今しがた、朝ごはんか昼ごはんかわからない食事を取った。昨日の夕飯に出た一口大のヒレカツをクロワッサンに挟んだカツサンドと、これまた昨日の夕飯のポテトサラダを食べた。
夕飯のカツもポテトサラダも、僕が十五、六の頃からうちの家事一切をしてくれているばあちゃんが作った。

空腹を無視して読んでいた短編小説がきりのいい所になったので、億劫さと、時間が半端だからだめだと叫ぶ頭の中の煩い声とを無視して、部屋を出た。
ここ数週間の降下で片隅に追いやられた強迫に駆られる自分は普段にも、風呂は十五時から十八時の間は入ってはいけないとか、二十三時半を過ぎるまで寝てはいけないとか、よく考えると無意義な形だけのルールに縛られていた。僕自身それを無視する事はタブーであったから、先程のしかとは結構な事件で、けれど慌てふためく気力などはもはやなかった。だからこその無視であったとも言える。

ともあれカツサンドを作ろうと僕がキッチンに立つと、何も口に出していないのに代わりにばあちゃんが作ってくれた。
お言葉に甘えて待機していた僕の前にならんだメニューのポテトサラダにはトマトが添えられていた。
僕はトマトが好物だった。
それだけじゃない、カツを挟むクロワッサンも僕の好物で、だからとばあちゃんがたまに買ってくるのだ。挟まれたカツにはご丁寧にレモンが絞られていた。カツは昨晩と同じように柔らかかった。ポテトサラダに紛れたコーンは甘く、子どもは甘いのが好きだろうと、いつまで経っても僕を大人扱いしないばあちゃんなりの思慮だろう。
とてもおいしかった。
ああ、ばあちゃんはこの孫を愛しているのだなあと、染み入るように、そして反面他人事のようにどこか浮いた所で感じた。




最後にここに文章を書いてからもう随分と経った。
最後より以前に書きそびれた事も含め、たくさん、たくさん……ほんとうに様々な事があった。
そのなかで、学び、失い、忘れ、覚え、動き、止まり、泣き、笑い、希望を見い出し、絶望を思い知り、触れ、考え、おもい、巡って、いまここ。
いま、また、死のうかどうかの岐路、その手前辺りにやってきてしまった。
ずうっと死にたくて、死んで、死にきれず、次第に生きててよかった、生きるのがたのしい、生きたい、と思った後少しして、また生きてていいかわからなくなり、死ねないまま過ごし、もう一度死のうと決め、死ぬ間際、そんな場合ではなくなり、保留にし自分にできる事をしている間、様々があり、生きたいと思いたいと思うようになり、しばらくの間死なないでいる事にした。
した、のだが、また、こう、どうしても死にたい誘惑に取り付かれ振りほどけないままずぶずぶ沈み、ついぞやはり死んでおけばよかったと後悔、今からでも遅くはないかと思い始め、けれど様々を経た末の自分がそれじゃだめだとかろうじて人口呼吸を施しているような、そんな次第。

そうしてふと、自分でも何故かはわからないが久しぶりにブログでも書こうかと思い立ち、ここに来た次第。

絵は未だに描いてます。死にたい要因のひとつです。
すきなひとは×××じゃなくなりました。だいじなともだちには変わりはないけれど。
髪は夏頃から全てきれいな金髪です。
ACや強迫性障害は未だ治らず、最近は睡眠障害と摂取障害の兆候も出てきました。

ああ、文字数が。久しぶりなのに整ってないなあ。嫌だなあ。それも無視だ。