本当に馬鹿みたいだ。おれの四十年の人生のうち三十年はマルコの為にあった。それがどうだ。向こうはそんなおれを嘲笑っていただけだったのだ。苛立ちに任せ、飲み友達―七課課長ラクヨウ―と、もはや何杯目になるかも分からないスコッチを呷る。この男もかなりイケるクチなので、今日のように酔いたい日にはよく付き合って貰っているのだ。


「なァ、ラクヨウ。おれァ先々週とうとう別れちまった。」

「へ!? 例の彼女と、か!? またどうして!?」

「こっちが聞きてえよ。無言で合い鍵つっ返された。」

「だははは!ざまあねえな、サッチ!まぁ、飲め!飲んで忘れろ!女なんて星の数ほどいるんだ、何ならおれが紹介してやろう!だからもう忘れろ、今日は吐くほど飲もうじゃないか!」


 そう言って、社会人―ましてや天下のWMCの課長―には似つかわしくないドレッドヘアー(まぁおれを始めとして、ウチの課長どもは皆やりたい放題なのだが。)のこの男は大口を開けて豪快に笑い、おれの背中をバシバシと音を立てて強く叩いてくる。そしてウインクひとつ、ハイボールのジョッキを高らかに頭上に掲げて再び乾杯の音頭を取ってみせた。


「…ラ、ラクヨオオオ!おまえのそーゆー楽観的なとこ、大好きだぜ!」

「おれもサッチが大好きだぜ? だが床は断る!おれはゲイじゃない、おまえは抱けん!」

「そう言うなよー、ってオイ!おれだっておまえになんか抱かれたかねーよ!」


 泣き真似してひしっと抱き付くと、急に真面目な顔になって身を剥がしてくるものだから、ノリツッコミを入れればギャハハハと下卑た笑いを上げる。こいつはこういった冗談を好む男なのだ。本当に、この男はいい。頭を空っぽにして楽しめる。昼間の一件以降、どうにも胸中が真っ黒に淀んでいる感覚が拭えず、辟易していたのだ。こうやって馬鹿笑いがしたくて飲みに来たのだから、こいつの深くを聞かない良い意味で適当な性格は、今のおれに取って非常に有難かった。


「お。ラクヨウにサッチじゃねえか。お疲れさん。仕事上がんの早えな。」


 と、さて次は何を飲もうかとドリンクメニューを眺めていたところ、不意に名前を呼ばれておれは顔を上げる。すると、そこに居たのはイゾウと、その背後に隠れるように連れ立ったマルコだった。そういえばマルコもこのバーをよく愛用していた。つい癖でこの店を選んでしまった己に内心で舌打ちしつつ、イゾウにだけ視線を遣って軽く手を上げる。隣の男はと言えば、ジョッキを口から離さず、無礼にも自社の副社長サマに向かってひらひらと手を振った。かなりの猛者だ。


「ぷはー。イゾウに副社長、お疲れ様でーす。おまえらも此処の常連だったのかー。」

「まーな。つーか、おまえら男二人でよく寂しくねえな。…ま、おれらもそうなんだが。」


 イゾウの視線に釣られてちらと辺りを見回せば、なるほど店内はカップルだらけだ。六本木、路地裏、地下、バー、という条件の組み合わせは、大の男が二人きりで飲み明かすには凡そ不似合いらしい。イゾウの居心地悪そうな雰囲気から合流を持ちかけられそうな流れを察して、おれは最悪の事態を回避するべくラクヨウの肩に腕を回し抱き寄せる。


「バーカ!寂しい訳あるか!おれとラクヨウは付き合ってンだよ!ラ・ブ・ラ・ブなの!」

「……だはは!つーこたァおれが抱かれる側かァ!? 優しくしてねン!うふん!」


 頬を擦り寄せれば、ラクヨウは最初目を瞬かせたものの、直ぐに理解しておれに抱き付き返してくる。もちろん効果は絶大で、イゾウは寒気がしたらしく肩を竦めて二の腕を擦る仕草を見せると、汚いものを見たとばかりにしっしっと手を払う。


「うっわ、気持ち悪ィ!一緒に飲もうかと思ったが、止めだ、止め!行こうぜ、副社長。」


 そしておれたちに別れの挨拶も無しに背を向けてマルコをエスコートして奥へと消えていくものだから、二人でその背中を爆笑しながら見送る。良かった、酒の席でまで混沌としたものを胸中に抱えたくはない。おれはノリの良い隣の男と察しの良い眼前の男に内心感謝すると同時に、マルコがおれを一切見なかったことにこっそり安堵の溜息を漏らした。

 おれの連れは本当に細かいことを気にしない男なので、二人が姿を消すとさっさと体を離し、全く何事もなかったかのように飲みかけのハイボールを再び口に運んでいる。この様子なら、おれの異変にも恐らく気が付いていないだろう。


「そういや、副社長とイゾウって珍しい組み合わせだな。大概、おまえかエースだったじゃねえか。」

「や、結構仲良いみたいだぜ、あいつら。ほら、マルコがイゾウを見付けてきただろ?」

「なるー。副社長の引き抜き第一号だったっけか、あいつ。自分をこんな優良企業に拾ってくれた相手じゃあ、そりゃあ恩を感じて懐くわな。おまえとエースもそんな感じなんだろ?、副社長にべったりなのって。」


 ―――拾ってくれた。その響きと意味があまりにしっくり来すぎて、おれは苦笑交じりに頷くことしか出来なかった。純粋なラクヨウでさえこうなのだ。ティーチのように悪意がなくとも、おれは周りに、ずっとそう見られていたのだろう。






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