生理で猛烈なる貧血に陥り救急車よびますた。
しぬかとおもったぜよ。いつも死にたい死にたい言ってるのにいざ死にそうになると助かろうとしてしまうんだなあ。
家から離れてる病院なので親をよんだのですが嫌な予感しかしません。
呼んでからすでに1時間半経ってるのにまだこないし、連絡もないし。
もうやだ……ほんとさっさとこの家でたい。
母親はまたヒステリックに騒ぐだろうし、親父はキレ芸をひろうするだろうな。
でも家出るためにははたらかねばならないし、働くためには精神なおさねばならない。それまではひたすらストレスためて我慢するしかない。もういやだ。
家に帰りたくない。はやくこのクソ田舎からでたい。周りは老人ばっかだし、時々見かける若者はもさいヤンキーみたいなのばっか。どんどん気持ちが腐敗していく。
高校の友人に話したら理解してもらえたんだけど、身なりとかなにかしら見た目に気を遣わないものをずっとみてると気分悪くなるんだよな。
気持ちも憂鬱になっていく。
田舎だからオシャレすると逆に浮くのがつらい。
親も私の趣味を否定してくるし、好きな格好ができない。
数少ない私の楽しみがさらになくなってしまった。
はやくこんな肥溜めみたいな土地を抜け出して生きたい。
母と子の愛を描く系の話マジキモくてむり。
私は自分の母親を嫌悪しているから。
私が思春期ごろ母親の統合失調症みたいなのがひどくなっていたからそれがトラウマになっている気がする。
自分の中のこのモヤモヤを反抗期によるものだとおさえつけていたけれども結局変わらず。
あの頃は気持ち悪いより、怖いだった。
見えないなにかに怯えたり、私のことを詮索してきたり、妄想にかられて警察にとびこんだり。
あんなの母親じゃないと思った。
表情が死んでいる。目が現実を見ていない。背骨が丸まっている。髪はボサボサで、動きがのろい。舌足らずで声が子供のようだった。
妖怪か、なにかに取り憑かれているんじゃないかと思った。
母親なのに、母親じゃない。母親の姿をしたバケモノだった。
私が中学2年だった頃かな。
自分の部屋で机に向かっていたら、知らぬ間に母親が背後に立っていた。
そして、突然抱きついて来たかと思うと「おかあさんはオナニーなんかしてないからね」といって泣き出したのだ。
本当に気持ち悪くて、怖くて、訳がわからなくて、何も言えずに私は泣いていた。
あれ以来母親に対する嫌悪感が一気に増した。
母親が気持ち悪い、嫌いと言う人はめったにいない。
言える雰囲気じゃないし。
そんなこといってもまともな母親を持った人に、産んでもらったくせに何言ってんだと説教されるだけ。
だから、わたしもそういう人の言う通り、母親が気持ち悪くても我慢できない自分がいけないんだと責めていた。
産んで欲しいなんて一言も言ってないけれど、
こんな親のもとに産まれたことを有難いと感じることはできないけれど、
勝手に子作りしたくせに親の義務も果たせない親に感謝しなければならない。
そうしなければ私が人でなしのようにみられる。
私は産まれた時点で人でなしだったんかな(笑)
生まれなければよかった。生まれたくなかったなあ!!!
あ〜死にたい!
でも、こないだカウンセリングで、初めて私の親に対する感情を肯定してもらえたからあのときは元気でたんだ。
はやく親のこととかどうでもいいって思えるようになりたい。
こんなクソ親だったけど私はげんきです!って言えるようになりたいーなってやるー
精神科とかメンクリにいきはじめて一年半くらいになり、何度か医者を変えてきて初めてカウンセリングをすることになりました。
そんなわけで、少しでも良くなるのをねがって日記をつけ始めたいと思いブログを開設しました。
忘れっぽいので言われたことの備忘録という意味合いも込めて。
ここは自分用の日記のつもりなのであまりこれまでの経緯などを説明的には語りませんがそのうち書くかもしれません。
なんかめんどくさくなってきたのでとりあえず今日話したことを記録しておこう。
親のクソさを語った結果、あなたは優しすぎるから親に振り回されてる的なことをいわれました。
いままで親がクソとは思えど親不孝とか薄情とかおもわれるのがいやで直接人に訴えたことはなかったんです。
それでカウンセラーにはらをわって話したところわたしの気持ちを汲んでもらえたのがうれしくて少し泣きました。
以上。