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人間という生き物が四足歩行から二足歩行になり、脳の容量が増え、言語を理解し数字を操り物事を考えるようになったことをひどく幸運だと思った。
万に一つが起きて欲しくて、その為に吐き気がする程思考を巡らせた。どうやったら彼処にいる奴等を殺して彼女を助けられるのか、始動している空爆を止められるのか、そんな事を考えたことのない頭が酸素を求めて酷く痛んだ。それでも起こらないのだと何処かで諦めなければならなかった時に感じた、断崖で足を滑らせ斜面を滑落した瞬間の、全身総毛立つ恐怖が終わらない。土壁に手足を抉られながら手を掛ける枯れ木もない焦燥が延々と続くのだ。終わってしまった時に感じた喪失感とそれに埋もれた多方向への殺意は、もっと手の打ちようがあっただろう、もっと手の打ちようがある奴がいただろう、後悔と悲嘆と綯い交ぜになったものがあまりにも苦痛であると知っている。苦痛が解決される前に、その事柄は終わってしまった。これではいつまでも苦しいままだ。便利な事に、ヒトの頭はそういうことをいつまでも同じ形で残しておかないように出来ていて、そういうことはいつの間にか変質して無害で美しいものになってしまう。
女の扱いと銃の扱いは良く似ている。丁寧に整備して気を遣い、己のように思ってやらないと臍を曲げる。定期的、小まめなコミュニケーションをしないと関係はすぐ駄目になる。人間と物、全く違うものなのに何故そうも同じ扱いになるのかを聞かれたことがある。どうしてかは実際のところ良く分かっていなかったが、女には愛情を会話として、銃には愛情を手入れとしてやることがきっと同義なんだろうと思えた。逆に言えば、銃へ粗雑な扱いをしている奴は女にもそうなんだろうとしか見えなかった。泥だらけの銃を引っ提げて戦場へ赴く同僚たちの背中を見て、兵士として、傭兵として生きながらえてきた俺自身の率直な感想だった。今日も今日とて、汚い銃を抱えた男どもが、ボロボロのトラックの中で揺られていた。戦場は地獄だった。経験した者にしか分からない世界だ、硝煙と泥と血に溢れた視界に、叫び声がオーケストラとして指揮を執る。こんなに腐った世界は出来るならば見たくもなかったが、もうそこでしか生きられないようになってしまった身体は、金欲しさに慣れてしまったらしい。今日は何人生き残るのか、腕や足を残したまま帰れるのか、そんなことしか考えなくなった。全ては金のためだと思ったらどうでも良くなったのかもしれない。家で待つ女に会いたい、初めはそう思ってさえいたが、過去の話だった。今は胸に抱えた銃だけが俺の全てになっていた。
習慣と呼べるようになってしまったのも怖い話だった。息子の下の世話から任務のサポートまでしていた副官のヨダカが、俺の情事の相手までしているという事実が、だ。
熱砂が連なる広大な視界はどこを見ても遮蔽物がない。こんな砂漠地帯をのこのことやってくる馬鹿者がいるとすれば、クライアントに余程金を積まれた阿呆な死にたがりか、斥候の存在を知らない戦場かぶれか、まあどちらかだった。砂漠地帯へと足を踏み入れる直前にあった小高い丘陵地帯、鬱蒼と生い茂った木々に囲まれた小さな窪みを塒にして、リークインフォに従って短期決戦に臨んだ。極々小さな殺しだ、成功報酬も大したものではないが、目標の殺害が成功した暁には長期休暇に入る予定だった。浮き足立つことはないが、戦線を転々としていた身には染みるものがあった。この緊急狙撃任務がなければ本部に即時帰投出来たものの、突然入った仕事に嫌気は差す。照準鏡を四六時中眺めている俺の隣で敵影を探している山花もそうだろう。追加任務を告げたときの顔に若干の変化をきたしたのを覚えている。無駄口を叩かない割に案外顔に出やすい彼女でも、帰投の延期は勘に障ったのかもしれない。
年 齢 | 33 |