タイトル:ハンディを超えて若さを保つ秘訣
〜視覚障害者のための体力維持と、子供と関わる工夫を語る〜
挨拶と体操を割愛します。
1、4歳で発祥から13歳で盲学校編入。
PTになって晴眼者のなかで働くなかでぶち当たった壁や共に働く秘訣、
私の身近には視覚障害者はおりませんでした。
4歳の春。ちょうど幼稚園に入学したときですね。水疱瘡に感染したんですが、その水疱瘡がなんと目の周りだけに局在してできたんです。まあ、水疱瘡のある手で目をこすったりでもしたんでしょうね。そこから斜視を伴う弱視の仲間入りをしましたが、視覚障害者は全く見えない人のことを言うと思っていましたから、なんの疑問もなく地域の小学校に進学。クラスメイトやいとこ達が皆中学から受験するので私もなんの抵抗もなく受験のための家庭教師をつけていただいていましたし、学校ではおさらいをしているようなものでしたから、授業にハンディを感じることはありませんでした。クラブも当時流行っていたテレビアニメに影響され二年間バレー部に所属。
弱視のみなさんなら経験があられると思いますが、幼いながらも、自分だけができないというのが許せず、教科書はそのときの学習範囲を丸暗記して、見えないというハンディをごまかしちゃうんですよね。
「なめられたらアカン」というどこからともなく湧き上がる虚勢に後押しされ、できないこと=見えないからということにひどく抵抗する時期なんですよね。それでも小学校の間はなんとかなるもんです。
そして中学。
私はボランティア委員になっていて、中1の夏休みに隣の小学校で特殊支援学校、つまりは盲・聾・養の学校の生徒と市内の学校の生徒の交流会がタイムリーに行われたんです。何がタイムリーおって、ちょうど中1の夏に網膜に濁りができ、物の全てが歪んで見えたりして文字の読み書きがスムーズにできないようになっていたんです。そこに参加されていた、どこの方かは忘れたのですが、職員から「盲学校には行かないのか?」と聞かれ、初めて盲学校の存在をしりました。自分は人より見えにくいけど全くみえない訳じゃないのでねって言う私に、その方は「盲学校には君と同じような弱視の子がたくさんいるんだよ。」と言われて私の心に晴天の霹靂が起こりました。
盲学校編入が決まってからのクラスメイトはそれまで以上に優しくて、私はもうすぐ死ぬんじゃないかと疑うほどでした(笑)
人間の目ってその見え方に慣れちゃうんです。欠けた視野を残存部分が補うというのもあるようですが、二つ並んだ点の下に横棒を一本ひいただけで人の顔と認識できたりするでしょ?(・_・)そう、人間は条件付けさえ設定できればわずかな情報で充分視覚的認識ができるんです。
何が言いたいかといいますと、盲学校に編入した後のほうが、中1の時よりも安定して見えるようになったんです。
0,1と0,06という視力で理学療法かに進学。視力的にはまずまずでしたが生活視力がなくて、動作分析を主とする評価にはお手上げ。学科で補うにも、医学書ともなると私の頭では丸暗記はできず、家庭教師もいなかったため、私は人生で一番苦労する時期を過ごしていたと思います。どうにかこうにか国家試験に合格したものの、就職時には両目とも0,02。
見えなくなるって進行が緩やかだと自分では気づかないんです。痛みもないし、命の危険に直結しないからなのかしらね。私が見えにくくなったなって自覚したのは2010年頃からかなあ。
見えなくなるって目の前が黒くなると思うでしょ?私の場合は違いました。目に涙がいっぱい貯まったままになってるようで、目の前が揺れているんです。白いレースのカーテンをひいたようで、そう、白っぽくてまぶしいんです。
脱線してしまいましたね。盲学校にいた時はリハ科の自分は見える側だったから、晴眼者ばかりの世界に就職したことでまた自分がハンディを負う立場にもどりました。とは言っても仕事柄障害者を補佐する立場。しばらくは虚勢を貼り続けて、正直すっごく疲れました。でも一月もしたら患者さんのほうで「そんなところにものを置いてたら、先生にけられるぞ」なんて言いながら配慮してくださるようになったんです。
★結局、「手伝って」と具体的にお願いしちゃうことが円滑な人間関係をつくる近道だと改めて知りました。
2、晴眼者の旦那との結婚に辺り視覚障害者故にぶち当たった壁や偏見や劣等感
病院での経験をつんで3年目に老人保健施設に転職。もうその頃は仕事が楽しくてしかたありませんでした。入浴介助の仕方や車の乗り降りの仕方などを指導したりするのですが、私には状況を言葉で具体化するという特技もありましたから集団リハ研修が分かりやすいなんて言われてその気になっていました。(へへ)そろそろ落ち着かなきゃと焦り、社会福祉士をしている旦那と結婚。健常者ばかりの世界に飛び込むのは二度目。正直言うと自分が障害者なんだということをすっかり忘れていました。
ここで初めて甲斐甲斐しい障害者像という壁にぶつかりました。私の場合旦那よりも稼ぎもあり、それなりの社会的地位も得ていましたので先方の親戚に反対されることもありませんでしたが、気の強さから義母とは衝突ばかりをくりかえしていました。
★先ほどもお話しましたが、「手伝って」と具体的にお願いしちゃうことが円滑な人間関係をつくる近道だと分かっていてもお姑さんが相手となると、「障害者だからとなめるなよ!」という感情が先に来てしまうんですよね。
結婚5年にしてようやく虚勢という呪縛から開放されました。
結婚ということに関して、視角にハンディを持つ私の友人は綺麗に3タイプに分かれます。一つはでき婚も含めて結婚や子を残すことに全く抵抗のない方。もう一つが結婚はするけど遺伝を恐れて子は作らないと言う方。そして結婚事態を拒む方。
まどみちおさん作詞の「ぞうさん」と言う童謡をご存知ですね。♪ゾウさん、ぞうさん、お鼻が長いのね♪色んな解釈がありますが、その一説には子ゾウは「お鼻が長くておかしいね」とからかわれているという説があります。どんな解釈にしても落ち込んだり腹を立てたりせずに、大好きなお母さんと同じこの長い鼻が大好きと誇りをもって返答しているというのは共通の解釈なのです。
あなた自身はどうですか?私?
私も反抗期には母を恨みました。母の管理及び勉強不足が原因だと母を責め修復不能な関係になりましたから。先ほどもお話いたしましたが、私が視角障害を負った原因が水疱瘡でしたから、手袋をさせるなど防ぎようはあったと母ひとりを攻めました。
でも、障害を負った私の人生がつまらないものだったのか?って問うと疑問符が付きます。だって私には障害者となってから出会った友だちがたくさんいるもの。どの出会いも否定できないと気づいた時から、私は障害を持って生きていることに誇りを持つことができました。
もしもあなたが障害者でない人生を歩んでいたならどんな人生だったと思いますか?
母親になると言う覚悟は、子供に遺伝しようとしなかろうとあなたのお子さんが思春期を迎える頃には障害者ママとして親子ともに悩むことでしょう
その全てを含めて天秤にかけたとき、やはり私の人生はかけがえもなく素晴らしいものだったと思ったからこそ、我が子にもこんな素晴らしい人生を体験させてやりたいなと私は思いましたし、ママの子に生まれて良かったと思わせる自信があるから子供を二人も設けました。
いえいえ、強要する気はありませんよ。
3、初めての子育ての苦悩から得た子育ての楽しみ方
絵本や公園デビューなどの必須アイテムなどの紹介も含めて
「子は鎹」と言います。これは何も夫婦間だけのことではありません。嫁姑しかり、社会と私たち個人との鎹ともなるんです。
結婚してまもなく長男の誕生。
子供が生まれて最初にぶつかる壁が授乳。赤ちゃんは勝手には加えてはくれませんもの。小さ過ぎる口を捜すのは大変で母乳育児を挫折する方も少なくないとか?
私式やり方を紹介します。
テーブルの上に座布団を置いてその上に子供が右側お向くように寝かせて私はそのテーブルに右胸が当たるように横向きに座り、右胸をくわえさせます抱かないことで両手があくので、上手に吸えないうちも口を探りながら咥えさせられ、授乳中に耳や爪ケアをすることもできました。授乳中のほうがこどもが動かないかららくなんですよ。勿論だっこは授乳以外のときにたっぷりしてあげましたよ。
ミルクの調乳にはキューブ式のミルクを使用されることをおすすめします。お湯は一度「一押し10ccボトル」に入れてから10ccずつ丁寧に注ぎます。その方が早く覚めて一石二鳥なんですよ。
オムツ交換には使い捨てのペットシートを挟むやり方で行っていました。
入浴はまず泡を拭き取ることがポイント
詳細が知りたい方は是非このあとで質問してください(笑)
hp.kutikomi.net
今回は赤ちゃんより子供さんとの関わり方を少し紹介します。
公園デビューをした子はすぐに視界から消えてしまいます。そんなときでも居場所を把握できるようにと私は「離れるとアラーム」の親機を子供につけています。ピーピーとやかましいことで周りの大人もきにしてくれて「私、目が見えにくいんです」って名乗りやすくもなるんです。
車通りのある道では1mリードを使っています。外食先で椅子にじっと座らせるときにも抑制ベルトとしても使えて便利でしたよ。
外遊びでのポイントもやはり
★周囲のママ友を巻き込んで「手伝って」と具体的にお願いすることだと私は思います。
私の場合、長男が2ヶ月の時から同じ区内のママで構成した「さるとり」という自主グループ(マイミク阿莉さんありがとう(に参加していましたし、二人目の時はあえて大部屋での出産を望み、入院中からママ友(マイミクhikaruさんありがとう)を見つけていました。
室内遊びの代表が絵本。
大阪を拠点に全国にこの点訳絵本の普及がなされています。絵本は文字になっていない部分の方が大部分ですよね。この点訳絵本では絵の注釈も点訳されているので、目の見えるお子さんの視点で一緒に絵本を楽しむことができるんです。例えばこの「もうすぐですよ」と言う絵本。ここでは色んなお友達がさまざまなプレゼントをもってお祝いに来てくれています。しかし、せりふには誰がきたとしかないんです。点訳では何をもってきたかということまで丁寧に点訳されており、絵全体を把握できない弱視者にも大助かりなんですよ。
子供はスキンシップが大好きです。頭をなでてあげたり、歌を一緒に歌ってあげたりするだけでも喜びます。子供のレベルに合わせてなぞなぞなんかもだしてあげてみたりして、是非積極的に関わってあげてください
「カルガモの会」(視角障害者ママの情報共有の会)や「じゃこの会」(弱視の子を持つママの会)などもしご存知ない方がおられましたら是非教えてあげて下さいね。
m.mixi.jp
文字都合にて中略。
最後に私が大切にしている思いを紹介します。
「誰かに迷惑をかけるから」と言い訳するのではなく「自分がこう思うから」と自己選択し、自分の言動に責任を持って生きていきたいと思います。
だって敵の数ほど味方はいるもの。
ご静聴ありがとうございました