「…サッ、チ?」


 滅多に怒りを露わにすることのないおれが物へ八つ当たりしたことに、流石にマルコも酔いが冷めたらしく些か控えめに声が掛けられる。そしておれを心配したのか、はたまた機嫌を取ろうとしたのか、肩に触れて来ようとしたその手首を力任せに掴み上げて強引に胸中へと引き寄せれば、彼は抵抗しないながらも痛みに眉間に皺を寄せた。


「なァ、今日はウチに泊まっていけよ。伯父さんなら最近は調子良いし、一日くらい大丈夫だろ?」

「は? なに言って…、」


 マルコは仕事にはきちんと自宅から向かいたいからと、日曜におれの家へ泊まったことが一度もない。伯父さんが病気で普段は自宅療養をしているから、元気な顔を見てから出社しないと気が気でないらしい。おれだって伯父さんに育てられた身だ、不安な気持ちはよく分かる。だからおれがマルコを独占できる時間が最大でも金曜の夜から日曜の夕方までという決して多くはない時間(タイミングが合えば仕事中や仕事帰りに一緒に飯を食ったりもしていたが、エースが現れた今となっては過去の話だ)でも、今まで文句や不満の類を一度だって洩らしたことはなかった。

 それなのにマルコと来たら、今週は土曜にエースと出張へ行った上、疲れたからと帰宅の予定をずらし込んで現地に泊まり、日曜の今日、朝帰りの足でウチに来やがったのだ。そして週末ずっと禁酒だった彼の希望で、おれが肴を作って昼から酒を飲んでいた訳なのだが───ああ、もう。もはやマルコにだけ都合の良いことばかりじゃないか。

 マルコの肩に手をかけ、キスしようと強く抱き寄せる。承諾は得られていないが、もう帰す気なんて更々なかった。最近どうしてもそんな雰囲気にならず久しく抱いていなかったし、昨晩エースにその体を暴かれたのではと思えば、今はどうしてもマルコを手に入れたかった。とにかく、彼はおれのものなのだと、実感できる何かが欲しかった。


「やめろい!そんな気分じゃねえ!オマエ、最近変だよい!」

「…ハ。変なのはおれじゃなくてマルコの方だろ。」

「おれは至って普通だよい!…なァ、サッチ。ンなに辛そうな面して、どうしたってんだよい。」


 唇に掌を押し付けられ、拒まれたキス。尋ねてくるマルコの表情は心配そうで、真剣そのものだ。けれどそれすらも今のおれには逃げる為の迫真の演技に見えたのだから、人間ってやつは相当に思い込みの激しい生き物なんだろう。


(ああ、もうおれとはキスもしたくねえってか。そりゃそうだよな。何より愛しい、優秀で男前なエース君と一晩を共にしてきた直後なんだもんな。そりゃおれなんか、ただの都合の良い男に成り下がるさ。何ひとつ文句言わず、飯作ってやって、酒飲ませてやって、惚気聞いてやって、───そこまで尽くしても、体も心も許して貰えなくて、)


 一度そう自暴自棄になってしまえば、箍が外れるのはあっという間だった。


「……辛そうな顔、って、誰がさせてると思ってんだよ。本当、オマエやエースは悩みとは無縁で良いよなァ。自分勝手に好き放題やっても結果がついてきて、周りにもちやほやされて、」

「……は?」


 おれの言葉にマルコが目に見えて表情を曇らせる。やってしまった、と思った。今まで頑張って耐え抜いて築いてきたものが、崩れてしまう感覚を覚える。けれどそれくらいで外れた箍が戻る筈もなく、おれは口から台詞となって勝手に湧き出てくる醜い感情を、もう自分では止められなかった。彼の手首を捕らえる手に、無意識に力が込もる。


「口開きゃあ、エース、エース、エース、って!ンなにエースと仕事が好きなら、おれんとこなんか来ずにずっとエースと一緒に居りゃあ良かっただろ!恋人に他の奴の惚気ばっか聞かされて、いい気分がする人間がいると思うか!? 少しは延々と話聞かされるおれの身にもなってみろ!いい加減、うんざりなんだよ!」


 言い終える頃にはおれは肩で息をしていて、それとは対照的に、マルコは何も言わず微動だにもせず、唯々そんなおれを茫然と見つめていた。それがなんだか哀れまれているように見えて、どうにも居たたまれなくなり、おれは自分で引き寄せて置きながら彼を突き飛ばし、その視線から逃れるように背を丸めて両掌で顔全体を覆い隠した。






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