ほしのこえ -The voices of a distant star-  17





《阿部》










【2056年 3月】




寮のドアの鍵を開けて部屋に入る。
もうすぐ寮は引き払うので、部屋の荷物は実家に送りほとんど残っていない。
下駄箱の横に積み上げた雑誌もそろそろゴミに出さなくてはと視線を落とす。
『宇宙技術論』にはトレーサーの技術開発の特集が組まれていた。

第3次タルシアンプロジェクトから10年。
その間に、格段に宇宙開発の技術は進歩した。
太陽系の果てまで航行したリシテア艦隊のデータの恩恵は計り知れない。

オレは鍵と一緒にコートのポケットに入っていた、時計と高校生の時に使っていた携帯電話を机に置いた。
今では水谷からのメールを受信するためだけに持っているようなものだ。
オレはどうしてもこの携帯を捨てられなかった。メールなどただのデータでしかないが、水谷が送ってきたそのときのまま残しておきたかったのだ。

水谷からのメールはシリウスに旅立つ前、オールトの雲のあたりから送られてきたのを最後に、8年間届いていない。
その隣、机の上に置いたままになっている新聞には、8年前にリシテア艦隊はシリウスでタルシアンと交戦し壊滅状態に陥ったという記事が一面に掲載されている。オレがこのことを知ったのは、ほんの数日前だ。

オレはコートを脱いでマフラーと一緒にハンガーにかけた。
それから部屋の中を通り抜け、ベランダに出た。
空気は冷たく、3月だというのに天気予報では雪が降るという。
灰色の低い空をトレーサーの訓練機が飛び、飛行機雲がきれいに並んで伸びていくのを見ながら、オレは水谷のことを思い出していた。

あの夏の日、8年という月日が永遠に思えたことをよく覚えている。
それから今まで、決して迷いなく生きてきたわけではないが、あの日に決めた目標だけは今も変わっていない。
オレはオレの時間を生きて、来月から、念願の艦隊勤務だ。

その決定が下りてまもなく、リシテアが急襲されたとの報告が入り、急遽、救援隊が結成された。その募集にオレは迷うことなく志願した。
同期のやつらからは、なぜわざわざ軍の建前でしかない救援隊などに志願したのかと聞かれたが、オレにとっては願ってもないことだった。
たぶん、これが水谷に会える最初で最後のチャンスだ。

シリウスでの戦闘後、リシテア艦隊4艦のうち、残ったのはリシテアのみでかなりの死傷者が出たらしい。詳細はいまだにわからないが、水谷がリシテアに所属していたことだけがわずかな望みだった。

でも、当然リシテアも無傷とは考えられないし、乗員が全員助かったわけではないだろう。
特にトレーサー隊は戦闘になれば、間違いなく前線に出ることになる。
中でも、水谷が所属していたのは攻撃に特化した部隊だったらしく、そのことを考えれば不安が尽きることはない。

たとえ待っているのが最悪の結果だとしても、オレは今までに起きたことを知らなければならないのだと思う。
オレのためにも、水谷のためにも、


突然、鳴り響いた携帯の着信音に驚いて我に返った。オレはポケットの中の携帯を確認したがメールは届いていなかった。
「まさか……」
オレは急いで部屋に戻り、机の上に置いた携帯電話を手に取った。
画面がメールの着信を知らせて点滅している。

ピッ…

メールを開くと、ゆっくりと懸命に繋がっていくように、文字が1字づつ表示されて行く。




『26歳になった阿部、こんにちは。
 オレは16歳の「水谷」だよ。▼』




水谷からのメールはその2行だけで、あとはノイズだけだった。
でも、8年の時を越えて、オレのところまで届いたのだ。
それだけでも奇蹟みたいなものだ。

「水谷…オレにはちゃんと聞こえてるよ。おまえの『こえ』が」

窓越しに見えた空に、ちらちらと白い雪が降り始めていた。






オレは、またコートを着て部屋を出た。
ポケットの中に水谷との携帯がはいっているのを確かめて鍵をかける。
外に出ると、雪は空を埋めつくすほど降っていた。雲に覆われた空は暗く、街灯が点灯してその光の中に雪の影が浮かぶ。

オレはマフラーに顔をうずめるようにして歩いた。
急にあの場所へ行きたくなったのだ。
高校1年生の夏、ある意味オレと水谷にとってすべてが始まったあの場所に。

バス停は、ずいぶん古びてしまっていたが、そのまま残っていた。
木のベンチの上にはジュースの空き缶が二つ並んでいる。8年前、オレたちがそうしていたように、きっと誰かがここで二人並んで時間を過ごしていたのだろう。

オレは中には入らず、外からバス停の中を見つめていた。
バス停の中は時間が止まったみたいに見えた。
水谷と最後にここへきた、あの夕立の日、髪を伝う雨の雫をそのまま拭おうとしないも水谷の子供みたいな横顔を思い出す。


『阿部はさ、好きな子っていんの?』
あの時、オレが素直におまえに好きだと伝えていたら、本当のことを言ってくれていたのだろうか。
そんなことは考えても仕方のないことだとわかっているけれど。

ふいに足元に降り積もった雪が白く光った。
見上げると雪雲の切れ間から、光が降るように差し込んでいた。

あの太陽の光よりも、遠いところに水谷はいる。
でも、その距離に絶望していたあの頃とは違う。
今ならおまえのところまでたどりつくことができる。


あのな、水谷……。
オレは懐かしいと思うものがたくさんあるんだ。


たとえば……

放課後のひんやりした空気とか、

黒板消しの臭いとか、

夜中のトラックの遠い音とか、

夕立のアスファルトの匂いとか。



そういうものを、オレはずっと、水谷と一緒に感じていたいって思っていたよ。


もう、オレたちはあの高校生だった時間には二度と戻れない。
でも、この世界、いや、今お前がいる世界にだって、大切だと思えることはたくさんあると思うんだ。
だから、オレはそういうものを一緒に感じていきたい。
それができるのなら、これからでも十分だとは思わないか?

あれから8年の間に、変わったものはたくさんある。
オレだって、なにも変わらなかった、なんてことはない。
でも、あの日からずっと、もう一度水谷に会いたいという気持ちだけは、変わらなかったよ。



オレたちは遠く離れているけど、思いが、時間や距離を越えることだってあるかもしれない。

もし、一瞬でもそうことがあるのなら
そのとき、オレはなにを思うだろう。






水谷は、なにを思うだろう。









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