のびたりちぢんだりするカタツムリ







神楽は幼い時は、周囲の人間が、自分に溺れたり、夢中になったりする原因が、自分の綺麗な顔や体、皮膚、可哀らしい、大きな眼にあるということを、知らなかった。
だが、父親のようだった銀時の、自分に溺れていく愛情や、新八の繊細で献身的な、愛情というよりは熱情のようなもの、桂の愛玩的な、親愛からの恍惚、熱い湯のように胸に入ってくる、土方の愛情。それらのものが、自分のものになったのは、自分の魅力が原因だということを、どこかで感じとっていた。
また表面は、それらのものとは反対のもののように見える、憎しみのようなもの、例えば沖田のサディスティックな憎悪、さっちゃんの女の嫉妬。厭らしいということが、どんなものか知らなかった神楽にも、ひどく不愉快なものを覚えさせた、男たちの眼つきや、粘りのあるものの言い方。それらのものが自分を襲ったのも、やはり自分の持っている魅力にあることにも、神楽は気付いてきている。現在ではその自信は、大きな、重みのあるものに変わっている。
銀時の甘い蜜の愛情は、その濃密さを増しに増して、神楽の心も、体も、溶かして、蜜のようにしてしまう程の誘惑を帯びている。銀時の愛情が、舐めても、舐めても、無くなることのない、大きな蜜の壺であることを、神楽は知っている。知っていながら、その蜜の壺の中にある蜜を、拗ねたり、困らせたりすることで、どれほど無尽蔵か試してやりたい、強烈な誘惑にも掴まるのだ。
憎んだり、嫉妬をしたりする、厭らしい方の側も、沖田とのやり取りで泣かされたりもしたが、不特定多数の女たちが、神楽をそういう眼で見てくるほうが苦手だったりする。神楽は女にもモテるし、宝塚のようにファンクラブまであって人気もあるが、あまりに異端の美しさ故か、平凡で意地の汚い女には受けが悪かった。
それら女たちの、時に粘つくような眼には、神楽も参っているのだ。女たちは、話をしながら、じろり、じろりと、神楽の綺麗な顔や、ぬめるような色気の体の動きを眼で追っている。どうかするとその唇じりの下がった唇が緩んだようになり、二つの眼が鈍く光って、神楽の天女のような顔の上に固定する。その眼は神楽の袖の無いチャイナドレスを着た肩に、移るのだ。神楽は、家に帰ると銀時に、青い大きな眼を見張って、無言で訴える。すると銀時の、蜜のように光る眼が、それを見迎えた。そうして、


(どうしたの、神楽ちゃん)


と、彼も黙って聞くのである。
神楽は、今日あった出来事を、銀時にだらりだらりと話す。
公園での遊び、ファンクラブの集い、意地悪な女たちの絡みつくような視線、沖田との遭遇──…。
泣いてしまったせいか、若干むっつりとした顔で、ソファに寝転ぶ銀時の上にのって、自分も寝転びながら、銀時の胸に顔を埋めて、神楽は今日あった出来事を話す。
今日は珍しく、沖田と遭ったと神楽が正直に言うと、銀時の眼の奥が一瞬きらりと鈍く光ったが、神楽はそれを素知らぬフリで、沖田がどれほど厭味で酷い男かをつらつらと話すのだ。
銀時は、公園から帰った神楽の訴えで、おおよそのことを知り、火のようになって今もサディスティックに悶えているに違いない、沖田の姿も、推察していた。それで銀時は、土方の気持ちも深く、理解できる。


(沖田って、私のことが好きなんだ……)


重みのある、揺るぎのない自信を持った神楽には、魔のようなものが更に加わったようだ。
神楽の眼はいよいよ、魔をおびて光り、その眼は銀時以外の男に試練の火を与え、一方で銀時の心を、愛の深みへと、引き入れていった。









同じ夜、神楽は寝床の中で、いつもの湿った、メランコリックな気分の中に陥っていた。
その夜、神楽は久しぶりに、銀時と離れて睡ったのだ。
いつもの神楽は、濃厚なセックスのあと、片時も自分を放さない銀時に腕枕をされ、抱きしめられながら、夜を寝てすごす。その寝苦しいまでの抱擁に、もう馴れてしまうほど、銀時との同衾は自然になりつつあった。
だがその夜、銀時は徹夜の仕事でひさしぶりに家を空けて、新八が泊まり込んでいた。


神楽は当たる相手がいないことに苛立って、何度か、寝返りを打った。銀時が傍にいたら、起こして、レモネードが飲みたい、とでも、氷が欲しい、とでも言えただろう。銀時は頼まないでも、神楽が夜中に起きてしまった時でも、また再び寝入るまで、起きていてくれるのだ。その銀時が、忽然として、何里も離れたところに、行ってしまったのだ。そのことが神楽を、どうやっていいかわからない状態にしている。銀時が出て行った後も、寝床に入るまでは、それ程にも思わずにいた。銀時から、どうしても会わなくてはいけない客と会うので、それが万事屋の大切な仕事なのだと、言い聞かされているので、神楽は不平は言わぬつもりでいた。それが一人で和室に入って、寝床に横になってみると、銀時がいないということが、どうにも我慢が出来ないのだ。しかも、夕方から降りだし、いまも降り続く雨に、空も、家も、閉じ籠められたようだ。
神楽は居間で寝ていた新八を呼び、氷を入れたレモネードを持って来させたが、新八では当たる張り合いがない。銀時が傍にいて、甘えを潜めて飲むのではなくては、レモネードを飲む気もしないのである。新八はひたすら、神楽を慰めようとしたが、神楽は「もういいアル」と言って、ぴしゃりと襖を閉めた。


神楽はレモネードの氷が溶けていくのを、じっと見ているだけで、飲もうとはしないで、何度も寝返りを打った。銀時が居れば、何度でも着せかけてくれるはずの薔薇色の毛布を踏み脱いで、神楽は白い長袖のパジャマにくるまれた体を、不機嫌にくねらせた。


しとしとと雨が降っている。
今日は朝と昼は曇りだったが、このところ雨が降る日が続いている。
昼間の、沖田の言った言葉が、不意に思い出されてきた……。
毎晩、銀時にいやというほど抱き潰されている神楽は、銀時以外の男とのセックスなど、想像したこともないが、沖田の言葉は、神楽を刺激するのに十分だった。
あの沖田自身でさえ、神楽の裸を妄想して、自分で慰めているのだと、告白したのだ。
少なくとも、沖田と土方、この二人の男は、神楽の若々しい、まだ未成年といってもいい十六歳のカラダを妄想して、不埒なことをしているのだ……。
神楽はまだ、自分の身体が、たくさんの男たちの夢の中の供物だということは知らなかったが、身近な男二人にとっての自分の身体が、偽らざる真実を含んだ慰み物だということは理解できた。
銀時に時々、セックスの中で言葉責めにされる神楽は、土方が自分で自分を慰めていることは聞かされていたが、実感はなく、どこか夢うつつだった。だが、今日の沖田の言葉で、それがしっかりとした明確な真実であることが判ったのだ。
神楽と今の関係になる前、銀時もそうだったんだろうかと、神楽は想った。
銀時以外の男に、自分の身体を好きかってに妄想されて、その妄想の中で弄ばれるのは、あまりいい気がしなかった。
神楽は潔癖症ではないが、今より少し若い頃は、男にいやらしい眼で見られることに、敏感で、辟易としていた。
いまや自分の身体は、男には毒で、エスカレートする妄想の地獄だと知りつつあるが、どんな男もしようのないケダモノなのだという認識が、育ちつつある。
土方も沖田も、実際の神楽を知らず──たぶん一生知り得ず──、妄想の中だけで神楽を滅茶苦茶にするのだろうが、それは酷く滑稽で、果たして気持ちが悪くも、憐れみの感情が湧いてくるのは正しいのだろうか。
もしかしたら、今宵も沖田は、神楽のことを想って、妄想しているのかもしれない…。
男どもの夢の中で、銀時にそうするように、股を広げて、巨乳を波打たせ、乳首を勃起させて、びっちょびちょに濡れている自分が、妄想のうちに果てる様子は、確かに気持ち悪いが、少し満たされる気持ちもあるのだ。
銀時以外の男にモテることに、神楽は時に鈍感だったが、決してそれは褒められたことではなかったのかもしれない。
神楽の中の魔モノは、男の好意を生餌にするのにぼんやりと貪婪だったが、神楽自身はそうではなかったのだ。
無自覚というものが、一番残酷なのだと、神楽はわかるようになってきている。
沖田と土方、この二人に、今後どういう顔で会えばいいのかはわからないが、自分を好いてる男たちに、神楽は優越心のような、愛の貪婪を覚える。一人の女として、それは当たり前の成長だったが、神楽は何となく銀時に悪いような気もしてくる。それが徒な神楽にもある正常な感覚だということは、銀時がこれからも証明してくれるだろう。


寝苦しい夜──…。
神楽の眼は、水を湛えたように潤んで、どこか陶酔したような艶を出している。徒な考えの中で奇妙な、甘い歓びを覚えるからだ。
神楽はいくらか苦しげに体をくねるようにして、あたりを見廻した。二つの眼は一層潤みをおびて、底の方で光っている。透明な、薄い膜で包んだような眼である。毛布から腕や脚を物憂げに投げ出したりしていたが、しばらくしてゆっくりと眼を瞑った。
暗くした電灯の下で、闇夜にさえ発光したようにぬめる神楽の足首が、言いようのない、光沢を見せてもつれていた。


そんな一人の夜も挟まって、銀時と神楽の甘い蜜の関係は、いよいよ密な、孤立した、世間全体を向こうに廻したものになっていく傾向があった。そうしてそこには、誰も犯すことの出来ない、永遠の蜜の部屋があるように、見えるのだ。






fin


09/09 18:50
[銀魂]




・・・・


-エムブロ-