社会学をまなんでいるんだけど「資本としての家族」が興味深い。
文化的不平等や社会格差、教育資本からも分かるように家族という行為は資本になり得る。
それこそが私の言う「生産性」に近いのかも知れない

家族生活に関わる行為が投資的行為に置き換えられるとするならば私に投資されたものは限りなく少ないと言わざるを得ないと思う。
本当に最低限のものしか付与されていない。怒号と憎しみと不安に満ちた子供時代だった。というかそもそも一緒にいる時間自体が殆ど無かった、?

家族の資本は継続的に与えられるものだろうか?継続しないものなら今これからの「家族」の価値とはなんなのか。
子が親に投資する意味はなんだ?どのような原理が働いている?