何処から何処までが恋、
で
何処から何処までが本能
なのか、とか。
ふたつを足したら、その先に……?
掛けたら、割ったら、その先に……?
愛にあって恋にないものはなんだろう、とか。
そんなことばかり考えるのです。
「っ……すみません!」
葉桜の季節。眩しいくらい鮮明な新緑。
張り切って借りたレンタカー。
きみの行きつけの店のティーサイダー。
あとで食べようとした温泉まんじゅう。
2人だけの客室と部屋付けの露天風呂。
色もサイズも違う浴衣とタオル。
露天風呂へと繋がる脱衣所。
好きなひと。
それから、僕。
「ーーーー本当に、ごめんなさい」
キャミソールから覗く白い肌は、ほんのりとピンク色を纏って、かすかに震えていた。
露わになった肩や鎖骨とは比べものにならないほど、赤く染まった頬と涙を浮かべる瞳
顔を背けられても、僕にはわかった。
(あーあ、どうしよう、どうしたら)
きゅっと噛みしめられた唇がゆっくりと綻び小さな声で
言葉を紡ぐ
「…ごめん、なさい…っ」
あ、溢れた。
大きな瞳からこぼれ落ちた涙が
流れ星みたいで綺麗だなと思った
それから僕はやってしまったな、とも思った。
「……」
「……」
張り詰めた空気と、重苦しい沈黙に
たった数分前のことを考える。
温泉にどうやって入るか。順番こにする?
せっかくなら一緒がいいかな?
それなら反対側を向く?
…タオルを巻けば大丈夫かな?
2人で笑って、歪な答えを出した。
余談ではあるが、ここを予約する時
『カップルプランで予約しますよ、いいですか?』と伝えていたし
君は『なんか、恥ずかしいですね』と笑ってくれた。
了承してくれた君は、僕とカップルと見做されても良いんだと…ずっと求めていた答えが形になった気がしていた。
だから僕は、
緊張するけどごく自然な流れかなと思ってた。
脱衣所にきて、やっぱり恥ずかしいと言う彼女。僕は少し考えてからTシャツを脱いだ。
これで僕の方が恥ずかしくなりましたよと笑えば、困ったように笑ってくれた。
それでも、やっぱり恥ずかしいよと僕に背を向けた。
これは漫画でもよくある展開だ。
こういうのはリードして、の合図だろう。
漫画に描くのは簡単だが現実ではとても勇気がいるものだなと、尋常ではない鼓動のリズムに生唾を飲んだ。
ゆっくりと歩み寄り、優しく後ろから抱きしめるようにしてワンピースのボタンに手を掛けた。
大丈夫です、なんて囁く言葉とは裏腹に
僕はちっとも大丈夫なんかではなかったし、
彼女は確かに「待って」と言っていた。
それなのに。
漫画の主人公でもない癖に。
自惚れた僕はその手を止めなかった。
「…すみません、気持ちが先走ってしまいました」
やっぱり、初めは
優しくちょっとずつ。
それが正解だったのかなとか、後悔する。
様子を伺いながら、再びボタンに手をかける。
…今度は、もっと優しく
もっとゆっくり。
「ぃ…いや、」
その言葉と同時に優しく包んで突き放される両手…
ああ、拒否されてしまった。
行き場を失った両手と感情が、どんよりとした重力に負けてぐったりと落ちた。
「ごめんなさいっ…わたし、やっぱり」
続く言葉はきっとまた、拒絶だろう。
その言葉ごと阻止するように、
頭からすっぽり、いちばん大きなタオルを掛けてみた。
彼女は驚き
その華奢な肩が小さく跳ねて、潤んだ瞳が僕を見上げた。
…あの日と同じようにふんわりとあの香りがする。
(やっぱり愛おしいや)
「やっ…」
驚いたことに、僕はタオルごと彼女を抱きしめていた。
腕に閉じ込めたと同時に聞こえたのはまたも『嫌』。
(…どうかしてるんじゃないか)
僕も彼女も固まったまま、動けなくて
ただ心音だけが2つ
トクトク鳴っていて
ひとつの機械にでもなってしまったみたいで
不思議な気持ちになった。
「…奏さん、」
僕の名前に、小さくて優しい『だめ』が続く。
きっと今、僕はとてつもなく情けない顔をしてると思う。
僕らは"両想い"なのに。
やり方を変えても、僕は優しく出来ないのかな。
それとも今日から始めるこの"恋人としての1ステップ"を僕とは踏みたくなかったのか。
ほんとのことは何ひとつわからないけど、
「……だめ、ですか?」
どうしても、と僕。
「…だって……」
彼女の声が震えて、またぽろぽろと涙が溢れる。
懲りずに僕は
(宝石みたいで本当に綺麗だな。)
「…だって?」
「だって。…やっぱり、やだよ…こんなの」
とまた泣いてしまう君。
きみからしたら、
こんなの。
その一言で片付けられてしまう、この状況。
どこからどこまでをきみは"こんなの"というのだろう。
…やっぱり、その程度だったのだなと僕は悲しくて悔しくて。
独りよがりに確信していた《両想い》に
浮かれた自分の滑稽さにも、恥ずかしくなる。
僕の中で何かがぐらりと揺らいでしまって
半ばやけくそで、ずっと大切に抱えていた想いを乱暴に投げつける。
「僕はずっと、望んでいましたよ。
君とこうなりたいって。」
ずっと、ずっと願ってた
恋人になりたい、と。
初めて会ったあの日から、
僕はずっとそう思ったのに。
声に出してしまった瞬間、
僕の初恋が玉砕するんだろ。
ーーーーーああ、終わったな、
と妙に冷静さを取り戻す。
「…っ……」
「僕はずっと、望んでいましたよ。
君とこうなりたいって。」
彼は真っ直ぐにわたしを見つめてそう言った。
「…っ……」
不誠実な言葉と
誠実な眼差し。
困惑する頭で整理するも視線が絡んで、
思わずわたしはまた泣いてしまう。
彼と出会ったあの日から、
わたしは不思議とこの人の纏う優しい空気に
安堵を感じてた。
忘れ物のピアスを拾ってくれたのがきっかけで、
2人でお茶するようになって。
気づけば、彼の
控えめで真っ直ぐなところに惹かれてた…
そんな彼との初デート。
せっかくだからと、個室を借りないかという提案に
"この日がきっと記念日になる"
わたしはそう思っていた。
どきどきしながら過ごすお部屋で、
あとで温泉に入ろうという話になった。
…どうせなら一緒がいいねと、お互いに"好き"を言葉にできなくてその選択をした。
幸せです、と彼は喜んでいて
わたしも"告白の予感"に胸が高なった。
……でも、彼は一向にその様子は見せず
ついにはわたしの手を引いて脱衣所まできてしまった。
希望を捨てきれなかった、わたしも悪い。
それでもやっぱり好きな人から
"身体だけの関係"を最初から望んでいたと突きつけられるのは
あまりにも耐えられなかった。
「…幻滅……しました。」
あなたも、あの日の彼と一緒…
紳士を装って追いかけてきて
家まで上がり込もうと強引迫ったあの男と同じだなんて。
嫌な記憶とあなたとの幸せな時間がごちゃ混ぜになって
涙が溢れて止まらない。
「あはは、幻滅までされてしまいましたか…」
彼があまりにも悲しく笑うので、
胸の奥がきゅうっと締め付けられた。
(どうしてこうなっちゃったんだろう…
わたし、どこから間違えちゃったんだろ…)
涙が止まらないわたしを
彼はずっと優しく、悲しげに見つめる。
…程なくして、彼の薄い唇が少し震えながら開かれた。
「僕が」
「…」
「僕なんかが…」
「…」
「………きみの恋人になりたいなんて、
痴がましい話ですよね。…本当に。」
震えた声と、少し揺らぐ瞳に言葉を失った。
「っ…?」
「…本当にごめんなさい。
どうか、忘れてください」
そう言って、あなたはすごく綺麗に笑うから
聞きたいことが沢山あるのに
言葉よりも先に涙が溢れてしまう。
「そんなに泣かないで…?
僕もさすがに傷付きますよ」
少し、と優しさを付け足して。
「…か、なでさんっ…」
振り絞って出た声は、ぐずぐずで。
わたしはきっと酷い顔をしてると思う…
それでも、ちゃんと聞きたかった。
「はい…なんですか?」
いつもと変わらない優しい声に
胸がきゅうっとなる。
「……ん、
わたしと…恋人にっ…?」
泣きすぎてうまく喋れない
それなのに、あなたは。
わたしの零す言葉の間に、
優しい相槌をうってくれる。
「うん…?」
「…なりたかったの?
ワンチャンじゃ、なくって…
…恋人に…?」
「…えっと…わんちゃん?」
「だから…カラダだけのっ」
「あぁ、」
そういうことか、と。
彼は少し苦笑を浮かべ、ゆっくりと首を横に振る。
「はぁ…いいですか。
さすがに怒りますよ…?
僕は、花音にそんな安売りはして欲しくないです。
…そんな同情、される方がよっぽど傷付きますよ」
「……(あれ)…っ?」
何かがおかしい、
ーーーーそう、今。気付いてしまった。
これまでの会話が全て、お互いの言葉足らずで
全部を真逆受け取って。
お互いに傷つきあっていたことに、気付くのか遅すぎた。
「…奏さんっ!」
突然のわたしの大声に驚いて、
大きな身体がびくっと跳ねる。
「!…今度はなんですーーーー」
最後まで聞き終えずに、わたしは彼を抱きしめていた。
「花音…?!
な、何考えてるんですかっ」
力強く身体を引き剥がされた反動で転んでしまった。
見上げれば、真っ赤になって困惑してるあなたと目があって
なんだかおかしくなってつい笑けてしまう。
「わたしたち、大バカ者ですねっ…」
「……は…?」
尻もちをついてしまったわたしの前に、
難しい顔をして膝をつくあなた。
「足らなすぎるんです、わたしたちは…」
なにが?と言いたげな顔で、そのまま座り込んでしまう。
「…あのね」
ぜんぶの言葉がたりなくて。
汲み取り方もたりなくて。
差し出した意図も分からずに、ふたりして差し出しあうからこんがらがったの。
「…だから、ほんとは全部おんなじことで…」
気付くのが遅すぎたくらい。
ふたりの間違えをひとつずつ解いて
すべて吐き出す頃には、あなたも笑顔で。
無理やり嵌め込もうとして
ぐちゃぐちゃにしたパズルのピースも。
ぜんぶ、ただしい位置に嵌め直したら
あなたはわたしの手をそっと握って
ずっと待ってた言葉をくれた。
「じゃあ…僕と付き合ってくれますか…?」
こんどは絶対に間違えてしまわぬように
きちんと言葉を選んで、あなたに差し出した。
「はい、恋人になりましょう」
今朝、友人を迎えに行ったマンションへ
恋人を送るり届けるなんて不思議だ。
「それじゃあ、またね」
閉まりかけたドアを引き留めて、もう一度"僕の恋人"を覗く。
「花音」
振り返る彼女に僕は言う。
「考えたんですけど、あの時の答え…
」
小首を傾げる僕の彼女。
「ワンチャンは嫌ですけど、
わんちゃんにならなりたいですよ」
きみに少しでも笑ってほしくて、ふざけてみる。
もお、と笑って離れていく彼女に
僕がホントに犬だったならきっと今でも尻尾を振りまくっていると思う。
にやり、性の悪い素顔の笑みが零れたのが自分でもわかる。
今度こそばったんと閉められたドアの外で、僕は最後に見た君の顔を思い出して、ひとり笑ったり。
帰りの道を歩きながら、僕は思う。
人って変わるものだなぁとか、それも悪くないかも、とか。
初恋は叶わない、そんなジンクスに怯えていたのに。
君には違うみたいだ。
それもそうか。
たらないふたり
(だってこれは恋じゃなくて愛なのだから)