ほしのこえ -The voices of a distant star- 15
《水谷》
ショートカット・アンカーの中は海の中みたいだ。
青白い光の泡に包まれリシテアは波に飲み込まれるように時空を越えていく。
光の泡が薄れ、リシテアは再び寂寞とした宇宙の真ん中に吐き出された。たどりついたのは、8光年先の世界。
シリウスが、惑星系を持っていることは、前世紀からわかっていたことだけれど、ほかの星系の惑星を肉眼で見たのは、オレたちが人類初だ。
---シリウス星系 第四惑星 『アガルタ』
探査のために、リシテアから離艦する。軌道上から見ても、アガルタは地球に近い、青い惑星だった。
久しぶりに見る青い惑星に、微かな幸福感を覚えながら重力に任せて降りていく。
大気圏に突入するとトレーサーを包むバリアが、発熱して赤く光った。
アガルタは、空も雲も海も、地球によく似ている。
ここには植物もあって、森のようなものもある。
…でもやっぱり、全然違うって思う。
空のほとんどを占めている異常なほど大きな衛星、緑がかった大気の色。
地球とはかけ離れた光景だ。
『第1から大12調査隊まで、タルシアンの兆候は発見できず』
定時報告のオペレーターの音声が入って来る。
確かに、アガルタには生物はいるけれど人類と同格の知的生命体のいる気配は感じられなかった。
オレは、広い広い草原の中をトレーサーで歩いていた。まるで散歩みたいに。
この星の生態系は、地球によく似ている。
森の中で耳元で聞こえる鳥のさえずりにあたりを見渡した。鳥たちはトレーサーの周りを飛んでいるものの、近くで感じることはできない。それでも鳥の囀りはとても、心の底に染込んでくる。
森を抜けると、視界を遮るもののない広い広い平原に出た。
オレは小高い丘に立ち、遠い空を見つめた。
雲の切れ間から光が大地に向かって降りている。
オレは子供の頃、これを神様が降りてくるみたいだと思っていた。
この、地球から遠く離れた星にも神様は降りてきてくれるのだろうか。
そんなことを思いながら、光の動きを見ていたら、空の向こうから雨の境界線が近づいてきた。
雨はトレーサーの上にも降り注いだ。
まだ、雲の切れ間から光が差していて、雨粒は光を反射してキラキラと輝いている。
「うわぁ…」
コックピットの中は雨音で満たされていた。
懐かしい、懐かしい雨の音。
でも、雨粒の感触はトレーサー越しには伝わらない。
「雨に…あたりたいな」
アガルタの雨は、地球の雨によく似ている。
阿部と最後に会った、あの日の夕立にも。
つい昨日のように思い出した記憶が胸を焦がした。
「コンビニ行って、一緒にアイス食べたい…」
あの頃は、ありふれていたそんなことが、今ではこんなに遠い。
こんな小さな願いも、叶わないほどに、時間も距離も離れてしまった。
「阿部……」
あのね、阿部…
オレには、懐かしいものがたくさんあるんだよ。
だってここにはなにもないんだもん
たとえば、
夏の雲とか、
冷たい雨とか、
秋の風の匂いとか、
傘にあたる雨の音とか、
春の土の柔らかさとか、
夜中のコンビニの安心する感じとか。
そういうものをね、オレはずっと…
ずっと、阿部といっしょに感じていたかったんだよ。
会いたい。
会いたいよ。
阿部に、ずっと、ずっと、言いたかったことがある。
でも阿部を困らせるだけだから、絶対に言わないって決めてた。
友達でも十分だって。
阿部と同じ高校一年生だった、あの夕立の日。
それから、今までずっと。
なのに、今はちゃんと伝えればよかったって思うんだ。
もう会えないかもしれないのなら、叶わなくてもいいから、この気持ちだけは伝えたいって。
涙が止まらない。
オレは必死でメールを打った。
『26歳になった阿部、こんにちは
オレは16歳の『水谷』だよ。
オレはずっと阿部のことが好きだったよ。
オレはいまでも阿部のこと、
すごくすごく好きだよ』
送信ボタンを押す。
《メール到着まであと:8年・224日・18時間》
光の速さで8年かかるなんて、どんな距離なんだろう。
8年ってどれだけ長く感じるんだろう。
もうオレのこと忘れてもかまわないから、オレが阿部を好きだったってことだけ知っておいて。
でもね、あの日から、ずっと変わらないんだよ。
オレは阿部が大好き。
「とどいて…!」
携帯を胸にぎゅっと抱いて、願いを込めるように固く目を閉じた。
ふいに誰かがオレの額に手を触れた気がした
「あ…」
閉じた瞼の裏に、いくつもの風景が見えた。
ユニフォームでグラウンドに立っている自分。
教室で阿部と話していたなんでもない時間。
電車の中、阿部の肩に寝たふりをして寄りかかったこと。
そんなオレの心を覗き込むようなタルシアンの巨大な眼。
これは、オレの記憶だ。
オレは顔を上げた。そこはコックピットの中ではなく、アガルタの平原だった。
いつのまにか目の前に小さな男の子が立っている。それは、子供の頃のオレだった。
「オ…オレ……?」
「ねぇ、やっとここまで来たね!」
子供のオレがにっこりと笑う。
その小さなオレはタルシアンに姿を変えた。殻を脱ぎ捨て、あの触手と同じ白く細い、どこか人にも似た形でオレの前に佇んでいる。でも、声は、子供の頃のオレのままだった。
「大人になるには痛みも必要だけど、でも、きみたちならずっとずっと、もっと先まで、きっと行ける。他の銀河へも、他の宇宙へだって。」
手のような触手を伸ばした先に、今まで見えなかった街の姿が広がっている。それは火星で見たタルシアン遺跡によく似ていた。
視線を戻すと、さっきのタルシアンは、大人になったオレになっていた。
大人のオレは強い風が揺らす髪を左手で押さえる。その薬指には銀の指輪は光っていた。
「ねぇ……だからついてきてね。託したいんだよ、きみたちに。」
その瞬間、アガルタの景色は、学校の教室へと変わった。誰もいなくなった教室は夕日に赤く染まっている。
一人ぼっちの教室の隅の机の席で泣いているのは、高校生のオレだ。
開いた教科書の上に、パタパタと音をたてて涙が落ちる。
「でも…!オレはただ、阿部に会いたいだけなのに……好きって、言いたいだけなのに…!」
そう叫んで子供みたいに泣いている自分を、オレは見つめている。
遠くから踏切の警笛音が聞こえて来て、景色は変わり、今度は学校の帰り道の踏み切りに立っていた。
「だいじょうぶ、きっとまた会えるよ」
踏切の向こう側で、もう1人のオレが笑う。
貨物列車が通り過ぎ、切れ間から自分の笑顔が切れ切れに見えた。警笛が頭の中を掻き乱し、暗転した世界から、オレは目を開けた。
われに返ると、そこはもといた場所、トレーサーのコックピットだった。そして、周りは何もないアガルタの平原。
さっきまでオレに語りかけていたタルシアンらしきものはいなくなっていた。
今のはなんだったのだろう。一瞬だったような、ずいぶんと長い時間だったような……
その答えを出す前に、目の前のモニターに『WARNIG』の文字が赤く点滅した。
トレーサーは瞬時に臨戦態勢に入り、システムが戦闘モードに切り替わる。
リシテアのオペレータから報告が入ってきた。
『アガルタ各地にタルシアン出現、交戦開始された 』
モニターには次々にウィンドウを開き、交戦状況を表示して行く。
星のようにきらめく群れ、あれがタルシアン…すごい数だ。
そして、激しいアラームが鳴り響く。
『軌道上にもタルシアン群体出現、艦隊に接近中! 』
警告が表示したのと同時に空に光が現れた。トレーサーのセンサーはその光の位置をキャッチし、オレは反射的にその場からジャンプした。
飛び去りながら、さっきまで自分がいた場所が閃光と爆炎に包まれるのを見た。
もし反応が遅れてあそこにいたらと思うとぞっとする。
離れた場所に着地し、目の前に街のような建造物が広がっていた。火星にあったタルシアン遺跡によく似た街だ。
これはきっと、タルシアンが残した遺跡。
さっきのオレの意識に入り込んできたタルシアンは、これを見せたかったのか。
……だったら、なんで戦わなければいけないんだろう?
オレは、戦いたくないんだよ。
オレには、タルシアンを傷つけなければいけない理由なんてなにもない。
託したいって言ったのに、どうしてオレを殺そうとするの?
あのときオレの記憶を見たんでしょう?
だったらオレの気持ちも見えたでしょう?
『また、きっと会えるよ』そう言ったじゃんか。
そうだよ。オレはただ、自分がいた世界に帰りたいだけ。
阿部に会いたいだけ。
わかってるくせになんで攻撃してくるんだよ!?
じゃあ、なんでオレの記憶なんて見たんだよ!?
なにを託したいんだよ!?
「わかんないよ!」
オレは、アガルタの大地を踏みしめて空にとんだ。
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