人間の慣れと諦めというのは恐ろしいもので、今回の件はかなり引き摺るだろうと思っていた予想は大きく外れ、おれは一週間あまりで平静を取り戻していた。元より最近は離れがちだったのだ、一週間のうちの二日間から彼が消えただけのこと、寧ろあれこれと悩むことがなくなって十年振りの独り身をなかなかに満喫しているとさえ思う。




「やあ、お疲れさん。最近マルコと一緒に居るところを見掛けないが、また喧嘩でもしたのかな?」


 そんな中、今日イチ押しのロールキャベツのランチを片手に繁盛時の厨房を冷やかしにやってきた男─五課課長ビスタ─に、おれの眉間には久々に皺が寄せられた。厨房は神聖なる場所だ。関係者以外の立ち入りは禁止にしてある。もしやと思い部下の顔触れを確認すれば、なるほど入口の近くは若造ばかりだ。相手が課長ともなれば、幾ら規則と言え注意など出来ないだろう。飄々としてやってきたが、こうなることを確信の上で入って来たに違いない。嫌な男だ。

 ビスタは会社の設立時からいる古株の男で、おれやマルコとは長い付き合いだ。友人想いで穏和で真面目なジョズを社内きっての良友とするならば、全てが真逆であるこいつは、さながら社内きっての悪友、といったところか。


「いーや。マルコとは縁を切ったんだよ。潔く、後腐れなく、な。」

「ほォ、そうかい。これで何度目かね。…ああ、そのローストビーフおまけで頼む。私たちの仲だろう?」


 それは職権乱用というんじゃないかと咎めたくなる気持ちをぐっと抑え込み、笑って受け流す。おれも大概にいい加減な男だが、こいつは更にいい加減な上にタチが悪い(故に悪友と評しているのだが)。まぁ世話になっているのは本当なので、適当に3〜4枚ほど切ってサラダルッコラの上に乗っけてやる。おかげさんでおれも立派に職権乱用だ。おれの渋い顔とその切られたローストビーフをそれぞれ一瞥してから、ビスタは歯を見せて満足げに笑った。


「まァ私は関与すべきでないと思っているんだが、どうにもあれが君を説得しろと煩くてね。」

「あン?」

「最近、マルコの体調が優れなさそうだと言うんだよ。そう言われたら私だって動かざるを得まい?」


 あれ─十六課課長イゾウ─は、エースと同じくマルコが他社から引き抜いてきた男で、勤続年数はそう長くないものの課長職に就くだけの実績と実力を持った男である。奴は知り合った当初からおれのことを邪険にして、その逆、何かとマルコの味方をするきらいがあった。どうせ今回もおれを悪者扱いして、ビスタを差し向けて来たんだろう。

 おそらく。多分。ビスタとイゾウはデキている、のだと思う。ビスタがあれなどと呼ぶのは、たった一人、イゾウだけなのだ。まぁただのおれの勘であり、こいつらが公言しないのだから特におれからも聞こうとは思わないが。


「何を意地になっているのか知らないが、いつものようにさっさと仲直りすればいいだろう?」

「そりゃあ喧嘩ならな。お生憎だが、今回は訳が違うんだよ。」

「何だって?」

「マルコが縁を切ってきた。おれはそれを受け入れただけだ。」


 やはりおれが加害者であると思っていたのだろう。ビスタは目を白黒させて些か驚いた様子を見せたけれど、すぐにいつもの澄ました顔に戻り、自慢の髭を指先で摘んで思慮深げに伸ばしてみせたのだった。






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