僕のリリーサー







「伊藤先生!」
「あぁ、どうしたの」


思わぬ人物に声をかけられて、彼はらしくもなく目を丸くして立ち止まった。
彼に声をかけた少女は、白いセーラー服をひらひらと、口をヘの字の形にして駆け寄ってくる。
いっそ、遺伝子を一から調べてみたいと思う異端な髪色に、自然と伊藤の口もとが神経質にヒクつく。眼の色だってそうだ……アジア人種からは考えられない色素の青さ──。  コレが生まれつきなのだから、この女生徒は本当に問題児だ。風紀主任を任されていることもあって、何かと目につく少女の素行や存在は、留学初日から伊藤の耳にも入っている。
何度か問いつめたいと思ったのは嘘じゃなかった。
担任の坂田や親の承認がなければ、伊藤だって黙っていない。
けれどいつも過剰に庇うような教師陣や……たぶん親の権力だろう、香港でも名の知れた名家の生まれという少女は、随分と甘やかされているようにも思えた。


息も切らさずに目の前に立った女生徒が、彼を見上げてきた。
あらためて接近すると──…ミニマム…──そんな言葉が頭に浮かぶ。
大概な身長差は…けれど、ふてぶてしい彼女の雰囲気に教師をもたじろがせる。
だからこそ───こんなにも上から見下ろせることに安心するのか。


「あの、ぎ……坂田先生が、校長に呼び出されたって聞いたアル…」


がらりと不安げに揺れる瞳が、ビックリするほど頼りなくなる。
必死に見上げてくる少女に、伊藤は目を細めた。
何を不安に駆られているのか、その理由が分からないこそなのだろう。
得体の知れないことというのは下手に全てが分かっているよりも性質が悪い。
彼はゆっくりと教科書を持つその手を自分の肩にのせた。


「うん。 まぁ、確かに呼ばれていたけどね」
「!」
「でも、君がそんなに心配するようなことじゃないよ?」


目を見開いた少女の頬が、顎にかけて少しむっつりする───ように視えた。
こわばらないところを見ると、真意は通じなかったらしい…。
肩にのせた教科書を苦笑いながら彼女の頭に降ろし、今度はそこにそっと置く。
心配しなくていいよ、という優しさ?
否、これは一種の威圧行為だ。
今こうして問題児とやりとりしている自分を、どこか覚めた目で意識しながら、彼は奇妙なあくどさに駆られている。
そういう気分はいわゆるあの同僚だけに向けられるものと思っていたが、それは邪まなばかりでなく、教科書の下、力を入れてしまいたくなるピンク頭にも向けられる。真面目な教師ヅラしたその仮面の下で、上っ面に浮きあがってくる残酷さ。担当は物理、二年までの必修のその科目を彼女が苦手としているのは知っている。
少しだけ教科書を押すようにして離した伊藤に、少女は大きな碧眼で無意味に彼を見上げるようにした。
意味の無い上目遣いの眼を教師にあてている。
こんな、幼稚なしぐさにも・・・・・微妙に滲む不条理なものがある。
いっそ彼女を懲らしめてやりたいと、狂暴なものを含んだもやもやとしたものだ。
挑みのようなもの、知らずにそれをやってのける素の少女に、違反切符を──その対象者への厳しい罰則をいやでも奮い立たせる。無論、確信犯だ。
無気味な優しさを、底意地の悪い撫でるような優しさを、どこかでもっと恐ろしく思ってくれればいいのに……。
警告的な意味合いを含めた同意の向こうに、少女は気づかず納得したようにエヘヘと笑った。
頬がわずかに赤い。
濃密なミルクを思わせる白い肌理…。
目じりに濃く影を落とすピンク色の睫毛が、瞬くたびに素直なふてぶてしさを伝えてくる。


──可哀いな。


むしろ、純粋にそう思う。
そしてこんなに可哀らしい生徒に、彼らは憎からず振り回されているのだと思うと、いっそ同情さえ覚えた。
実際、その一方の彼はあからさまなエコ贔屓さえやめないが。


「ただ、ね。 訊かれたんだよ」
「……え?」
「校長に」


心配そうな顔を作る伊藤に、少女はキョトンと眼を見開く。
ゆるく開いた唇をそのままに、続きを聞こうとまた無意識に上目遣いの少女がおかしくて、余計に嗜虐心を煽られる。
苛めてみたいという動機と、甘やかしてみたいという動機は紙一重だ。
彼は咽喉の奥でくつりと笑った。


───本当は、匿名の情報を流したのも、同僚をいま窮地に追い込んでいるのも、ぜんぶ自分だ。


わずかに腰を折って屈む。
前のめりになるようにすれば、少女の上瞼が少し押しさがり、やわらかくけぶるような前髪が寄った。
無防備にも、視線で問いかける彼女に、真面目くさって苦笑う。
その鮮やかな瞳の青さに、じっと覗きこんで。



「君と彼は、疑われるような関係なのか? って訊かれたんだよ」



あまりにも馬鹿げているよね。
誠実な声で、信頼の台詞を、低くうなずいて囁いた。



そんな馬鹿なこと、ないのにね?



少女はうなずくこともできず今度こそ固まっている。


───さぁ。 彼はどうやって切り抜けてきたんだろう…。 何が真実か嘘かだなんて、僕にはどうでもいい。疑われざるを得ないことをしでかした聖職者に、どっちみち失望は拭えない。最初からイケ好かない奴だと思ってはいたけれど。



唯一逃げる術を持つ女生徒でさえ、その身を泣き出しそうに僕の前に晒しているのに。
まったく、図太さは一流だからね…。
そんなにあからさまに睨むなよと、
バレてしまうよと。
怯えるような眼で自分を見る少女の後ろに、酷く冷たい眼をした男の視線を受けとって、伊藤はふくみ嗤いを口にした。





来たね、僕のリリーサー
(大丈夫、きっと誰にもバレていないよ)










fin


07/05 09:47
[銀魂]




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