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空木が咲く前に 五十六

髪に椿油を塗り、女性風の髷を作り、そこに櫛を指す。緑のトンボ玉が飾られている簪を二つ刺し、肌には白粉を、唇には紅を引く。最後は目尻に隈を入れ、手伝っていた俺は頭を抱えた。

「ん?」

朝顔のように慎ましやかに笑む目の前の『男』は控えめに言って大柄な女性にしか見えなくなっていて、俺はうめき声を上げることしか出来なくなっていた。

「ほっほ、相変わらず狐のように化けなさる。いやあ、いい金で売れそうですなあ」

そう厭らしく笑う玄の腹を思いっきり殴打したい気持ちを抑えて、畳を殴った。アキレアが進化した、どうしてくれる、という気持ちを存分に込めて。

明は、丸っきり女に見えるわけではなかった。しかし、首のしなりは女性的な雰囲気で、それでも男の太さで喉ぼとけはしっかりとあり。手のゴツゴツとした形は女性的ではなく、しかしゆったりと力を抜いている柔らかさは男性的ではなく。背中のしなりは男性的ではなく、肩幅と胸板の平坦さは女性的ではなく。つまり何が言いたいかと問われると、男性と女性の丁度中間ではない中性的な存在であるとしか言えない。

男性らしさと女性らしさの両方がいい塩梅で共存しており、しかしどちらかと言えば男性で、男娼としては及第点を優に超えていた。

ちらちらと目線をやる度に、俺は頬に熱が上がっていっている感覚を覚えた。男が好きなわけではない。だが女ではいけないというわけでもない。今までは六三四だけに覚えていた劣情が、この明を目にしては浮かぶ。そんな俺に対し、明は赤い唇をぷっくりと突き出し、眉を下げて不服そうな顔をした。

「そりゃあ両方ともお仕事だから仕方ないところはあるけど、やっぱり無理があるんじゃないかなあ」

「無理?何がだ」

冷静に努めようとするが、声が少し裏返ってしまった。そんな俺に明は扇のような睫毛を少し震わせただけで、特に何も返さず言葉を続けた。

「いや、五六四さんの方が線細いし。俺が叩き込まれたのは所作だけなんだけど」

……やめておく。お前に勝てる気がしない」

それは心からの言葉だった。ああ、確かに俺も男娼として叩き込まれているところもある。忍びとして、それは礼儀作法を叩き込まれるのと同じようなものだ。だが、ここまで劣情を掻き立てるような、無防備な姿になれる自信はとんとなかった。

「えー?出来るってー。こう、ぐりっと肩甲骨を引き寄せて、内臓の位置が変わりそうなくらい背中をしならせて、人差し指をプルプルしそうなくらい独立させてー、それから」

「益々やりたくなくなるな、それ」

女性らしさの為にそこまでする気はない、ときっぱり言うと、明はまあいいか、と唇の形を元に戻した。

「女みたいな男をご所望かどうか分からないしな。両方揃えておけばどっちか当たるでしょ。なあ玄さん。雪定さんはどっちが好みとか分かるの?」

「さあ」

のほほんと商人の顔で三つ顔の玄はそう言った。

……どういうことだ?」

「私どもとしても分からないものは分からないのですよ。分かっていれば選別の為にもう少し料金割り増しに出来るのですがねえ」

のっぺらい顔だ。商人の、手の内を見せないのっぺらい顔だ。玄は嘘はついていない。しかし隠している事はありそうだとすぐに分かった。

「じゃあ聞くが、今まで売った男娼はどんな奴だったんだ」

そう尋ねると玄は眉を八の字にしてぽりぽりと頬を掻いた。

「えー、まあここだけの話、と言ってもありきたりですがねえ、身寄りのなく金のない男を適当に勧誘していたので、特徴は様々でしたねえ」

「嘘だ」

「−−本当ですよ。赤、この御仁に何かしましたかい?店に来たばかりの時とは丸で違う」

商人の顔の中に殺し屋の目だけを入れた玄は、じっとりと明を睨んだ。だが、それがさっきの言葉に含みがあるという事を裏付けていた。明はふんわりと笑いながら、同じことをしただけだよ、と返した。

「同じこと?」

「うん、同じこと。玄さんが木蓮に誘われたとき、誰かにされたこと。五六四さんは、それが芽吹いたんだ」

「……芽吹く?」

俺はそう聞き返したが、玄は違った。一瞬で顔から血の気が引き、信じられないというむき出しの感情で此方を見やった。

「ああ、説明も何もしていなかったか。五六四さんにはさっき言ったよね、修羅場をくぐってきた人には五六四さんみたいな人が出てくる、って。でも誰でも出てくる訳じゃないんだ。梟さんも、資質はあるんだろうけどまだ芽吹かなかった。……ううん、芽吹かないほうがいいのかもしれないけど」

それは、明の独白に聞こえた。悼み、悲しみ、それでいて喜んでいるように感じる。いや、喜ぶなんて生易しいものではない。狂喜、とも言えるかもしれない。それだけ明の目は爛々と輝いていた。

「五六四さん、本当に欲しいなあ。木蓮に欲しい。玄さん、これは喜ばしい事、そうだろう?そうでなければならない。五六四さん、何が欲しい?俺たちに出来ることなら何でも用意してみるよ。六三四さんかな?お仕事だけしてくれれば六三四さんと一生優雅に暮らせるよ?おいで、ねえおいでよ」

ずりずりと畳の上を這い寄りながら、明は赤みがかった目で、強請るように俺の胸に頭を預けてきた。床を強請る遊女と同じだ。そう、分かっているのに、明から香るしっとりとした芳香に頭が揺れる。つつ、と指先で着合せの境界をなぞりながら明は視線を合わせてきて、赤茶色の瞳には狂喜があるのに、否、だからこそなのか、俺は心が揺れた。

この無邪気な笑顔をそのまま咲かせていたい。そんな気持ちと同時に、真っ黒に汚してしまいたいという感情が同時に溢れてきて、明の首裏に手を伸ばした。

温かい。

ゴツゴツとしているが、そうであるからこそ人の肌だと確信が持てる。滑らかであるからこの世のものではないような錯覚を覚える。しっとりとした肌が、まるで俺だけを誘っているかのように吸い付き、手の大きさとぴったり合っていて。


ぐらつく頭を自覚していくほどに、明は豪奢な牡丹の花のように笑顔を咲き誇らせていった。

唇が震える。吸い付きたいと、むしゃぶりつきたいと、本能が大声で叫ぶ。しかし、唇が明の首筋に当たるより早く、俺は玄によって引き倒されていた。

「駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ!それだけは駄目だ!戻れなくなっちまうぞ!」

戻れない。何に。分からない。戻れなくとも構わない。ああ、何故邪魔をするのだろうか。

「こじろーさん」

ゆったりと呼ばれるその名前に、芯が揺れる。何の、と言われれば、心にある折れてはいけない芯だろうか。今はもう、羊羹のように脆く感じる。

「あき、ら……?」

「ああ、くそ、だから赤と仕事するのは嫌なんでい!こじろう!戻ってこい!このまま傀儡になってもいいなら帰ってくるな!」

――帰ってくるな。

そう言われて、殆ど反射的に動きを止めた。自分でも言葉にすることは難しいが、やめろと言われればやりたく成るもので。ハッと我に返ると、明は不貞腐れた顔で玄さんを見ていた。

「なんで邪魔するんだよー!五六四さん引き入れれば木蓮の為になるんだよ!?」

「やり方が極端なんだよ手前は!そんなやり方じゃあ意思のない味噌っかすになることを学べ!」

「味噌っかす……。おい、明……」

非難の眼差しを明に向けると、明はうすら寒い様子でてへっと笑った。

「なあ、玄さん。俺ってそこまでやばかったのか?」

「極上にやばかったですよ。まあ、これで懲りて次は耐えて下せえ」

そう告げる玄の声は、何かを諦めたような声だった。諦めろ、とも聞こえる。

次は、きっとあるのだろう。多分、明が諦めるか、俺が受け入れるまで。

空木が咲く前に 五十五

「俺たちの仲間になってよ。ね、こじろーさん」

曇りのない琥珀色の瞳が、じっと俺を映す。それは艶々としていて、舐めれば甘そうで、人間味のない瞳だった。

「こじろーさん?」

こてり、とゆっくりとした動作で明は小首を傾げる。サラリと揺れる赤い髪の毛は赤く染めた金糸のように艶やかで。俺は改めて明が人間味のない容姿をしているのだと知った。今まで人らしかったのは、明がそう振舞っていたからであり、アキレア自身はそうではなかったのだろう。作り物の『明』を脱ぎ捨てた『アキレア』は、平坦で凹凸のあり、無臭の色香が香る、そんな存在だった。

アキレアの瞳をじっと見ていると、何故だか鼓動が早まっていく。恐怖が先に立ち、欲情がそれを追いかけ、俺の中には混乱だけが残った。

「はは、お前が身売りだけで見逃された訳が分かった気がする」

一つ例えるならば、道を歩いていてとても魅力的な石が転がっていたら人はそれを拾ってしまうだろう。そして手にしたその石が、誰も見たことのなく、それでいて価値があると誰にも思わせるような石だったら、それを胸元にしまい込んでしまうだろう。決して盗られないように。しかしそれは石ではなく人であり、意思がある。ここから出してよ、一晩だけ貴方の物にしていいから。そう言われて、断る事が出来るだろうか。明ではなく、アキレアにそう言われて。

アキレアはゆるりと瞼を閉じた。俺はそれを名残惜しくただ見ていた。

手を伸ばすのは簡単だった。アキレアを掻き抱いて、押し倒すことも実行することだけは簡単だろう。だが、六三四の事を思うだけで、俺は押し留まれた。

パチリと目を開いた目の前の人物は明に戻っており、にっこり笑うと、それまで恭し気に握っていた俺の両手を離し、うすら寒い困ったような表情で胡坐をかいた。

「まあ、そう簡単にはいかないか」

「……例えばなしだが、俺がお前に手を出していたら、強請る気だっただろう」

「うん」

あっけからんと言い放った明に、俺は大きく溜息を吐いた。

「やはり誘っていたのか。明ではなくなっていたのは釣り餌か?」

「耳の人に通じるかは正直賭けだったんだけどね。でも、失敗して良かった。益々五六四さんが欲しくなっちゃった。木蓮の事、本気で考えてみない?」

「先ほどの言葉は本気ではなかったのか?熱烈な勧誘に感じたがな」

「いやあ、色仕掛け?しちゃう位には本気だったよ」

「やめろ、薄ら寒くて仕方がない。お前の言う『耳の人』 が俺ならば、蛇足だろう」

眉を顰めながらそう言うと、明はまあそうなんだけどさ、と口をへの字に曲げた。

「作り物も、長ければそっちの方が使いやすくてなあ。よくある話だろう?元々左利きの人間が、矯正されて、淘汰されて、右利きになるんだが、右利きでいることしか許されない時期が長すぎれば左手を使うことにしっくりこないことって。まあ、俺右利きだけど」

「つまり実体験に基づいていないから確証のない例え話なんだな」

「うん。だから、暫くは明でいさせてよ」

そう懇願する明は、何故だか悲し気に見えた。嘘とか本当とか、そういう物とは別のところから感じた。分からないでもない。想像だけなら出来る。自分らしく振舞うことを禁じられた、のだろう。話を鵜呑みにするなら。自分らしくいられたのは身売りの時だけ。明自身にも、嘘と本当を使い分けられているのではないのかもしれない。

「まあ、いい。−−で、いつ戻るんだ、玄は」

「ああ。多分今頃厠で……」

「いや、言わなくともいい。把握してしまったから」

男が 厠で 長時間席を外す。となれば、男なら理由は分かってしまう。あの蕩けただらしなく気持ち悪い顔を見れは理解してしまえる。

「いやだなあ」 

呟いたその言葉は重なり、そして薄ら寒くなかった。 まあ、今はそれだけでいいだろう。
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