―――マルコの優しさに惚れて入社を決めた。その直向きな言葉と澄んだ声色が、鼓膜に焼き付いてしまったかのように何度も脳内で再生される。恋人に手を出されそうになっていることに対して苛立ちよりも恐ろしさが先行して冷や汗が止まらないのは、その台詞が恋と呼ぶには余りにも重く、余りにも本気の色を含んでいたからだ。

 若さ故の、勢いと、自信。類い希なる、才能と、実績。子供と大人のどちらにも属せぬ曖昧な年齢の者のみが持つ、儚さと、甘い魅力。温和で人懐こそうな、笑顔と、その裏に潜めた甘えを含まぬ実直で冷静な、素顔。マルコへの想いで負けているとは思わないけれど、おれと奴を並べた際にマルコがおれを選んでくれる確固たる理由も思い付かず(寧ろ、悔しいことに、奴の秀でている部分の方がどう考えても多い)、おれは急な強敵の出現に酷く狼狽えた。

 あの堅物で真面目なマルコが浮気などする筈はない。けれどそう思えば思うほど、そんな彼につり合うのはおれじゃなく全てに秀でたあの年下の男のような気がしてきて、やっぱりおれに愛想を尽かして奴に惹かれてるんじゃねぇかと結局は浮気を疑ってしまう始末で、この下らない堂々巡りから、おれは一向に抜け出すことができなかった。

 その後、言うまでもなく他の新入社員の挨拶や閉会宣言など全く耳に入って来なかったおれは、式中にも関わらず席を立ち上がりマルコに駆け寄ってしまったことを含め(おれ達が付き合っていることは皆には内緒なので、おれは相当に過保護なマルコのブラコンだと勘違いされている)、ジョズにこってりと威厳云々と怒られたのだった。




「───マルコ!」


 あまりの不安に居ても立ってもいられず、ジョズの説教から解放されるや否や未だ舞台裏に居るであろうマルコを無我夢中で探し出せば、なんということか、既に例のルーキーが彼の隣を独占していた。二人揃って相手が隣にいるのが当たり前のような顔をして、隣にいるのが当たり前のような空気を纏い、それに加えて男は馴れ馴れしくマルコの肩を抱いていた。マルコもそれを咎める様子なく、平然と二人で今後のスケジュールの書かれた紙を覗き込んでいる。


「…お。息切らせてどうした、サッチ。ジョズのお説教は終わったのかい?」


 此方に気付いたマルコは紙から顔を上げ、ニヤニヤと厭らしい笑みをおれに向ける。醜態を見られていたことを知り、おれは恥ずかしくて死にたくなった。この様子だと隣の恋敵にも見られていたに違いない。出鼻を挫かれたどころか既に負けた気分だが、今はそんなことには構っていられない。兎にも角にも、この不安を消し去って欲しいのだ。


「マルコ、オマエ一体どういう―――「っと。サッチの阿呆面見たらオヤジへの急用を思い出したよい。悪ぃ、エース。ちょいと此処で待っててくれねぇかい。10分もすりゃ戻る。じゃあ、またあとでな、サッチ!」


 掴みかかる勢いで二人の方へ足を踏み込む。早くその腕を取り払って、ただの部下だと笑い飛ばして欲しい―――。けれどおれの切羽詰まった気持ちなど知る由もなく、マルコはおれの言葉を遮ってそう言うや否や、呼び止める暇もなく足早に伯父さんを探しに立ち去ってしまった。おれと奴のみが取り残された空間には、不穏な空気が流れる。

 さて、どうするべきか。おれに取っては恋敵でも、何も知らないこいつに取っておれは只の一上司だ。人のモンに手を出すなと啖呵を切ることも出来なければ、今日から家族となる者を突き放すことも出来ない。そうなればこの場は穏便に終わらせるのが妥当という答えに至り、公に出来ない関係に歯痒さを感じつつ、おれは一つばかり咳を払った。


「自己紹介が遅くなった。噂には聞いてるぜ、エース。おれは四課の課長のサッチってンだ。宜しくな。」


 涼しげな流し目、白く輝く美しい歯、相手を受け止めるかのごとく寛大に広げられた両手、おれの動きに反動して揺れるリーゼント。そう、まさに大人の、否、課長の風格。敵対心を一切表に出さず、サッチ様の魅力全開で紳士的に挨拶できたつもりだ。ところが暫くきょとんとしていた相手が、突如として仰け反り腹が捩れるほどに大笑いを始めたものだから、おれは左右に広げた手をそのままに、何がいけなかったのかと同じくきょとんとさせられてしまう。


「ハハ、わ、笑って悪い!悪気はねえんだ!…ハァ、やっぱりアンタがサッチだったか。マルコとの会話聞いて、そうじゃないかなって思ってたとこ。……おれも、マルコから色々と話は聞いてる。宜しくお願いします!」


 可笑しさが退いたのか彼は姿勢を戻して目尻に浮かんだ涙を乱暴に拭うと、最後に口角を上げてやや意味深な言葉を付け足しつつも、真っ直ぐにおれの目を見つめたまま手を差し出してきた。成る程、こんなロクに敬語も使えない男に何故ここまでの実績があるのかと思ったが、彼は抜群にオンとオフの切り替えが上手いのだ。

 普段は馴れ馴れしいほどに友好的に、最低限の要所では社会人としてのマナーを弁えて真面目に。だから相手との距離を縮めるのが早く、部下や取引先からも信頼されていたのだろう。あのマルコがあそこまで気を許していたのも頷ける。その彼の性格に純粋な感心と関心を抱き、おれは邪な思い無く力強くその手を握り返した。






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