湿り気を帯びた風が、頬を舐めるように緩く吹いていった。
少しばかり重さを湛え始めた空気に、陽節の兆しを覚える。

そんな昼下がりだった。



「だるいわぁ」

スペインは、気のない声を吐き出した。
退屈と不満を主張したのだが、彼を囲むように雑列した面々を見てみれば、少なくとも退屈なんかとは程遠い状況に置かれていることを、誰もが見てとれるはずだ。
所謂不良の、憎々しげな表情が並んでいる。
刺すような殺意を一身に受けながら、スペインは興味ないというように明後日の方を向いていた。

ほいほいと喧嘩を買ってしまうわけにもいかないからだ。

通常ならスペインだけでなく、プロイセンと、フランスもこの場所で憩っているはずだった。
顔を見せないのは様子を窺っているからなのか、どこか安全なところから高みの見物を決め込んでいるのか。

どちらにせよ今は彼らは居らず、一人では手に余る事態を抱えていることに変わりはない。

昼休みは中庭で過ごすのが彼らの日常だった。
校内で一番居心地の良い屋上は、やはり校内で最もエライ人により貸し切られている。
そのため彼らは、空気は篭りがちでベンチのひとつも設置されていない上、教室から中途半端に距離のある中庭まで足を伸ばしていた。
皮肉なことに、彼らの定位置から視線を少し上げると、件の屋上が一望できるのだった。
つれない現実にため息を禁じ得ない。

ちなみに、室内で昼食を取るという選択肢は彼らにはない。
青空の下でこそより美味に頂けるというものだ。
持論というか、体に染みついた習慣である。

屋上と空とが映っている視界の下の方に、建物の窓の中で蠢くたくさんの影が目についた。
喧嘩では名高い悪友3人組のうち2人が欠けているところに、他校の不良が襲撃にきたわけだから、面白いことになるのは疑いようもない。
当然人も集まるわけだ。

当のスペインは、見物人に暢気に手なんか振り返しながら、内心途方に暮れていた。
いくら喧嘩に慣れていると言え、目算でも10人を越える数を相手にするのでは、いくらなんでも分が悪い。
増える一方であるギャラリーを前にして敵前逃亡もどうかと思うし、そもそもこの包囲を解けるものかも怪しい。
3人揃っていれば、さして迷う必要もなく行動に出るところなのだが、残念なことに今回はそう簡単にいきそうもなかった。

そして、相手を無視し続けるのにも限界がある。
青筋のたつ音が聞こえるようだ。
挑発や罵倒の声が飛び始めた。

悪友共のいずれかが加勢に現れるのを期待していたのだが、時間の浪費に過ぎなかったらしい。


(二人とも薄情やんなぁ……)

これ以上時間をかせいでも良いことはないだろう。
不承不承踏ん切りをつけて、スペインが立ち上がろうとした時だった。

頭上から、声が降ってきた。




「――よお、スペイン!」


待ちに待った声だった。

ほとんど無意識に、頭上を仰ぎ見る。
声の主を目でとらえた時には、スペインは輝かんばかりの笑顔を湛えていた。

「プーちゃん!」

「囲まれてんのか?だっせぇ!」

ケセセセと高笑いに付されているのも今は全く気にならない。
銀髪のおめでたい表情をした彼が、神様に見える。

彼が顔を出しているのは2階の高さだったが、大して気に染むこともなく窓枠を一跳びのうちに乗り越えた。
短い落下音ののち、救世主はスペインの隣に着地していた。
心が沸き立った。
不良の方はというと、相変わらず各々でわめき散らしているが、声の調子が少し落ちたようだ。
今さらになって、危機を感じ始めたのかもしれない。

しかし、特攻要員の二人が揃ってしまった今、後悔したところで既に手遅れだ。


「いや、助かったわぁー」

元々困っていた風ではなかった彼だが、戦力が足りると見て取るや、そんな気配はもはや跡形もなく消し去ってしまった。
戦意の顕著すぎる上昇を、プロイセンは苦笑まじりに見守る。
無論彼自身も、久しぶりに血の騒ぐ案件を、見過ごすつもりはない。

運動にちょうどいい晴天に、ギャラリーも充実している。
仲間には欠けるものがあるが、かえって釣り合いがとれて良いかもしれない。

ざり、と2組の靴が土ぼこりを上げた。


「行くぜ!」

「おう!」