ほしのこえ -The voices of a distant star-  14





《阿部》










【2047年 冬】



朝から降リ始めた雪は、放課後には前が見えなくなるほどになっていた。今年一番の大雪だ。
その日、オレは違うクラスの女子から告白された。

1学期の委員会が同じだったらしいけど、オレはまるで憶えていなかった。
それに、部活も忙しいし、一緒にいるような時間はほとんどない。
なにより、今のところ「好き」ではない。
それでも構わないと言ったので、オレは彼女と付き合った。

そうやって、水谷のことを忘れようとしたのかもしれない。
自分を変えるきっかけならなんでもよかった…のかもしれない。


「今は、私のこと好きじゃなくてもいいから、少しずつ好きになってね」
と彼女は言う。
少しずつ二人の時間を重ねるにつれて、やわらかな気持ちを抱き始めるのがわかった。

ふわふわと揺れる細い髪、少し眠そうな大きな目、薄い唇。
彼女の顔は、どことなく水谷に似ているような気がした。
でも、物静かで、気が利いて、あいつとは正反対だ。
いや、そもそも男と比べることが間違っているのか。

水谷とは、こんな静か過ぎるほど、穏やかな関係ではなかった。男同士だから容赦ないところもあったのだと思う。
ただ、そういうことだけではなくて、感情の揺れが大きい水谷の、泣いたり笑ったりする、すべてのことが、オレの内側の方から捕らえて離さなかった。

目まぐるしく変わる表情を、言葉を、全部知っていたい。そんな、ともすれば激しい独占欲のような感情をオレは特別だと思っていた。
でも、もし、今彼女に抱いている思いを恋愛感情というのなら、水谷に抱いていたものは違うのかもしれない。
その答えは、いまだによくわからない。

とにかくオレは、空いた時間はできるだけ彼女のために使うようにした。
そうすることで、意図的に水谷のことを意識の外へ追いやるのが上手くなり、いつしか水谷のことをあまり考えなくなった。


そしてオレは、水谷からのメールを待つのを止めた。









【2048年 夏】

季節がひとまわりして、また夏がきた。
水谷からのメールを待つのをやめたのは、去年の冬だ。
結局、もう一年以上、水谷からのメールは届いていない。

オレは、目の前にある、野球、友達、恋人、そんないたって平凡なものたちを大切にしていた。
時々水谷のことを思い出すことはあったが、もう過去のことだと思い過ごすようにしていた。


1学期の期末試験前、部活が休みだったので、オレは彼女といっしょに帰った。
途中、ちょっと立ち寄った店内のディスプレイにニュース速報が流れていた。

リシテア艦隊は、1年前、冥王星でタルシアンに遭遇して戦闘になったらしい。
攻撃を回避しながら応戦するトレーサー。
リシテアから送られてきた短い映像が繰り返し流れる。

これは、本当に現実なのか?
こんなところに、水谷はいるのか?
あの、怖がりで泣き虫だった水谷が……。
オレはそれを食い入るように見つめていた。

「どうしたの?」
声をかけられて、我に返る。

「あぁ…友達が乗ってんだ、あれに」
「すごい友達がいるのね」
「友達っていっても、向こうはもうオレのことなんて忘れてんだろうけどな…」
自分で言った言葉に、胸が痛くなった。



店を出ると、いつのまにか外は雨が降っていた。
「私傘持ってきてないのに」
と彼女は空を見上げた。

「オレ、持ってる」
オレはカバンの中から折りたたみの傘を出した。今朝、天気予報を見た母親が勝手に突っ込んだものだ。

開いて差し掛けると、「よかった。これで濡れないで済むね」と彼女は笑った。
このやり取りでふいにオレは水谷のことを思い出した。

それはちょうど、今日みたいに急に雨が降り出した日のことだった。

『こら、水谷!傘があんだから、させよ!』
『えー!このまま走った方が早いよ!』
『風邪ひいたらどうすんだ、バカ!』
『へーき、へーき!行こ!』
と雨の中を水谷に腕を引っ張られて、オレは走り出すしかなくて、傘は出さないままだった。

水谷は、嫌がるオレを振り返っては楽しそうに笑っていた。
そんな、他愛のない思い出だ。

そういえば、水谷は雨に濡れるのが気にならないのか、それとも好きだったのか、何度か雨の中を傘もささずに一緒に走った覚えがある。

あの日も…夕立の中を自転車に二人乗りしてて、水谷が後ろから急かしてくるから、怒鳴ったっけ……。

『阿部!早く早く!』
『うっせぇな』
いまだに嫌になるほど鮮明に覚えている。

水谷の声も、肩に置いた手の重さも。
夕立の匂いも、その後の鮮やかな夕焼けの色も。

「阿部くん?どうかした?」
「……いや、ごめん。なんでもない」
久しぶりにリシテア艦隊のニュースを見たから、水谷のことも一緒に思い出すのだろうか。
ざわめき始める胸の中を吐き出すように息をついた。




彼女は電車通学で、駅までは徒歩だったので、駅まで送ることにした。
オレは自転車を押し、二人でひとつの傘に入って歩いた。
途中で、学校に忘れ物をしたのを思い出して足を止めた。

「悪りぃオレ、学校に戻るわ」
「じゃあ、私も…」
「いいよ、雨降ってるし。そのまま帰れよ」と傘を渡した。
「でも、それじゃ阿部くんが濡れちゃうよ」
「オレは自転車だから、傘があってもどうせ濡れるし」

「じゃあ」と、別れようとしたら。「阿部くん!」と呼び止められて振り返った。
なにか言いたそうにしてるのに言い出さないので「なに?」と聞いた。
「ううん、なんでもない…気をつけてね」
彼女はそういって手を振った。

学校に戻り、忘れ物を取って再び外に出ると、雨脚がずいぶん強くなっていた。
濡れながら自転車を漕ぎ出した。徐々に雨足が強くなっていく。光は見えないけれど、遠くから雷鳴がかすかに聞こえていた。

「結構降ってきたな」
自転車のスピードを上げる。そのうち、あのバス停が見えた。オレは脇に自転車を止め中に駆け込んだ。
激しい雨音でバス停の中は満たされていた。雨がカーテンのように入口を柔らかく塞いでいる。
オレはベンチに座り、ぼんやりとそれを見ていた。

ふいに携帯のメール着信音が鳴った。雨に濡れないようにカバン入れていた携帯を出してメールを開いた。

『傘ありがとう.風邪ひかないでね』

付き合ってるといいながらも、たいして恋人らしいことなんてしていない。それどころか好きだとも言ったことすらないのに、ここまで優しくされることを嬉しいと思い、同時に罪悪感を覚えた。

返信しようか迷ったが、適当な言葉が見つからなくて携帯を閉じた。ポケットに入れると、すぐに携帯が鳴りはじめた。

「また…?」
あわてて携帯開いて、着信確認をする。
差出人の名前を見て、息が止まった。

まさか…

まさか

「水谷からだ…」

携帯を持っている手が小刻みに震えていた。
揺れる指先で、ボタンを押す。


『ひさしぶり。
 1年ぶりの阿部は元気?
 阿部にとっては1年前、でも、オレにとっては…』


書いてあったのは、冥王星付近での戦闘のこと、そのときハイパードライブで1光年先までワープしたことなどが書かれていた。
濡れた髪から落ちる滴もそのままに、メールを見つめた。長い間忘れようとしていた水谷の声が頭の中に響く。


『リシテア号はこれから、長距離のワープに入るんだ。
 目的地は8.6光年先のシリウス。
 このメールが着く頃には、オレはもうシリウスにいるよ。
 お互いのメールが届くまで、これからは8年7ヶ月かかることになっちゃう。
 ごめんね。

  オレたちは宇宙と地上に引き裂かれる恋人みたいだね。』


「恋人…みたいだね」
その一言を見たとき、はっきりとわかった。
やっぱり、オレにとって水谷は特別な存在なのだ、と。

たぶん、オレたちは言葉にこそしたことはなかったけれど、お互いに友達だなんて思ってはいなかった。

でも、光の速さで8年もかかる距離なんて、永遠というのとなにも変わらない。
オレと水谷との時間はどんどんズレていく。

それでも水谷は諦めていなかった。
もう、オレたちの時間は同じようには流れないと、諦めたオレと違って―――


『帰りたい。
 地球に帰りたいよ。
 帰って阿部に会いたい』


水谷の声が聞こえるような気がして、オレは携帯を握りしめたまま、うつむいた。

結局、オレも諦めきれなかったんだ。
今も、ずっと水谷のことを忘れられない。
どうもがいても、水谷を好きだという気持ちを変えられなかった。

だからオレは、水谷の為、自分の為に目標を立てた。
そのために、もっともっと、心を強くすること。
絶対に開かないとわかっている扉をいつまでも叩いたりしないこと。
オレは自分の時間を生きること。


オレは、1人でも大人になること。



いつのまにか、雨はあがっていた。
夕焼けの光が足元まで差し込んでいた。







水谷のことを認めたからには、もう彼女と付き合い続けることはできない。
相手が誰なのかは言わなかったが、本当に好きな人がいることに気がついたことを、できるだけ正直に話した。

「ごめん…」
彼女は怒らなかった。
ただ、静かに泣いていた。そして「その人がうらやましい」と呟いた。


それから、オレはそれまで希望していた進路を変えた。同じ工学部でも宇宙工学のある大学へ。
レベルが上がってしまうから、今からでは、難しいかもしれない、と先生に言われた。でも今年がダメでも、また来年が受けるつもりだった。
目標のために必要なことだから絶対に諦めない。


学校の帰り道、オレはまたあのバス停に向かった。
あの夏のように高く高く伸びる白い雲を見上げた。
どれだけの距離が離れていようとも、この空は水谷まで繋がっている。






『水谷、元気にしてるか。
今さらかもしれないけど、オレも宇宙に向かうことにしたよ。
何年かかるかわからないけど、おまえに会いに行こうと思ってる』




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