クマシエル
【小話】紳士のメタモルフォーゼ
2017/12/16 11:21
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 あの時━━
幼稚園児の息子・康政に何故父親がお爺ちゃんなのかを尋ねられた美代子は、咄嗟にこんな言い訳をした事を死ぬまで悔やむはめになるのだ。
「多分ね、先にうんと頑張って立派なお医者さんにならなきゃ駄目だったから結婚出来なかったのかしらね。でもそれでお母さんはお父さんのお嫁さんになれたのですよ」
息子は幼稚園でお爺ちゃん先生の子供とからかわれ続けてそんな事を訊いたらしい。
だが本当は美代子もまだその頃は理由は知らない事だった。
まだその頃は…


 康政は今では両親共無くして、有名無実に近い鬼嫁だけが家族だが、本当はもっと母は長生きすると思っていたのだった。
そりゃ父が亡くなってからもう20年は経つのだから母だって亡くなってもおかしくないと思うかもしれない。
だが、いきなりある朝亡くなっていた時、母はまだ63歳だったのだ。
やはりちょっと早い方ではないだろうか。
若い人なら63歳はお婆さんに感じるかもしれないが、康政の母はその歳になっても何故だか少女めいているように康政には見えていたのだ。
それはきっと年寄りの父とまだ16歳の時に結婚したからかもしれない。
いつも少女の立場だったせいで大人びるチャンスをとうとう失ってしまったのではないだろうか?
 対する父親という人は、康政の記憶では最初からお爺さんだった印象しかない。
康政が5歳の時にもとにかくどうにも年寄り臭くて、後で考えたら母が嫁いだ16の時に確か51歳だったそうだから、母25歳の子の彼が5歳なら母より35歳も上の父はその時もう65歳にもなっていたのだから間違いなく年寄りでいいはずだ。
 そんな異常な両親の記憶が康政に普通の人生を歩みたいと思わせたように思う。
康政は医者を目指さなかった。
企業相手の事務用品メーカーに大学を卒業してすぐ就職し、今もそのままそこで働く。
 しかしそうも普通を望む康政が、母が生きている内はまるで結婚しようとしなかったのは何故なのか?
予想はついたかもしれないが、それこそが母が居たからなのである。
康政の家には少女めいた女主人が君臨する。
これが康政にとっての普通だった。
最初からお爺ちゃん(にしか思えない)と大人げない母が、彼にとっての“普通”の家族だったから、お爺ちゃんは早くに亡くなっても母がいれば普通だったので、新しい家族が必要とは思わないできたのである。
母も変化は望まなかったから。
それが母があっけなく亡くなった事で、彼はやっと新しい家族を作る気持ちになったという訳だった。
で、来たのが鬼嫁な訳だが、優しい女性ではなかったにしても、母のように子供っぽくないところは彼の好みに合っていた。


最近、康政はずっと避けてきた『不思議の国のアリス』のアリスのフィギュアを普通よりも小さいものだからと自分を納得させて、とうとうゲーセンで獲ってきてしまった。
だが、箱を明けて組み立てる勇気は無く、書斎の机の1番奥に自分の目に入らないようにしまったままになっている。
けれど実はそれがここにある事それだけなのに、彼にとっては本当に大切な事なのだ。
彼のアリス(母)は箱にしまったまま、何も損なわれないようにしまってある、それで彼は深い安心を得ているのである。
 もし彼が気づく事があれば恐らく嫌悪したろうが、それは彼の父親が母と結婚してから何年も母と同衾(ドウキン)せずにいた事と同じ理由だ。
父親は損なわれていない少女の母を愛でた。
そして大人の女に見えるようになってから関係を変えたのである。


 康政の母になってから美代子は夫を『お父さん』と呼ぶようになった。
それを夫は嫌がらずむしろ喜んでいるようだったので子煩悩な人だと思っていたが、康政を妊娠したと分かった後は1度も夫婦の営みがなかったのを思うにつけ、年々違うのだろうと思うようになった。
歳のせいではなく、きっと…
 それ以上ははっきりさせたくなかった。
だから息子には最期まで、ひたすら立派な人だったと語り続けたのである。


 けれど、康政は確かに父と母の半分ずつを受け継いだかもしれないが、鬼嫁との結婚で今の自分になったと思っている。
父のように立派でも、母のように無邪気でも無いが、こうして普通に生きている。
中身がどうでも外で普通に振る舞えたら何も問題無いと思う。
そんな考え方がそもそも父親譲りなのだが、康政は決して認めようとはしないだろう。
康政は父親よりも正常であると信じたいのだ!
           了



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