全身を包む筋膜。そしてその筋膜の集約しているような処、それが横隔膜。
少し以前の記事で、脚は横隔膜直下からはじまる『ヨンセツコン』だと書きました。つまり肚は第一の脚であり、ヨンセツコン(脚は左右あるので八節コンになるけど)の一本目(×2)を握っているような処であると。
そんな体感が明確になると、股関節、膝、足首といった節もまた、ハッキリとする。(一番下の足関節はとりわけ細かく、足指の動きでまた細かく枝分かれするけど、足部の細かさについても話が及ぶとやたら長文になるので割愛)。

いわゆる『一体感覚』と、パーツ&パーツを個別にとらえる感覚は、矛盾しているわけではありません。『すべては1つ』とか『無』とはシンの感覚的表現であり、意識や体を愚鈍に『ひとかたまり』にさせるのとはまるで違います。

個性を尊重して解放したら無秩序になるわけではない。真の個性とは自我(部分力)の勝手運動のことではありません。ヒザがヒザとして、股が股としての機能を、じゅうぶんに発揮すること、それを個性というのだ。


『中心力』とは、下っ腹一点張りに力を込めて体じゅうの関節やら意識やらを硬直させてしまうことではないです。念ではないです。
『すべては1つ』とは、スローガンみたいに唱えるようなものではなく、はじめっからあることです。



♪イヅモのように キメて ぶっとばそうぜ

(RCサクセション、雨上がりの夜空に)