(社長のスカウトを即答で断った強者がいるらしいぞ。副社長が代わりに口説き落としたらしいが、一体どんな奴なんだろうな。ウチに入社する条件として、そいつの会社の従業員まで丸々雇い入れたらしいが。)

(なんでもまだ成人前なのに、一人で貿易会社を立ち上げてたんだってよ。しかも業績は鰻登りときた。)

(特例で暫くは何処の課にも配属させず、副社長直々に教育プログラムを当てるって聞いたぜ。この扱いからして、すぐに昇級させるつもりなのかもな。二課の課長職を空席のままにしてたのも、まさか、なァ。)


 まことしやかに流れていた極上のルーキーの噂。そのため新入社員の入場を待つ古株の社員たちは浮き足立っていたけれど、その賑やかさと相反するようにおれ─四課課長サッチ─は非常に面白くない気持ちでいっぱいだった。別に、ルーキーくんの若さや才能に嫉妬してる訳じゃあない(あ、うそ。実はちょっと、いや、かなり羨ましいと思ってる)。副社長─一課課長マルコ─がヤツを『口説いた』『直々に教育』というのが心底気に食わないのだ。


(くっそー…。おれなんか十年以上かけて、こっちから口説き落としたんだぞ…!)


 マルコと知り合ったのが三十年前、懸命なアプローチが実ったのが十数年前、そして幸いなことに今現在も恋人関係に在るのだが、そんな彼に例えビジネスとしてでも惚れ込まれた野郎がいることがおれは酷く腹立たしかった。

 交際歴が十年を超えた今でも、素直でない彼からおれが求愛を受けることは滅多にない。よほど機嫌が良いか、相当に酒に酔っているか、それこそ年に片手で数え切れるほどの回数なのだ。そんな彼に素面で幾度となく口説かれた挙げ句にこれから面倒まで見て貰うなんざ、厚かましい。羨ましい。ずるい。悔しい。つーか、ぶっちゃけ、憎い。

 そんな邪な思いを悶々と巡らせていると、いつの間にか二席左隣には伯父さん─社長エドワード─(実はおれの親父の兄貴に当たる。両親を事故で亡くしたおれを、引き取って育ててくれた恩人だ。マルコにゃ敵わねぇがおれも彼を誰よりも尊敬している。)が着席していた。そうなればもうそろそろ開会だろうと腰掛けたパイプ椅子の背に沿って体を後方に反らせて舞台裾を見遣れば、やはり進行役のマルコが司会台へと歩を進めようとするところだった。

 そのまま客席から見て舞台右端の─つまり左側に座っているおれたちと対面する形となる─司会台に赴いたマルコは、会場を一瞥してから徐にマイクの電源を入れる。すると十六課長と社長が舞台上に揃ったことによる緊張か、はたまた式が始まることへの期待か、ざわついていた会場が途端に無音の空間と化した。新入社員、―――入場!

 空気を震わす、スピーカーに増幅されたマルコの声。彼のその言葉を待っていたと言わんばかりに絶妙なタイミングで流れ始める入場曲と、同じく首を長くしていたことを主張するかのように沈黙を破って一気に拍手と歓声とを挙げる社員たち。新入りを古株が温かく迎えるなんざまるで義務教育の入学式だが、おれはこのスタイルを存外気に入っていた。今日から家族となるのだから、きちんと全員で顔を合わせて自己紹介をさせる。それが伯父さんの方針だ。

 一列に並び、顔見せの為にわざと遠回りをして入場してくる新入社員たち。面々は流石、我が社の入社試験をパスした強者揃いであり、緊張の色を浮かべながらも皆その面持ちは堂々としたものだ。しかし先頭を歩く男だけはいやに緊張感がなく、童顔─というより実際に若いのだろう─で、おれだけでなく社員の誰もが男の正体に気付かされた。


(……こいつか。)


 緩やかな癖のある黒髪。(まァ特記するほどでもないが)周りと比べて焼けておらず白い肌。雀斑の浮かんだ頬。やる気の感じられない目(但しマルコほどではない、などと言ったらマルコに殴られるだろうか)。些かだらしない印象を与える弛んだ口元。身長や体格こそ国民平均値を超えていると見られるものの、優男の匂いがそこかしこに滲み出ていて、お世辞でもおれには彼が未成年で会社経営を成功させていたような秀でた男には見えなかった。

 そして、顔見せを終えて一同と共に会場の最も前方に座したその男の視線がマルコへと真っ直ぐに向いていると気付くのに、時間はかからなかった。何故なら、それはおれが彼に向けるものと全く同じ熱を含んでいたから、だ。






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