なんかあったか?」
「・・・別に、普通。」
なんというつまらない答えだろうか。言ってから後悔することなんていつもだけれどザックスのように面白い話題を振ることもできない。
それでもザックスはクラウドに嫌な顔をすることもせずに話を続ける。
ザックスは、ずっと変わらなかった。友達の時も今も。
自分だけがこんなにどきどきして、息が出来ないでいる。
自分だけが溢れすぎる好きを消化できないでいる。
そこまで考えてはっとした。
もしかしてザックスはそこまでクラウドが好きではないのではないだろうか。
そう思うととても居た堪れなくなった。
自分に自信などない。全くほどないと言ってもいい。特に恋愛面ならなおさらだ。
経験もなければ、勿論駆け引きもできない。
興味本位で付き合ってみたが全く面白くなかったから別れたと言っていた同僚がいた。
思わず、ザックスを凝視していた。
「ん?どうしたクラウド?」
「あ、いや…。」
そう考えたら、ヒヤリと喉から心臓に氷を落された気分になった。
先ほどまで美味しく温かかったスープの味がいつの間にかしなくなってしまった。
「御馳走様でした。」
唸る様に呟いた言葉だったが「はいはい、御粗末様でした。」と返ってきた明るい声に救われた。
自分が言葉を発するたびに返される言葉に救われている。
はく、はく
地上の酸素は充分足りているはずなのに、自分は水中の魚ではないのにとっても息苦しい。
少し、息ができるところまで離れよう。
「なんでそんな端っこにいるんだ?」
「気にしないでくれ。」
ソファーに座るザックスと、ラグの端っこに膝をかかえるクラウドの姿。
ドクドク血潮を運ぶ働きものは変わらぬ速さで運転している。薄かった空気も少しだけ、ほんの少しだけ呼吸がしやすくなった気がした。そう思わないと平常心を保てなかった。
ぐるぐる回る考えをすべて閉じ込める。
目を閉じて膝に頭を落す。
例え、ザックスが自分と同じ感情ではなかったとしても、
考えてじわりと苦い物が込み上げてくるが息を飲んで押し込んだ。
それでも持て余すほど育ったこの感情だけは真実だ。ただ、それだけだ。
「なに考えてんだよ。」
耳元で聞こえた声に驚いたように顔をあげる。ついで、ガッという後頭部に鈍い衝撃。
「っ…」
顎を抑えてのけぞるザックスと頭を押さえて首だけで後ろを向くクラウド。
いつの間にか後ろに回っていたザックスの顎に急に頭をあげたクラウドの後頭部がクリーンヒットした図である。
復活が早かったのはザックスだった。大きな手が後ろから伸びてクラウドの首を撫でる。
嫌悪感ではなく立つ鳥肌と運動を早める鼓動。
「、」
息を飲んだのが喉仏の動きでわかってしまうだろう。
「クラウドくんが離れるから来ちゃた。」
悪戯が成功したような顔でザックスは告げて、そのまま怪しく唇が笑みを描く。
首に添えられた手が上を向かせたと思ったらそのまま唇をふさがれた。
硬直する身体、そして一瞬後には爆発したように心臓が悲鳴を上げた。
思わず逃げようとするクラウドをそれより大きな身体と手が抑え込む。
「むぅ」
二度目のキスに色気のない悲鳴をあげながらクラウドは思った。ザックスの睫が長い。と。
舌は入れられなかった。単純にクラウドが歯を食いしばっていたからだ。
それでも唇がくっついている時間は長かった。
離れた時にクラウドが慌てて空気を吸うぐらいには長かった。
はく、はく
陸にあがった魚のようだ。顔が熱い、血が沸騰しているようだ。
苦しい、息ができない、どうすればいいのかわからない。
吸って、吐いて、ついでに溢れ出た想いも一緒に吐き出した。
「すきだ」
一度じゃたりない、
「すき、」
「すき、ザックス」
少し呼吸が楽になったと思ったら再び唇をふさがれる。
「俺も、クラウド。大好きだ。」
キスの合間に囁かれたその言葉に答える様に何度目かの好きを吐き出した。
少しだけ、息が楽になった。