スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

はじめに

それは、2019年1月10日(木)に、実母が脳出血で救急搬送された事から始まりました。


今から遠い先への記録を残す為と
同じ症状で苦しんでいる方々へ、少しでも情報提供を出来たらと思い
ブログを始めるキッカケとなりました。

拙い文章ではありますが、お付き合い願えればと思います。

1/10(木)午前から正午

この日はとてつもなく寒いものだった
今季最低の気温であろう


【午前中の母の状態】

私はその場に居なかったが、
車で父と同乗中に会話をしても成り立たない様子だったらしい
その上、不可解な内容を発言しても自分で気付けない

それに対して父も苛々して、感情的になってしまった様子


【午後の様子】

私も会話をしたが内容がおかしい

うちには愛猫がいるのだが「今日は“暑い”のだから、上に(ひざ掛けのような物)掛けてあげないと」

私は暑い?寒いからでしょ?と訂正したが、聞き入れてくれない

本人には言葉を間違えている自覚が無いのだ

その後も何度か寒いを暑いと言い、数を足すべきものを引いてしまう

この辺りでおかしいと思いつつも、今日は寒いからかな?と軽く捉えてしまっていた

普通にテレビを見て、内容も正確に把握して感想を言っていたし
会話のドッジボールは出来ていた時もあった


気のせいと思いたかったのに
まさか、この後あんな事になるなんて

1/10(木)昼過ぎ〜…

疲れているのでは…と思い、当人に昼寝でもして休んだら?と伝えたら
素直に聞き入れてくれた

ただ、寝辛いのか枕を直したりと落ち着かない

逆に私が仕事の疲れ等もあって、うたた寝をしてしまい
母が毛布を掛けてくれたらしい


【15時頃】
母、夕御飯の調理を始める

二品が完成し、なんにも問題なかった

この後、トイレへ行きのだが、激しい咳が聞こえてきて心配になる

少し長い時間で出てきたのだが“頭の左側”や“胸”を押さえていた

大丈夫?と声をかけても、本人は鬱陶しいようで、私に肘を当て押し退ける

父に対しても同じ行為をした後、箸を上下逆にしたり捨てたりと明らかに異常な行動だった

それを見た父が、最初は救急外来まで送迎しようとしていたが
母は意識はあるものの、動ける様子が無く、やむを得ず119番で緊急要請

正直なところ、自宅で救急車を呼ぶのは初めての事で戸惑いはあった
幸い時間帯の事もあってか、野次馬が集まる事は無かった

母はそういう事を嫌う傾向がある
私も見世物にはしたくなかった

気掛かりなのは、母の状態は勿論の事、希望先の病院は空いているのだろうか?と不安だらけに押し潰されていた


それから、救急隊員を家に招き入れ、
今の体調を母に質問していたが、全く答えられず

代わりに私と父で当日の状況を答えた

ストレッチャーに乗せられ、家を後にする母の姿は本当に痛々しくて

心の中で静かに“元気な姿で帰れるように”と願った


その後、救急車内で隊員の方が意識レベルの診断、モニターに接続し心拍数の検査、搬送の受け入れ先等を調べていた

大変な仕事にも関わらず、
案内や説明も丁寧であり、尊敬すべき姿であった

もしも、母が正気であれば「良い隊員さんだったね」と言うに違いない


続きを読む

1/10(木)夜間

留守番中も落ち着かないまま、ただただ時間だけが過ぎる

人生の中で、最も時間が流れるのが遅く感じた


何か食べとけと言われたが、全くそういう心境では無い


たまに父から状況を知らせる連絡が入る度に緊張する私


その後、母の処置が終わった時に
「先生がお前も説明を受けたほうが良い」と父から電話で聞き
急ぎ、タクシーで救急センターへ向かおうとするも
こういう時に限って、近場では空車が見つからない


母の体調が気掛かりで平静を保てなくなっていく

なんとか、迎えに来て貰えるタクシーを見つけ、慌てて乗り込んだ


道中も廻りの景色が微塵も目に入らず、ただただ無事で居て欲しいと思っていた


到着後、父と合流は出来たが急用により、医師の手が空かない為、
先に看護師から同意書等の説明と必要項目への記入、
それから判子の押印等を行っていく


その小さな部屋に医師が到着、それから状況の説明を受ける


憎き病名は左頭部の“脳 出 血”(脳溢血とも言う)


【以下、医師の説明内容】

広範囲なので、恐らく後遺症は残ると思うが
今後の回復とリハビリ次第で日常生活に戻れる可能性もある

手術で取り除くと患部が腫れて、悪影響を招く恐れの為
現在の高い血圧を薬剤で低くして、自然に出血が吸収されるのを待ったほうが良い

その為、手術の適用外との判断にした

今すぐ、命に関わることでは無い
↑これは本当に安心した


そんな感じの説明だった

(これは後で父から聞いた話だが、自然吸収か手術かで随分と協議されたらしい)


そして、母が入院中のHCU(高度治療室)への入り方を教わる

家族待機室にあるインターフォンを押し、患者名と自分の続柄を名乗り
了承が出れば、入室できる仕組みだ


搬送された母とようやく対面する

眠っていたので、顔だけ見て、その日は帰路についた

父と会話をしていたと思うが内容は全く覚えていない

何故なら私は強い不安で動揺していたからだ

1/11(金)深夜〜早朝

帰宅後、身体の疲れと精神的なショックの中

病院関係の資料を整理し、必要な物の準備を行い、

とりあえず、自分達も少し落ち着いて寝ようかとの流れになる





無意識にシャワーを浴び
布団に潜り込み目を閉じる










寝れない…





万が一、何かあれば病院から連絡しますと言ってたっけ?


お願いウチの電話よ、何も受信しないで





虚しく時計の刻む音だけが流れる空間




熟睡するのを諦め、ネットで“脳出血”と検索する



「脳溢血や脳梗塞等を全て含め脳卒中と呼ばれる。

かつて、我が国民の死亡率第一位であった。

今は高血圧の予防等により減少してきた。
それでも“寝たきり”や“強い後遺症”を起こす原因となり、恐ろしい病気である事にはかわりない」


「脳内出血で影響を受けた細胞は元には戻らない」

「出血の箇所により後遺症や障害は様々」

「再発し易いので血圧を安定させる事が予防の為にも重要である」





ねたきり、しょうがい、こーいしょう…




調べるとネガティブな情報ばかりじゃないか


今夜はもうネットを見るのよそう





眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、眠れ、



頼むから私を寝させておくれ




それとも私が悪夢を見ているのか?





残念だが全て現実であった





結局、眠りにつけたのは早朝であり、起床したのも早朝だった



とにかく、目覚めた時から頭が痛かった



今の体調は最悪だ

何より居る筈の母の姿が無い


いつもの朝では無いのだ



自宅で母と会えるのは何日、いや何ヵ月後になるのだろう?
続きを読む
前の記事へ 次の記事へ