マクロビオティックに対する疑問 著 者: まーしー  今、スローフードとかロハスとかが流行りつつあるように思う。ロハス系の食事にも色々あり、ベジタリアン、ヴィーガン、ローフード、マクロビなど、さまざま。 今回はマクロビオティックについて、思うことを書きます。  「アメブロ マクロビ」で検索したら、以下のブログを見つけ、読んでみた。マクロビオティックの大家・久司道夫氏の著作への疑問、夫人の癌死に関する記述について。 ameblo.jp  このブログでは、マクロビの大家の一人と言われている久司道夫の著作、理論の矛盾を突いていた。ちなみに私は、最初、久司氏の本を読んで、マクロビにのめり込み、氏の講演会にも一度行ったことがある。しばらくして、マクロビなるものにも色々な流派というか、普及者がいることが分かり、他の指導者の本を読んだりしてみた。マクロビの理論は明治の陸軍薬剤官の石塚左玄の夫婦アルカリ論に始まる。ナトリウムとカリウムのバランスが、中国哲学の易学の陽と陰の均衡に対応し、陰陽のバランスを整えることで人間は健康になれるというものだ。それを、桜沢如一(1893年10月18日 - 1966年4月23日)が西洋哲学、宗教、中国哲学などを研究して「無双原理」として体系化した。一応、マクロビオティックという言葉を、食養、正食、長寿法という意味で使いだしたのは桜沢が最初だ。 桜沢は弟子をたくさん育て、世界中に放って、マクロビオティック普及活動を展開した。自身も世界中を巡って普及に人生を費やした。 桜沢の弟子で有力だったうちの一人が、久司道夫であるが、彼のマクロビオティックは師のものとはかなり違う。そのため、久司自身もクシマクロビオティックと呼称している。  上記のブログにも示されているように、久司の理論と実践には多くの問題があり、もはや私は、彼はペテン師だと思っている。  ところで、なぜいまだに私が、曲がりなりにも、マクロビオティックを捨てずに自己流で実践しているかと言うと、非科学的でにわかに信じられないところも多いが、よく噛んで食べることが重要とか、お米を主食にして、野菜や海草を副食にすることや、みそ汁を重要とすることなど、基本的に伝統的な日本の庶民の食生活とほぼ同じであり、戦後日本人の食生活が大きく欧米化するとともにガンや生活習慣病が増えたことに相関関係があることは直感的に、ああそうかもなと思えたからである。因果関係があるかはまだ、解明されてはいないと思うが。 また、実際に玄米を圧力鍋で炊いてみたら、思いのほか非常に美味しかったし、伝統的な製法で作られた味噌や醤油の味も確かに美味いと思ったことも大きい。 要は、あまり理屈ではなく、自分が美味しいと思ったから、だ。肉や魚や、卵や乳製品を食べなくなっても、自分は特段不満はなかったので、それほど抵抗感もなった。食べなくても生きていけるなら、余計な食費がかからなくて、返って好都合だとさえ思ったわけ。実際、自分はもう4年ほど続けているが、年に数回しか動物性食品を食べていなくても、特別な健康の低下は感じられない。 植物だけで生きられるなら、普段はそれでいいんじゃないかな。  神道においても、お米は水・塩とともに神棚にお供えするものだ。  マクロビオティックのちょっとアヤシイ理論(今のところ、個人的には割と好きな理論、哲学だけれども、科学的な実証、説得力に欠けるのは事実)よりも、神道の教えを学んで、日本人の生き方の一環として、お米を大切にいただいていきたいと思う。  昔の私もそうだったが、マクロビオティックには信者のようになってしまって、その世界に閉じこもったり、布教活動を熱心にしたりする人がいる。本人は、これこそが人生の真理だと思い込んでいるので、多少厄介ではある。  どんなことも、これが絶対!というものはないと思う。人生で二度と同じ時は経験しないし、同じ人間もいない。思想・信条の自由はあるが、それを押し付けてはいかん。自分が好きでやるのはいっこうに構わないけれど、他人に強要してはいかん。 マクロビの人たちは、平和主義者がほとんどであるから、ぜひ柔軟に物事にあたってほしい。そうでなければ、彼らの望む平和からは逆に遠ざかってしまう。アーティクルリソース:www.infomake.org