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1/10(木)夜間

留守番中も落ち着かないまま、ただただ時間だけが過ぎる

人生の中で、最も時間が流れるのが遅く感じた


何か食べとけと言われたが、全くそういう心境では無い


たまに父から状況を知らせる連絡が入る度に緊張する私


その後、母の処置が終わった時に
「先生がお前も説明を受けたほうが良い」と父から電話で聞き
急ぎ、タクシーで救急センターへ向かおうとするも
こういう時に限って、近場では空車が見つからない


母の体調が気掛かりで平静を保てなくなっていく

なんとか、迎えに来て貰えるタクシーを見つけ、慌てて乗り込んだ


道中も廻りの景色が微塵も目に入らず、ただただ無事で居て欲しいと思っていた


到着後、父と合流は出来たが急用により、医師の手が空かない為、
先に看護師から同意書等の説明と必要項目への記入、
それから判子の押印等を行っていく


その小さな部屋に医師が到着、それから状況の説明を受ける


憎き病名は左頭部の“脳 出 血”(脳溢血とも言う)


【以下、医師の説明内容】

広範囲なので、恐らく後遺症は残ると思うが
今後の回復とリハビリ次第で日常生活に戻れる可能性もある

手術で取り除くと患部が腫れて、悪影響を招く恐れの為
現在の高い血圧を薬剤で低くして、自然に出血が吸収されるのを待ったほうが良い

その為、手術の適用外との判断にした

今すぐ、命に関わることでは無い
↑これは本当に安心した


そんな感じの説明だった

(これは後で父から聞いた話だが、自然吸収か手術かで随分と協議されたらしい)


そして、母が入院中のHCU(高度治療室)への入り方を教わる

家族待機室にあるインターフォンを押し、患者名と自分の続柄を名乗り
了承が出れば、入室できる仕組みだ


搬送された母とようやく対面する

眠っていたので、顔だけ見て、その日は帰路についた

父と会話をしていたと思うが内容は全く覚えていない

何故なら私は強い不安で動揺していたからだ

1/11(金)深夜〜早朝

帰宅後、身体の疲れと精神的なショックの中

病院関係の資料を整理し、必要な物の準備を行い、

とりあえず、自分達も少し落ち着いて寝ようかとの流れになる





無意識にシャワーを浴び
布団に潜り込み目を閉じる










寝れない…





万が一、何かあれば病院から連絡しますと言ってたっけ?


お願いウチの電話よ、何も受信しないで





虚しく時計の刻む音だけが流れる空間




熟睡するのを諦め、ネットで“脳出血”と検索する



「脳溢血や脳梗塞等を全て含め脳卒中と呼ばれる。

かつて、我が国民の死亡率第一位であった。

今は高血圧の予防等により減少してきた。
それでも“寝たきり”や“強い後遺症”を起こす原因となり、恐ろしい病気である事にはかわりない」


「脳内出血で影響を受けた細胞は元には戻らない」

「出血の箇所により後遺症や障害は様々」

「再発し易いので血圧を安定させる事が予防の為にも重要である」





ねたきり、しょうがい、こーいしょう…




調べるとネガティブな情報ばかりじゃないか


今夜はもうネットを見るのよそう





眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、



頼むから私を寝させておくれ




それとも私が悪夢を見ているのか?





残念だが全て現実であった





結局、眠りにつけたのは早朝であり、起床したのも早朝だった



とにかく、目覚めた時から頭が痛かった



今の体調は最悪だ

何より居る筈の母の姿が無い


いつもの朝では無いのだ



自宅で母と会えるのは何日、いや何ヵ月後になるのだろう?
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