リプリー







痛烈な攻撃に対して、痛烈な返答を見つけられないほど屈辱的なことはない。
銀八は所詮言いがたい困惑に陥り、嘲笑を浴びながら、沈黙で肯定を通す。意気地なく引きさがるのとは違う。
彼は、10秒ほど相手を睨みつけたあと、少女が映画館で待っていることを思いだした。
口をつけないまま手にもっていたアイスコーヒーを一気に飲み干し、それからその紙コップをカフェのカウンターに置いて、別の紙コップを二つ、一つは自分のため、もう一つは神楽に持ってゆくために取る。


実際、どんな些細な声でも聞こえてくる状況はひとつあるのだ。
それはその声が自分を苛立たせる内容を吐く時だ。
奇妙なことに、今度ばかりはその声も、その無様な神経質さにもかかわらず、完璧に聞き取れた。
カウンターから少し離れたベンチに座る男は、銀八も知るとおり才気煥発で辛辣だった。彼は小難しい言葉によって、自分の思想や信念、教えや行動を美化して他人に話す。
だんだん自分の雄弁に満足し、さながら天に通じる階段を昇るように、誇張をつりあげてゆく。
三つ揃いの背広を着て眼鏡をかけたひとりの男が、銀八の様子に神経を傾け、まるで獲物を待ち伏せる野獣のように、根気よく観察している。


『大変だね、きみも』


やがて、その雄弁な観察が尽きると、男は言った。








◇◇◇











『……先生は、悪くないの』


それを叶わぬ言い訳と取るならば、誰を罰することもない。




静かなノックとともに入ってきたひとりの女生徒に、伊藤はこの個別の指導室で向かい合う。
椅子に坐ったままの彼のもとへ、少女がいささかむっつりと歩み寄った。生徒から敬遠される伊藤のような教師にさえ、彼女の態度は変わらない。ある意味、ふてぶてしく緊張を押し隠した無愛想に、呼び出した彼は眉をひそめる。
何点か確認しなければならない事項を聞きとがめ、その返答の如何によっては絞り上げてやろうと思っていた。
彼女に悪意はないが、彼女を軸とする人間関係には悪意がある。
あまり頭はよくない。誘導訊問のかたちで巧妙に導いていくと、何度か素直にうなずき、興奮に乾いた唇を舐めあげている。
自分も先生も何もわるくない。ちいさな唇が悪気なくそんなことを告げた。


いずれにしても、少女のすべての犯行には共通点がある。
たぶん、違っているのは全体のトーンだろう。彼女の犯行は、ふてぶてしく落ちついていて、シンプルだという印象を与えるが、どれもそれ以前の悪態よりも色んなことが詰め込まれている。


女生徒の担任の男の場合、ほとんど何の縁もない少女──親元を離れ、頼る者のない──彼女と、二人だけの世界を作りあげている。
この不適切な世界が、ある意味ほんとうの彼の世界なのだ。
こんな職業だ、ある意味理想の狭い世界に生きていて、大人になりきれていない、だらしのない男だ。逆に、ずっと現実の世話になってきて、理想に片足をつっこみながらも、少女の悪夢にうなされている男もいる。いわば良心の代わりだ。でも、彼らは彼女に恋をした。この恋が文字どおり彼らを現実に陥れている。
大人の恋をする準備ができていない子どもみたいに。
だから、今になって地獄を見つめる男たちは、哀れな天使みたいな男だとも言える。
一方、ふたりの関係では、彼らが少女を悪魔みたいに扱っているが、彼女自身は天使だ。邪悪な天使だ。


もちろん、これだけが少女の犯行の共通点というわけじゃない。いくつも、男の破滅を招きはじめている。
彼は子供の彼女に事実上、手は出していないし、当然踏みとどまっている。
だが、それらはほかの人物のリアクションを呼び起こす。新たに目覚めていくみたいに。
そういうところが面白いと思ったのだ。



願わくば、彼らの不幸を愉しんでいる自分自身が堕落の一歩を辿らんことを。




リプリー









「───坂田先生とは、じゃあ何でも無いんだね?」


そう締めくくって解放した伊藤に、女生徒は一瞬隠しきれない素直さを魅せた。
こういうところが犯行的だというのに…。
彼女の存在それ自体が罪だと、伊藤はめずらしく同僚を憐れむことになった。










fin


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07/04 19:21
[銀魂]




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