「あれ、こんなん有ったっけ?」

 部屋の片隅に置かれた見慣れぬ物を指差すと、浜田は冷蔵庫に頭をつっこんだまま応えた。

「有ったよ。出してなかっただけで」

 うわ何もねーや、とうめいた浜田は渋い顔をして扉をしめた。そして腹をゆるゆるとなでて肩を落とす。テスト期間中の、ぽかんと暇な休日の真っ昼間。腹を空かせた青年二人を賄う余力が、この部屋の冷蔵庫にはなかったらしい。
 浜田はくたびれた財布を覗き込んで、給料日前だしなぁと呟いて、逡巡した末にあきらめて畳にごろりと寝転がった。
 いやお前、いくら給料日前だからって何か食わなきゃ死ぬだろ。思ったが、口に出したところで不毛なので呑み込んだ。

 部屋の隅の見慣れぬ物は、特にその存在を主張することもなく当たり前のように周囲に馴染んでいた。
 所々に錆の浮いた銀色の、ぼってりと重たげな古びたアイロン。コードは短く折り畳まれ、輪ゴムでくくられている。

「そんなんいつ使うんだ?」
「ハチマキとか横断幕とか、すぐ皺になっちまうからさぁ」

 寝転がったままそう言った浜田に、俺はわずかばかりの驚きと尊敬の眼差しを送った。
 そうか、そうだよな。俺んちでは母親が当然のように請け負ってくれるその細やかな仕事を、コイツは自分でしなきゃなんないんだよな。
 そう言えばコイツのハチマキはいつもいつでもパリッと糊が効いている。それは試合当日も、ただの練習の時も変わらない。その事実に気付いてしまうと、今まで取り立てて気にとめることもなかったその些細な風景が、突然いじらしく大切なものに思えた。
 出会ったばかりの頃の浜田はシャツだってズボンだって寄れて弱ってしまっていた。それは服装に無頓着なたちだったというのではなく、そこまで気を回すほどの余裕がなかったからだ。
 そんな浜田が、押し入れの奥だかどこだかにしまいこんだ家電製品を引っ張り出して、毎日せっせとアイロンがけをしている。

「……俺が奢ってやろうか」
「へっ?」
「でも出来合いのもんはイヤだ。お前が何か作んなら、食材費くらいは出してもいい」
「あ、う、うん、作る!何でも作る!」

 何でもってほどレパートリーねぇだろ、と突っ込んだが浮かれた浜田には届かなかったらしい。
 浜田は変わってきている。決して劇的な変化じゃないが、着実に、少しずつ。汚れた薄皮を、一枚一枚脱ぎ捨てるように。
 あるいは本来の姿に戻りつつあるだけなのかもしれない。ひねくれてしまった道筋が、自然な形にかえろうとしているのかもしれない。俺や梅原の知らない浜田、疑うことなく夢を見ていた浜田に。

「梶、早く!」

 せかす浜田に続いて、俺も靴をはいて外へ出た。扉を閉める前に、振り向いて見慣れたはずの部屋を眺めた。
 日に焼けた畳、小さなテーブル、ハンガーに通されて壁に掛けられた学ラン。
 そして片隅の古ぼけた銀色。
 はじめて見るような心地がした。


(……そうか、)


 ここはこんなにも、すこやかな場所だったんだな。




***
浜ちゃんの栄養バランスを気遣う梶。




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