「在宅死」考

「往診に支えられた」「家族に迷惑悩み」 終末期への思い、読者から体験談

連載企画に寄せられた読者からの手紙やメール
連載企画に寄せられた読者からの手紙やメール

昨年1月にスタートし12月に第5部で終了した産経ニュースの連載「在宅死考」では、病院ではなく、自宅や住み慣れた施設で迎える最期について多角的に考察した。「夫を在宅で看取り、できることは全部やったので後悔はない」「大変だが、いろんな機関の助けを借りればできないことはない」。人生の終末期について、大勢の読者から、メールや手紙、ファクスでさまざまな経験や思いが寄せられた。

専門職に感謝

新型コロナウイルスの感染拡大によって、ひとたび入院すれば、家族が簡単には面会できない状況が続いた。「残された時間を無駄にしたくないと思い、在宅を選びました」。昨年3月、がんの夫=当時(67)=を在宅で看取った和歌山市の西庵(にしあん)真由美さん(65)はそう振り返った。

「当初は不安の二文字でしたが、往診してくれる先生、毎日の訪問看護師さん、リハビリ、入浴サービス等ケアマネジャーの方が計画を立て、皆さまが支えてくださいました」。西庵さんは医師や看護師ら専門職の連携態勢が整っていたことへの感謝を記した。

大阪市西淀川区の原野八郎さん(88)は「家に帰りたい」と入院先で泣いていた妻を退院させ、在宅で慣れない介護に奮闘したという。妻が亡くなる3カ月前から毎日訪れた訪問看護師に対し「自分の親のように面倒をみていただいたことに感謝感激」とした。昨年3月に亡くなったが「妻の気持ち通りに運び、よかった」とつづった。

ただ、本人が望んでも、自宅で最期を迎えられる例ばかりではない。大阪市内の病院で医療ソーシャルワーカーとして働いていた女性(36)は「患者さんから自宅看取りの相談を受けても、医師や家族、ケアマネジャーの反対で仕方なく療養病院や施設入所をした方を見て、やるせない思いだった」と打ち明けた。

「患者や家族、医療従事者が『こんな病状でも在宅療養ができるんだ』と知る機会が増えれば、患者の希望に沿うことができるのではないか」と要望した。

自分は施設に

連載では、自宅だけでなく、住み慣れた施設で迎える穏やかな死を紹介した。在宅で配偶者を看取った読者の中には「自分の場合はそうはいかない」とし、施設での最期を思い描く人も多かった。

がんの夫を16年前に在宅で看取ったという堺市西区の奥中登美子さん(86)は子供や孫と同居しており、夫は「家族、孫のにぎやかな声を聞き、心なごんでいたと思う」。最期は家族に囲まれ「ありがとう、もういい、もういい」と静かに眠るように旅立った。だが、自分自身の最期については「家族には迷惑はかけたくない」「家族にお願いするか介護施設か悩んでいる」とした。

大阪市西淀川区の富岡芳子さん(81)も平成22年、がんの夫=当時(72)=を1年間の在宅介護の末に自宅で看取った。「臨終のときは子供の家族みんなで見送ることができ、満足してくれたと思っています」。だが、「夫婦と親子は違う。(子供は)仕事もあり住まいも別で、私の場合はそうはいかない」とし、「穏やかに看取っていただける施設を増やしてほしい」と願った。

負担に課題

読者からは、さまざまな課題も投げかけられた。

「女性を介護の犠牲にせず、男性も中心になる介護を求めます」。在宅介護の担い手になった女性が、キャリアを捨てるケースもあると指摘するメールがあった。また、「本人の希望通りにすれば、介護する側の子供たちが大変だ」「自宅での介護は困難で難儀なこと」と悲観的な意見もあった。連載では、独居で親族がいなくても、訪問介護・看護を受け自宅で最期を迎えた例もあることを紹介。親族の献身は必須ではないものの、負担をいかに減らすかは課題だ。

また、在宅看取り中に容体が急変し、とっさに家族が救急車を呼べば、想定外の延命処置がされるという指摘もあった。ただ近年では、救急隊員が、かかりつけ医らの指示で心肺蘇生(そせい)を中止する対応を可能とする消防本部も増えつつある。

昨年9月に母親が心筋梗塞になり、在宅医療を選択したという大阪府岸和田市の北垣内幸代さん(59)は10月に掲載された記事「死に抗(あらが)うことをやめよう 正面から見送る医療が必要」について「まさしく私が思っていること」と感想を寄せた。「母が家族の豊かな時間を感じ、私たちは後悔せず死を真正面から捉えられるよう、母と過ごしていきたい」と記していた。

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