どうも、こんばんは。こんな時間に失礼します。
更新が滞りがちですが、忙しいわけではありません。
怠惰?いや、寧ろ何をしていいかわからない、という感じです。就職活動もあるのですが、卒業論文もあるのですが、何だかそれに集中できないというか。
それで遊びと学びになるみたいな。無意味なり。はは。

まあ、そんなことはどうでもいいのです。私のことなんて。
さて、レビューです。時間が経ってしまったのであれなのですけれどね。



共喰い。田中慎弥です。
先の記事にも書きましたが、これは円城の作品と対比的な評価です。正直なところ。なのでこれをお読みの方は面白く読める記事になると思います(謎の自己言及)。
さて。
この作品の眼目はおそらく、父子の特に性的な側面の遺伝と、因縁ですかね。この類型は実は色々な作品があるのですが、まあいいでしょう。中上建次とか?それをこの作品のような結末に持っていく、というのはまあ新奇といえば新奇なのかな。
しかし。
これ、別に面白いところなくないですか?
文学的な達成もあるのですか?
よく解りません。他の因縁みたいな関係を主とした作品ならば、心情に割かれる文章が必然的に多くなります。あるいは、それを感じさせなくてはならない。だって、因縁なのだから。それは葛藤を主として描かれます。それは、私小説の類型に含まれる作品のいくつかを参照すれば事足りるでしょう。しかし、それがこれにはない。
寧ろ、この作品の主人公は「ヤリたい盛りの少年」でしかないように思えるのです。何ら葛藤などなく、不安の表象もほとんどない。父親嫌いのただの子供にしか思えません。父親嫌いが父親に回収される、それくらいしか父子の因縁を感じない。全く文学的だといえる要素がない。青年期ならば、それに、葛藤に類する物語を語るならば、もっと語らなくてはならないものが多い。語られないから、私にはその辺にいる馬鹿な高校生にしか思えませんでした。全く深みがない。足りない。
だから、石原慎太郎は受賞に猛反対したように私は思っています。彼の時代の、いや彼の文学から照らして本作は失格です。足りないどころではない。及第点ですらない。これで受賞委員が変ったことは、私には日本文学の斜陽を感じさせます。
寧ろ、まだここで賞を与えるべきではなかったのでは?と思います。恐らく、田中慎弥の文体は心情をあまり書かないし、想起もさせない。文体と内容が一致していない。これが結論かもしれません。

あと、付言しますが。
この文庫に書かれている瀬戸内寂聴さんとの対談。『源氏物語』に関する解釈が一部書かれていますが、あまりに誤解に満ちている。恣意的な解釈です。研究者でないから、求めるべきものではないのかもしれませんが、公の場での発言でそのようなことを言ってしまうのはいただけない。父子関係に執着するのはいいのですが、それは視野を狭くします。作家としての耐用年数が減るのでは?などと。

以上です。
それでは、また。