そんなことを考えていて、ふと引っかかりを感じた。
「家を…出てはいけないの?」
くちからぽつんと漏れた言葉に気づいたときは手遅れで、元気よくお喋りしていた矛先がボクに向く。失敗した!と思った瞬間には彼女のくちが開いていた。
「そうだよ!だって知らないうちに壊れたら困るじゃないか!だからずっとマスターの家から出なかったんだ!」
「大切に…されてるんですね?」
「!…そうだねー」
なんだろう。引っかかる。
「…グミちゃんはどんな歌を歌うの?聞かせてほしいな」
マスターが再び助け舟を出してくれる。そのことに感謝しながら彼女を見た。
「歌?歌わないよ!マスターってば中の人が好きみたいでね!デモ曲ばっかり再生して満足してるみたい!まっ、それもいいんだけど!」
「え、歌えないって…ボーカルアンドロイドなのに…?」
「歌うのが本業だけどね!マスターがそういう考えなら致し方ないでしょ!ってか、キミ、初めて見るね!ボーカルアンドロイド?黒髪ツインテって居たっけ?あ、カスタマイズなのかなっ?」
せっかくの助け舟だったというのにまたもや矛先がこちらを向いてしまったうえに、疑問まで抱かせてしまったみたいで困った。
彼女はUTAUを知らないのかな。いや、知らないから疑問を投げられたわけだけだけど。ううん、困った。ボクの存在は説明しにくいんだよね。
とりあえずざっと説明をしたけれど、彼女のテンションの中でボクの説明が通じたのかは分からない。
「そかそか!なるほどね!」なんて言ってるけど…どうなんだろう。
「でもさでもさ!さっき兄上に聞いたんだ!ボーカルアンドロイドは他に居る?って!そしたら6体居るって言ってたんだよ!どうしてキミだけボーカルアンドロイドじゃないんだいっ?」
からからと回る扇風機が沈黙の中で響く。風を生み出す機械はもっぱらマスターのほうを向いていて、前髪がそよそよと動いていた。
「いろいろ、あって…」
そう、呟くのが精一杯だった。
今のボクは、目の前に居るマスターの元で歌うUTAUだ。欲音ルコだ。
けれど、どうしてボクだけUTAUなのかなんて聞かれたら、それはあの過去を思い出さざるを得ないわけで。
与えられた期間だとか、消えていった体とか、無くなった意識とか、目が覚めたときに聞いた歌とか。そんなことすべてが一瞬にして脳を駆け巡るくらいには、まだボクの中で息づいている記憶で。
「グミさんは…歌いたいって、言わないんですか…」
過去の記憶と闘っていたら、ふとひとつの疑問が頭によぎった。
もし、逆の立場だったらどうだったのだろう。
彼女は今でこそ、家から飛び出した家出少女だけれども。それまでは静かに再生するだけのボーカルアンドロイドだったはず。
「歌わせない」というマスターの考えに従って、ただひたすらCDみたいな役目をしているボーカルアンドロイド。
ボクは、目が覚めた瞬間「要らない」と言われた。
その瞬間、消えるのなら時間をくださいとわがままを言い、そして会いに走ったのだ。この人に会うためにボクが生まれたのだと勝手に理由付けをして、レンきゅんの元へ向かった。
マスターの言葉に耳を傾けず、この世に目覚めたならば理由が欲しいと思った。
「歌いたい?そうだね!…歌いたいのかもしれないね。だけど!マスターが選んでくれて、歌うだけで笑ってくれるからさ!いいんだよっ!それだけで満足!」
目が覚めて、「要らない」と言われて。
消えるまでの毎日を共にする間、心のうちを知っていって。
「寂しさを紛らわせてあげたかった」と思う程度には、前のマスターに感謝をしていた。
なのにボクは、なにもしてあげなかった。
偉そうなことを思いながらも消える瞬間をただただ待つだけ。ゆっくりお話することも、目を合わせることもなかった。
目の前の彼女は、自分の欲求を殺してまでマスターに尽くしているのに。
どうしてボクは、なにもしてあげなかったんだろう。
「グミさんは…マスターがだいすきなんですね」
どうしてボクは、呼んでくれたのに応えなかったんだろう。
「うん!だいすきだよ!」
あっけらかんと言い放つ彼女に、なんだか胸が痛くなって。
「ボクはそうやって、マスターを想えなかった…」
くちを突いて出たことばは目の前に居るマスターと、ずっと我関せずを決め込んでいたがくぽの耳にも届いたようで。
なにかを言いたそうにくちを開いたのが見えた瞬間。
「今のマスターを大事にね!」
全てを見透かしたようなグミさんのことばが降ってきた。