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急に寒くなりました。

一昨日は夏のパジャマにタオルケットで寝ていたのですが、寒さで目が覚めたほど。
昨夜もあまりに寒くてとうとう毛布をひっぱり出して頭からひっかぶって眠りました。居心地良すぎてうっかり昼の二時近くまでとろとろ寝倒してしまいまして。

この調子で少しずつ秋を経て、愛しい季節がくるのでしょう。
虫は眠り、草木も枯れて、水は凍る。
冬ですよ。冬ですよ。



どうも。
クズです。

八月、九月と拍手をくださった方、ありがとうございます。

九月入っても細々と拍手が来ることに驚きを隠せません。本当に不思議です。実質サイトはロールとサブマスがメインになっている状態で、八月の頭に拍手文を入れたきりそのジャンルでは何も更新はない。九月の始めぐらいに短い黒バス文を入れて、あともうずっと更新はなし。なのに断続的に拍手がきている。誰だよこの女神。会って拝ませなさいよ。裸足で踏んでくださいよ。ねぇ。

創作については、只今サブマスで一作お話を書いています。自分で書いていて妙な不安に引きずりこまれる。誰よりも身近にいて誰よりもよく知っている人に実は自分の知らない怖い裏の顔があるかもしれない…という漠然とした不安。そんな話にする気はなかったんですが…?

あとできたら京極で短いの一つ書けたら上げたいと。



このあいだ芥川龍之介の「戯作三昧」という小説について語り散らしましたが、次は何について駄弁りましょーかなーと思案しております。

夏目漱石が書いた怪談についてか、或いは江戸川乱歩の短編の中から好きな話を片っ端から語ろうか、又は綿矢りさの小説から好きなフレーズを抜き出してみようか。

なーにがいっかなー。
気楽なもんだなー。

眠いなぁ。

黒子と緑間




 不思議青年たちの午後。青い青い空にひなびた雲が横たわる。閑散とした喫茶店のテラスは涼しい。日覆いが強い日射しから守ってくれているためだ。
 空を海とするならば地上は海底で、僕らはさしずめ深海魚ということになるわけだが、しかし深海魚はベーコンとほうれん草のキッシュなんて口にはしないだろうと黒子は思った。彼の皿の上には一欠片のチーズケーキタルトとワンスクープのバニラアイスが乗っている。
 キッシュが乗るのは向かいの同級、緑間の皿である。

「緑間君の記憶容量は何リットルでしょうか」
「測定不要だ。追加でコーヒーゼリーを頼むが、お前は何か注文はないか?」
「アメリカンコーヒーをお願いします」
「アメリカンだと?そんな薄めたコーヒーなんて香水と同じなのだよ」
「苦いの、そんなに得意じゃないんです」
「まぁいい。すみません、アメリカンコーヒーと、コーヒーゼリーをお願いします。……さて、お前が貸してくれた本だが、なかなか悪くなかった。だが俺が好感を抱いていた男が犯人で焼身自殺をすることになるとは思わなかったのだよ。お蔭で夢に出て魘されることになった」
「それはご愁傷様です。緑間君、ケータイにつけているそれは今日のラッキーアイテムですか?」

 緑間がテーブルに、黒子から借りていた文庫本を置いた横には、緑間のケータイが置かれている。余計な装飾を厭う彼のケータイには基本的にストラップ等はついていない。
 だが、今そのケータイにはひとつのストラップがついていた。夏の濃ゆい緑葉の血液の一滴を閉じ込めたような、ビリジアン混じりの硝子玉がついている。シンプルイズベスト。

「いや、これは別に、何でもないのだよ。ただ付けているだけだ」

 緑間の言葉に揺らぎが生じた。
 黒子は霊能者が霊視をするごとく、そのストラップに一人の男の影を見出したが、目の色変えることなく淡淡と会話を続ける。

「ケータイにストラップをつけるのはあまり好まなかったと記憶しているのですが。趣旨変えでもしましたか」
「そんなところなのだよ」

 そんなところだと言いながらも緑間は、自分のケータイにストラップをつけた人物のことを見通されていることを何となく察して落ち着くに落ち着けなかった。ジンジャーエールを一口飲み、喉を過ぎていく炭酸にしばし意識をやる。黒子はチーズケーキタルトを食べ、バニラアイスを一匙すくって口に運ぶ。
 どこかで賑やかな声がする。水風船が弾ける音もする。風鈴が鳴く。雀が落ちる。蝉は居ない。

「今頃、きっと君を探してますよ」
「お前も同じだろう」
「そうですね。そんな気がします。緑間君、もし彼がここに辿り着いたらどうします?海に行きたいとか言いますか?」
「海で私と一緒に死んで、というやつか?そんなもの御免なのだよ」
「たまに思いませんか。このまま一緒にいれたらいいと」
「黒子。俺達はまだあまりにも子供だ。全てがまぶしく、己の正しさだけを信じていたい、それだけの存在だ。未来など見えた試しがない。足元だけで精一杯で、大きな望みなぞ抱え込んでる余裕などない」
「望む気持ちはあるんですね」
「否定は……できまい。もう行くところまで行ってしまったのだから。お前は違うのか」
「きっと同じです。根本的には。ただ、そう、強いて言うなら、僕と火神君は、君が言うところの大きな望みを抱え込もうと躍起になっているのかもしれない。結末が心中でも結婚でも、どうにか二人で存在したくてもがいている」
「苦しいな」
「ええ。とても」
「それでも苦いコーヒーを飲まないのだろう」
「はい。飲むくらいなら火神君と死にます」

 黒子は運ばれてきたアメリカンコーヒーに砂糖を注いだ。緑間はコーヒーゼリーを食すべくスプーンを取り、クリームの中で黒く波打つゼラチンの海を飲む。長い下睫毛がさやさやと音立てる、そんな想像をコーヒーの湯気越しにされているとは知らない。冷たいゼリーはほろ苦くクリームの甘さと優雅に踊る。食べかけのバニラアイスは半分溶けていた。二人は時を待つように黙る。そのうち店の入口から自分の好い人がやってきて、このテラスに駆け込んでくる……そして颯爽と火の街へ連れていってくれる……淡い夢にしなだれかかりつ。

戯作三昧




読書感想文という懐かしい言葉を目にし、ちょっと私もそれらしきものを書いてみたくなったので或る小説についてだらだらと語ってみんとす。





 芥川龍之介の短編小説「戯作三昧」を知ったのは今年の、確か六月半ば頃だったか。学校の授業で、芥川作品の様々な短編を読むことになり、その内の一作にこれがあった。
 それなりに有名な小説らしかったが、そんなタイトルの小説は今まで聞いたことがなかった。「芥川といえば『羅生門』!」というイメージが貼りついていたせいもあるだろうし、他にも「地獄変」などの名作があるせいで、あまり目立たなかったこともあろう。
 タイトルは、小説の顔。人の第一印象が三秒で決まると言われるように(キャリアデザインという授業でそんな話を聞いた気がする)、なにか小説を読もうとする時、タイトルから小説の内容を想像して決める人は多いだろう。少なくとも私はそうだ。作者も大事だが、まずはタイトル。「アミの実話☆恋物語」ならスルー、「怪楽園」ならば即手に取ってみる。(今パッと思いついた架空のタイトルを挙げたが、私の嗜好がモロバレしたような気がする。)
 そんな私が「戯作三昧」というタイトルを初めて見た時はなかなか好感だった。「○○三昧」という言葉から、○○に溺れ耽るというイメージが湧いたからだ。溺れ、耽る。中二病をこじらせた若者が暗黒世界(ダークワールド)だの救世主(メシア)だのという言葉に弱いのと同じ感覚だと言えばお分かり頂けるだろうか。BLや文学の嗜好において耽美至上主義のようなところがある私にとって、溺れ耽るというワードはヒットするわけだ。(でも今電子書籍で調べたら、「○○三昧」は一心不乱に事をするさま、むやみやたらに(何かを)するさま、という意味だった。溺れ耽るとはちょっと違ったね。笑)ちなみに「戯作」という言葉は、文字通りたわむれに詩文を作るという意味もあるが、この小説では江戸時代に発達した俗文学、小説類のことを指す。
 そう。舞台は江戸時代。主人公は「南総里見八犬伝」を執筆した戯作者、曲亭馬琴。文学をかじったことのある人なら名前くらいうっすら聞いたことがあるかもしれない。(余談だが私のゼミの先生曰く、曲亭馬琴、とても嫌な性格をしてたらしい。自分の家猫をベタ褒めする傍ら、他所の猫のことをけちょんけちょんに悪口書き綴っていたりと、彼がつけていた日記を調べれば調べるほど馬琴が嫌になったとか。)
 しかし私の中では、曲亭馬琴だからこの作品がどうのこうのというわけではない。ていうか極論、主人公は別に曲亭馬琴じゃなくてもいい。何かしらの創作者であれば誰でも構わないぐらいの感覚である。
 私がこの小説を読んでみてもらいたい人物は、絵でも、文でも、立体物でも、何かしら創作活動を続けている人だ。自分が考えるものを形にする楽しさ、それに伴う生みの苦しみ、そういったことを体験したことのある人だ。
 ストーリーをざらーっと説明すると、馬琴はまず銭湯で自作の読者二人からそれぞれ賞賛と酷評を受け、家に帰れば待っていた編集者に一つ原稿書いてくれよと言われて不機嫌になったり、あとから来た親友の絵師と創作の話で盛り上がって創作欲を湧かせたり、とにかく周囲の人物に気持ちを振り回されているわけです。創作者特有の繊細さ故に。それでなんとか書き進めている話の続きを書こうとするんだけれど、書ききってある原稿を読み返すと、全部が全部気に入らなくて、これは書き直すしかないのか…と軽く絶望に陥る。でもそこへ馬琴の孫が出先から帰ってきて、馬琴にある天啓を齎すんですね。ここなんですよ。私が「戯作三昧」という作品をすごい!と思ったところは。
 創作を長く続けている人なら一度は経験したことがあると思います。うまいネタを思いついた瞬間の「キタコレ!」感。何か予想外の事態に出くわしたことで突発的に妙案が閃いた時の嬉しさ。あれは、なんといえばいいのでしょうかね、稲妻が脳を貫くようと申しましょうか。バチッと頭の中がスパークして、ぶわあああああっとストーリーが練り上がっていく。頭の底から渦を巻いて龍が昇っていくように。(私が書くとしっちゃかめっちゃかでいけないな…)
 馬琴はこれと似たようなものを得るに至る、ほんの些細な遊びを孫にされた。気に入らない原稿の書き直しという絶望から脱却するきっかけを与えられた。その夜、彼は薄暗い灯りの下、燈心の油を吸う音とコオロギの鳴く中、一心不乱に物語を書き綴る。焦らずじっくり考えて書こうとすれども、筆は見えない力に押し流されるように紙の上をすべる……

この感激を知らないものに、どうして戯作三昧の心境が味到されよう。
(「戯作三昧」一部抜粋)

 創作って、楽しいけど苦しいものです。というか、真面目にやろうとすればするほど苦しさの比率が楽しさを上回る。なかなか自分の思い通りにいかないんです。がんばっても全然理想に近づかないんです。一つを直そうとすると九十九がダメになるようなこともある。やっと完成を見たと思いきや一点のボロを見つけて撃沈する。そのくり返し。それでもやめないのは、やめられないのは、自分の中でどうにか表現したいことがあるからと、「戯作三昧」で語られる<感激>、これを知っているからという理由もあるのだと思う。私に言わせるなら一種の快感でもある。本当に稀にあるんですよ。脳髄がとろけるんじゃないかってぐらいおいしいネタを閃く時が。書きたい言葉が指先で溢れて手が止まらなくなる、踊るような一瞬が。
 「戯作三昧」は、創作者の心をこれ以上ないってぐらいとても上手く表現した作品です。特に上記した後半部分、根っからの創作者が熱意に駆り立てられて筆を走らせる場面。すごいの一言に尽きます。芥川の表現力を思い知る。私の中では「羅生門」を超える秀作。創作が好きで続けている方は是非一度読んでみて下さい。きっと共感するものがあるはず。





ここまで読んでくれた人にとって、この文章が少しでも有益なものであったらいいなぁと思います。


1. 嵐が丘
2. 眩暈
3. 1925
4. 3331
5. 惨事のハニー
6. ポーカーフェイス
7. カメリア
8. 混沌 -chaos-
9. 育つ雑草
10. Cage
11. eage
12. 茎
13. 月極姫
14. 手品師の心臓
15. 綱渡り
16. バイビーベイビーサヨウナラ
17. 耳のあるロボットの唄
18. 白虎野の娘
19. RIDE THE BLUE LIMBO
20. 時間の西方
21. Σ星のシダ
22. バスト占いのうた
23. 庭師KING
24. MOTHER
25. 狙撃手
26. パレード
27. Sign(インストゥルメンタル)
28. infection
29. きれいな石の恋人
30. 王国
31. ゼロの調律
32. ウタカタ
33. 小さきもの
34. 遺書。
35. アンインストール
36. 人生美味礼讃
37. 私とワルツを
38. 流星群
39. リンネ
40. 腐れ外道とチョコレゐト
41. 裏表ラバーズ
42. Blackjack



六月一日〜二日のカラオケオールナイト曲目。

私がカラオケに行って一番最初に歌うのは鬼束ちひろ曲です。喉ならしに最適な故。

叫ぶ歌を歌いきった時の満足感が好きです。

昔より歌うのは下手になりました。歌い方が雑になったので。でもいいんです。気持ちよく歌えればそれで。

ああ、たのし。
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