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外は雨が降っている

この雨は恵みとなるだろうか、それとも追い討ちをかけているのだろうか。
何も今日になって雨が降ること無いのに。

と思ったのも地震があってから三日だか四日だかたった頃、ためていた水が底をつきかけていた。
当日、断水前にあわてて家の蛇口を全てひねって水をためていた。
広報車が断水するアナウンスをして走っていたからだった。
幸い断水前に知ったのでどうにか容器と言う容器に水を溜めたが、場所によっては広報車が来た頃にはすでに断水していた地域もあったらしい。
大変な混乱だったのもわからなくは無いが、ちとひどい話だと思う。
実際やってみると水と言うのはものすごく消耗が激しい。何をするにも水が必要であることを今さらながら思い知らされた。
早くもなくなってきたのだが、ある日天気予報で雨との予報が。
我が家では喜び勇んであいている物を片っ端から外に配置し、雨が降るのを待っていた。
こんなに雨が降るのを待つのは初めてである。
干天の慈雨というが昔の人は日照りが続くとこんな気持ちになったのだろう。
今回の震災で色々な気持ちにさせられる。

そんな夜があったが結果は・・・
ほとんど降らず水もたまらなかった。
あわてて緊急家族会議を開き水の確保に急ぐはめになった。
ガソリンも残量が無かったので、それも考慮してのことである。
幸い近くに水源があったのでどうにか乗り越えたが、
水道が復旧してまず行なったのは貯水だった。
こうして一安心したところで今日の雨である。

もう容器は使い果たしたので溜めることは出来ない。
水道も無事使えるので今となっては心配はしないが
それにしても皮肉な感じがした。
六日のあやめ・十日の菊と言うが世の中うまくいかないことが多いな。

まあ経済活動も復旧しだしているからのほほんとこんなこと言っていられるわけだが。

この雨は恵みとなるだろうか、それとも追い討ちをかけているのだろうか。
何も今日になって雨が降ること無いのに。

元気です

大変な事態になってしまったけど、僕は元気です。

一時期はライフラインすべてが止まってしまったけど、電気はきました。
おかげでこうしてブログを書けるわけで。
ただしガス・水道・ガソリンは未だにありません。
何にもないけど思ったことは「昔の人はこうして何も無い中生き延びてきたのかなぁ」と
いうことで、「生きる」ということの原点を垣間見たような気がします。

我ながらのんきだねぇ。かえってやる気が出てきているんだからさ。
電気が無い時は暗くなると寝ていたから、いつもより健康的な生活になってた気がする。
日常に近づくたびにまた腑抜けにもどったりして(笑)

さて、一応被災地というところにいるので僕の日課はいまや水汲みになっている。
あちこち探して水を調達するわけだが、当然他の人もいるわけで。
すると、みんな整然と並んでいるわけですよこれが。
しかも
「いやーひどかったねぇ」「この水飲めるの?」「いや、飲むには勇気がいる」
なんて笑いながら話している。
汲み終わると「どうぞ」「すいませんねぇ」なんて譲り合いの精神もしっかりあるし。
必死に水汲みに来たのになんかなごんでる。
というよりそんな形相しているのは僕だけ?

大災害だけどなんか大丈夫な気がした。
この笑い声があるうちはたいしたこと無いと思う(ほんとは大変なんだけど)
だから「元気です」と今は明るく言うことが出来る。


ちなみに地震発生時にはさすがにわが身が飛び出すので精一杯だったが、
ゆれも収まって部屋に入ると物がめちゃくちゃになっていた。
が、なんとギタースタンドにかけておいた我がギブソンは無事ではないか。
全くの無傷で。
この時点ですべてはall rightになっちゃって。
これを運命と言わずしてなんと言おう。
あとはどうでもいいや。

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