コウ様、とその時のロクスはいつになく優しい声で俺を呼んだ。だからどうしたんだろうと振り向いたら。
「……」
ロクスの唇が、俺の唇に。
「…コウ様」
重なって、離れてまた重なった。頭の中が真っ白になる。ろく、す? え? これ? は、なに? 状況が飲み込めなくて。
「…コウ様」
舌が絡まって息が出来なくなる。
苦しいよ、ロクス。どうしたの、急に。
立てなくなった俺の体をロクスが支えてくれた。抱き締めてくれた。…ロクスのキスは、少し冷たいんだ。舌は、人間と同じみたいで。
「…コウ様、愛しています」
「…え、あ」
間抜けな声が出た。ロクス、何を、言って?
「愛しています、コウ様」
ロクスは頬に口付ける。額にも瞼にも。背中にてを回して抱き寄せて囁く。何度も。何度でも。
「愛しています」
と。
ろく、す? ほんと、に? 震えて声が出ない。なぁ、これ、夢じゃないんだよな?
「…ろ……」
本当に。お前が。俺を?
「…ろく……」
はい、と笑う。
ロクス。ロクス。俺のからくり。俺だけのからくり。
「…ろくす、ろくす…!」
なぁ、忘れたのかと思った。あのハロウィンの夜のこと。ロクス、覚えてるか? あのときは。
「…コウ様…」
「…ん」
唇が重なって舌が絡まる。今度はゆっくりと優しいキス。だから俺も背中に手を回して。
抱き締めた。強く強く。ろくす。俺の、からくり。ずっとずっと待ってた。俺と話してくれるからくり。
「…愛しています、コウ様」
「…うん…うん……」
抱き締めて、冷たい肌に頬を寄せて。これが、お前の温もりだから。これがお前だから。
「…ろくす、すきだ……あいしてる」
「…はい」
*****
ロクス、と呼ばれて振り向くと、功至が自分の頬に触れていた。暑い、と言う唇は少し乾いていて、額には粒の汗が滲む。
ああ、いけませんね、脱水症状になってしまいます。
そう言おうとしたが、功至の指先が自分の唇に触れた。ロクス、なぁ。功至の顔が近付いてきて、瞬間止まる。
吐息がかかる程の距離で。功至の顔が近く、けれど触れずに終わってしまった。額から頬横を伝う汗を、ハンカチで拭く。
「…いけません、扇風機をつけましょう」
クーラーは、功至が少し嫌がっていた。何故かは分からない。小さい頃にクーラーがキンキンに冷えた部屋に居たからだ、とか。
功至の幼い頃について、自分が知るのは本当に少しだけだ。祖父と暮らしていた事、からくり技術についてはその時に教えて貰ったこと。そして、祖父が居なくなってからはずっとここの屋敷に住んでいること。
『ロクス』
コウ様。扇風機の風に髪が揺れている。少し長くなって、伸びてしまい。
そろそろ切らないといけませんね。
『ロクス』
なぁ、と功至は笑う。其れはいつかのあの一夜を思い出す様な眼差しで。
「………」
何故でしょうか。ロクスの記憶素子に、あの夜の記憶は曖昧にしか記録されていない。あの時は人間だった。能力も使えず、不便だった。機械人形として足りず。
けれど、その時の不可思議な、分解出来ないノイズが、今の自分には残っているとロクスは感じている。
ノイズ。
そう言ったらきっと功至は悲しむのだろう。
何となく、そんな予感がした。
機械にしてみれば分析出来ない其れはノイズに近い。どんな風に反応するのか、さっぱりだ。
「…ロクス、手…」
「はい」
ひんやりとした機械人形の手を、功至は好んでくれる。
寧ろ、此れが良いと言ってくれる。
ロクス。
俺のロクス。
機械人形として、誰かにちゃんと所有されることもまた、ロクスには嬉しいのだと、口には出来ていないけれど。