ロゼ・ロクスは町を目指して歩いている。荒川城塞から暫く歩き、景色も随分と変わってきた。だが、同時に雨はしとしとと強さを増してゆくようだ。
しかも風が強くなってきた。服が風に煽られて騒がしい。ひとの肌と同じではないが類似の肌に服が張り付く。ひとであれば、その感覚を気持ち悪いというのかもしれないが、機械人形であるロクスには其れが分からない。なので構わずに進む。
―――先程教えてもらった「駅」はこの辺りだ。
住宅街から商業施設も増え、人の行き来が多くなってきた。花屋や服屋は軒先に出していた商品を慌ててしまう。
空は見えないが、仕事帰りと思われるひとが散見される。
あちらの方角だろうか。ロクスは歩く。
ひとの流れに逆らって歩く。
ふと通り過ぎるひとが此方を見てくるのは、雨に濡れているからだろうか。
慌てて排熱で体温を上げ、無理やり衣服を乾燥させた。
「…入り口でしょうか」
文字はまだ読めないが、恐らくここが駅、と呼ばれる場所だ。ひとがたくさん出入りをするゲートもある。急ぎ足で駅の屋根の下へ入ると、漸く風景の一部になった気がした。毛髪の水滴も排熱で何とかしながら、ロクスはふとゲートを見る。
ゲートには何か通行証が必要なのだろうか。
きょろきょろと辺りを見回してみると、数名のひとが何かゲート近くの機械に近寄って紙幣や硬貨を入れている。
代わりに小さな紙切れが出てくる。其れを手にした人々が次々にゲートを通過する。
ひとに寄っては機械に紙幣を投入せず、何か別のもので通過しているが、理屈は不明だ。
だが、あれだ。ああ、あそこに行けば、と思うのに足が上手く動かない。
何故。
ぎしりと歪んだ音をたてる関節。体重移動の途中で身体が傾ぐ。其れでも、動けない。
―――こんな所で、長距離移動の、つけが。
誰か、と思うものの機械人形のメンテナンスが出来るひとなどこの地域に居るのだろうか。
どうしたら。今、こんな所で止まる訳にはいかないのに。
「…あ…」
困った。足がキシキシと変な音をたてている。
ロクスがどうしようもなく、何も言えずに居る、と。
「……どうし、ましたか」
ひとの声だ。
振り返ると金色の髪をした、褐色肌の青年がいた。
やや制帽を目深にかぶり、背丈はロクスより僅かに下。
同じ制服のひとがあちらこちらに居るところを見ると、ここの管理人だろうか。
―――さて、何と言うべきなのか。
迷っていると、腕が、外れた。
「!」
「…え」
腕まで壊れていたのか。感知出来なかった我が身を猛省しながらも、表情は変わらず。
慌てて能力で腕を浮遊させるが。起きてしまった事実はどうしようもない。
落ちてしまったのだ、違和感の無い様になんとなく接合させても直ぐにまた外れてしまうだろう。
「…あ、あ、の」
目の前の青年は少し帽子を上げて、此方を見るとじっと何かを確かめる様な視線を寄越した。
そして、彼は言う。
「…ご不調ですか」
その言葉は此方を気遣うもの。
てっきり驚愕なり畏怖なり遠巻きにされるかと思ったのだが、どうやらこの青年は違うらしい。
視線はロクスの身体を確かめている様で、だが言葉ははっきりと。
制服の袖が揺れ、白い手袋が駅の向こうを示した。
「雨も酷いですし、宜しければ奥で休んだら、…えと、休まれたらいかがでしょうか」
言い直した。少しの咳払い。
待合室という休憩所があるんです、と続く台詞にロクスは言語神経をフル回転。
―――優しい言葉です。
平易、と言い換える。このほしの言語初心者であるロクスにも充分通じる速度と発音だ。一瞬、安堵の溜め息が漏れた。
「あ…」
このひとは此方が機械人形だと気付いたのだろうか。
ひとまず、機械人形に対して理解のあるひとが居てくれただけでも幸運である。下手なほしや国であれば、偶像崇拝なり宗教的な理由、人種差別の一端などで機械人形の権利はそこらへんの家電と変わらない扱いを受ける場合だってあるのだ。
だから、先ずは有難い。
落ちた腕をちらりと見てから奥での休息を薦めてくれた。ロクスはぺこりと頭を下げる。
これ以上目立たない様になるのは良いことだ。
「ありがとう、ござ…ます」
噛んでしまった。というより発声器官が上手く作用していない可能性もある。これもメンテナンスが必要だが、セルフチェックだけは背景処理で走らせておこう。
案内します、とそのひとはロクスの手をとった。手袋越しに、ひとの温もり。
「こちらです」
立てますかと声をかけられ、様子を見守ってくれているのだと分かる。
あったかい。
先程の発熱は指先にまでは届いていない。
ひんやりした手にひとの体温が手袋越しに伝わってくる。機械の肌では持てない熱。
本当の熱だ。
昔―――マスターも手を引いてくれましたね、小さな手でした。大きくなってからは、あまりありませんでしたが、機械が、ひとの手によって導かれる瞬間は、そう。
『ときめくなよ? 俺様に』
偽物の、偽りの鼓動が、不思議と早くなりそうです。
ひとはいつも、私たちに新しい感覚を与えてくれるのですね。
「申し訳、ありませ、ん…少しゆっくりと…歩きます」
制服の青年が導く先へ歩を進める。
「構いません」
安定しない身体が何とも口惜しい。何度となくふらつく身体を、青年は支えてくれた。倒れてしまわぬ様に、此方の体重を受け止めつつ、一緒に奥へと歩いて行く。
待合室への途中。一瞬だけ、身体が大きく傾いだ。
「! …っ、掴まっててください」
慌てて支えられ、今度はゆっくりと歩いた。
そんな大した距離ではないのに、足から聞こえる妙な音のせいで青年は要所要所で気遣ってくれる。
とことこと此方の歩調に合わせてくれるのはとても有難い。
―――ですが、私はひとのお世話をする為の存在。其れが逆に、ひとの世話になるとは。
機械人形の責務が果たせない。其れは屈辱にも等しい。
然し其れを口にしてしまえば、このひとの思いにけちをつけてしまう。
駄目だ。今、言うべきは。
「…申し訳、ありません…」
いいえ、とひとは答える。
また外れそうな腕をちゃんと捕まえておかなければ。漸く、待合室だ。
「こちらへ」
待合室の奥の方。気分が優れないお客様のために、と書かれた説明プレートを過ぎると、簡易ベッドを広げるスペースがある。
周りへ声かけをした青年は、いったんロクスを椅子に座らせたあと、簡易ベッドを組み立てた。
不慣れなのか。
初めてなのかも知れない。説明書きを見ながら、完成させたベッドを確かめている。
座っていたロクスをベッドへ誘導してから。
「ひとまず、横に。…ええと。気分…いや、他に不調な箇所はありますか」
とりあえずひとの様に言われた通り横になる。
それでも気分ではなく不調という言葉を使って話をするので、もしかすると。
ロクスは慎重に言葉を選ぶ。間違っていたりしたら大変だ。
此処まで面倒を見てくれたひとに、侮蔑や恐懼の表情はさせたくない。丁寧に。発音はゆっくりと。
「…貴方、は…私のことが、分かる…のですか」
私を―――ひとでは無い、と。
青年はその言葉を聞くなり、しゃがみ込むと、ロクスに視線を合わせた。
其れは相手の顔を見ながら話すことで相手との距離を近づける心理的動作だ。幼い子どもによくやる動作として、ロクスの中にもプログラミングされている。且つ、視線を少し対象よりも下にすることで、威圧感なども和らげることが出来る。
小さく青年は頷いた様だ。
「腕が外れたから…」
確かにひとは腕が急に外れたりはしない。
あとは、と続けて。
「…雰囲気、が。どこか違うな、と思いましたので」
言ってから苦笑とも微笑ともつかぬ、表情を浮かべた。
帽子の鍔がまた一つ深くなる。
「気を悪くされたなら、…すみません」
ちきききき。ロクスの目は機械の瞳だ。
覗き込まれた先にひとの顔があった。
何故か謝って視線をそらすひとに、いいえ、と今度はロクスが答える。
「…謝る必要はありません、貴方は、私を助けてくれました。…そして、貴方は、貴方の職務は、宜しいのですか?」
ひとにはひとの職務というものがある。
仕事に就いている人間であれば尚更だ。その役職によっては、そのひとが不在だと仕事が成り立たない場合だってある。
ほしと環境は違えども、ひとという社会が形成されているのであれば其れは恐らく同じこと。
自分という機械人形一体のために、このひとの仕事を奪ってはいけない。
「これも仕事」
だから大丈夫です。
ロクスの考えに、青年は問題ないと答えた。
駅に勤める駅員という職種は、駅へやってきた様々なひとへ対応する仕事だという。
駅というのは電車という乗り物が停車する場所だとも聞いた。つまり、宇宙ステーションや地上のユニレールの様なものだ。
「そうですか…」
「腕の方、今は大丈夫ですか。…また外れそうなら、良ければ見せてください。少し…その、慣れて、ますので」
では少しの時間をもらっても問題無さそうだと思った矢先。かけられた言葉は意外なもの。
ロクスは少なからず驚いている。
「貴方は」
分かるのですか。
外れやすくなってしまった腕を、メンテナンスして貰えるならば嬉しい。
ですが。
―――本当に、貴方はそうなのですか。
機械人形である此の身体を触ることの出来るひと。期待と、僅かな不安で思考を揺らしながらもロクスは頭を軽く下げた。
「お願い…出来ますか、私の、身体を」
ききき、き。身体のあちこちが軋む。
「完全に直せるわけじゃねー…です、けど。それでいいなら」
そう言った瞬間、青年の表情が変わった気がする。
先程のおどおどした様子から、力を持った眼差しへ、そして言葉にも変化が。
ちゃんとやりますから、という意志が伝わってくる。
「少し離れます。他の駅員に、言伝するので」
言って、暫くして戻ってきた青年の手には工具箱らしきものがあった。
小さな箱の中には同じ形で大小が異なる工具が所狭しと並べられている。中にはロクスがメンテナンスの際に見たものもあり、どうやら此処もほしも手道具というのは変わらないものらしい。
そして工具類の共通もそうだが、何よりも。
「素晴らしい…」
思わず声に出た。
ロクスの目にもその工具類は使い込まれていて慣れたものだとよく分かる。
本当に、このひとは好きなのだ機械が。ならば安心出来る。
「…お願いします」
『人間にゃあ気をつけろよお前馬鹿だからな』
大丈夫ですマスター。このひとなら、私の身を任せても。
「では腕から」
失礼、と声をかけて先ほど外れた腕を診る青年。
外した腕をじっくり見た後、関節部を構成するパーツを外しては汚れを拭き、また嵌めてゆく。
―――本当に、慣れた手付きです。
簡単だが丁寧な手捌きに母星の整備士を思い出す。
十年も稼働してるたぁお前さんの主はよっぽどお前を大切にしてきたんだな。
そんなことを言われた。あれは今の目の前の青年よりも年嵩の男性ではあったが、触れてくる手指の動きや感触が全く同じだ。
然し。
よく蹴られましたがあれも大切という意味なのでしょうか。
「……」
黙々と作業をするひとを見ていてそんなことを考える。
かちゃかちゃと金具やシリンダーが揺れる音が響く。時折地面や部屋が揺れるのは電車という乗り物が動いているからだろう。
かつ、と関節や腕が嵌っていく。
一つ一つが元に戻っていく感覚が懐かしい。
「腕は、こんな感じでどうだ」
先程の言葉とは違う言葉が聞こえた。
うまく嵌め込んだと思うのだが、どうだろうかという意味だ。
心なしか雰囲気も異なっていてマスターも研究に没頭すると―――ああいやあのひとはいつも通りでした、機嫌が悪いと足が出るのも変わりませんでしたね。
「他は…服を脱がない程度で、不調なところは」
言われ、視線を戻す。
き、ききき。
腕をゆっくり動かしてみるとかなり調子が良くなっていた。
変な軋みもなく、滑らかな作動だ。
何度か膝や腕を曲げてみるが以前通りに、思った通りに動かすことが出来る。其れは、彼の腕が何よりだったという事だ。
母星の技術士と遜色ない。
「申し分ない…素晴らしい、修正です。ありがとうございます」
他はと問われたが足故に服を脱がねばなるまい。それは彼の言葉に背いてしまう。
質問に答えられなかった自分を見て、青年は一度首を回した。
あーと力なく声が出て、首の音が鳴った。
どうしようかといった様子の青年は暫く考え込んだ後。
もしも、だ。
「……できる範囲で、の前提はあるが。うちに来て、…その、同じように直してや…りましょうか?」
―――バレてしまいましたか。
問われて答えなかった以上、隠し通せるつもりもなかったが、相手には未だ不調があるということが伝わっている。
どうするべきか正直な所迷っていた。
機械人形が自分で自分を修理出来る範囲は限られている。
だから。もしも。
「もし、貴方が…」
良ければ。
その申し出はロクスにとっても良い話だ。
「…ご迷惑でなければ…」
私は、もう少し貴方に身体を任せたいと。そう言った。
「………」
何故か青年は黙ってしまった。
うんうんと勝手に頷いているがもしや発音やイントネーションなどの細かいミスがあったのだろうか。若しくは単語不十分?
ロクスが内心慌てるのを余所に、青年は手を差し出した。
「まあ、これも何かの縁だろうし」
続きは家ですることになるから、仕事が終わるまで待っててもらうことになる。
勿論其れにロクスは同意した。待つことは機械人形の得意技だ。マスターが起きるまで、または帰ってくるまで。じっとしているのが人形らしい機能。
然し、何故だから早々に青年は戻ってきた。どうやら同僚から早退していいぞと言われてしまったらしい。後頭部をぽりぽりとかきつつ。
「…うち、来るか?」
ロクスは頭を下げ、お願いしますと言った。
「ロゼ・ロクスと申します。…この度は、不束か者ではございますが、何卒宜しくお願い致します」
顔を上げると何だか相手は眉を寄せていた。
言葉が足りなかっただろうか、悪い気にさせただろうか。
ロクスは未だ未だ経験が足りなかった。そんな嫁入り前の娘が言う様な台詞、一体誰が人形から聞くと思うだろうか。
丁寧であるが故に違う意味となってしまう。
そうした機微を学ぶには、ロクスは未だ、この青年のことをよく知らない。
「雪代功至、だ」
青年も名を名乗った。―――少し難しい発音だと思います。
「あー…まあ、あんま期待するなよ」
脚、歩き辛いなら言ってくれ、と。
またあの温もりに触れることが出来るのか、いえ私は機械人形なのですから。はいこのメモリーは消去しましょう。
―――? 何か寸断がありました。ね。
ロクスは気にしないことにした。
多少の雨でメモリーに異常でも生じているのだろうか、其処までいくと対処しようが無いだけに、そうでないことを祈る。
祈る、とは何とも機械人形らしくない言葉だと。
ロクスはそう思う。
「ゆきしろ、こうじ様…かしこまりました。ユキシロ様」
とりあえず歩けますので大丈夫です。ロクスはコウの後ろについて行く。
思えば、ひとと共に歩くのがなんだか久方ぶりだ。