「バルサさま。お願い」

酷いことをしないでと少年は懇願し、その願いを精霊は叶えた。
緑の瞳の中で蠢いていた憎悪は瞬く間に姿を消し、精霊は己を呼んだ少年の側へと駆け寄った。
誇り高き精霊が地に膝をつき、幼い少年と目の位置を合わせた。

『お泣きでないよ、愛し子。怖い思いをさせてしまったねぇ。酷い事は何もしないから、私を許してくれるかぃ?』

少年とを隔てる木の根に触れながら、精霊は慈しみのこもった声音で告げた。零れ落ちる涙を手の甲で拭いながら少年はこくりと頷き「ごめんなさい」と呟いた。

『なにを謝るんだい?お前が謝る必要なんて少しもないよ。すべて私が決めた事だ。お前を責める者なんてどこにもいやしなぃよ。私がそんなことなんてさせやしないさ』

誰にも誰であっても、私の愛し子を傷つけさせないと緑の精霊は誓い、死神は愕然とした。

わかっていたことだ。それでもこんな事が赦されていいのか。双子の神のすぐ側にあることを許された、至高の存在が、ヒトに跪<ひざまず>くなどと……。

「なんということを、灰色さま。誇り高き精霊の導き手が、ヒトにかしずくなんて」

どんなに望もうと、触れあうことすら出来ないヒトに、木の精霊は心を奪われたのだ。時も世界も、彼らのまわりにある全てが二人を隔てるというのに。
なんと、愚かな事であろうか。

『私の誇りはこの子だ。この子と共にある日々を得られるならば、他に何をのぞもうか。さぁ、はやく失せるが良いよ、死神姫。優しい愛し子が貴様の死を厭<いと>うならば、今回だけは見逃してやろう』

もはや、憎しみさえも死神に向けることはなく、ただただ、目の前の儚い命だけをその瞳にうつしていた。


盲目的で身勝手な恋に狂った精霊から視線をはずし、死神は彼らに背を向け歩き出した。

風が吹く、砂煙が舞い上がり、その向こう側に、死神の姿は溶けるように消え去ったのであった。



―終―