僕もみんなと同じように、
尊厳、氷山、秘密、異邦人、
遠くで燃えている鬼火なのだ。
「ジミーにも見せてあげるネ」
そう言って、押し入れに行き、紅い唇の神楽が洋服箪笥の一つを開いた。樟脳の匂いが一瞬目に滲みたが、山崎は夥しいチャイナドレスの群れ、鮮やかなそれらの群れの重なりに目を瞠った。
神楽の掌が伸びて、ハンガーに掛かったままつかみ出すようにして見せたのは、薄紫色のシルクのチャイナドレスだった。
なめらかな繭の手触りにコシがある、といったらいいだろうか、そんななまめかしい艶が、触れなくてもわかる。スリットの裾に蓮の花が刺繍されているのも素敵だ。
次に神楽はハンガーの列の下に手を突っ込み、大きな箱を取り出してきた。その中から、薄灰色の毛皮のオーヴァーコートを見せた。こちらも、なめらかな銀狐の手触りがしっとりとふわふわと艶めかしい。コートとお揃いのロシア型の帽子とマフラーもある。ぼんぼりがついた白いマッフもあるのか、いちいち取り出して見せては、これは銀ちゃんが買ってくれた、こっちのコートとマッフはパピーが揃えてくれた、と説明する。
この灰色と白の毛皮の一式を着た神楽は、どれほど豪奢で可愛いことか…。
半獣神のような美しい娘が、毛皮を纏い、すらりと綺麗な脚で、獣美に、のし、のし、と歩くところが、艶のいい白眉な雪豹のように、山崎の脳裏には過った。
その他にも、天鵞絨の短いチャイナドレスもあったが、まさに神楽の毛艶のような光沢があり、濃い猩々緋に黒い薔薇の刺繍などがドラマチックだ。オールドローズのバレエシューズまである。一つ、一つを見せる度に、山崎を振り仰いで、
(見たアルか?)
と念を押すようにする神楽の目が、不遜に気を許したふてぶてしさで一杯になっている。身動きする度に重い、頭が麻痺するような香気がたつ。
(本当に、仕様のない娘だなぁ……)
垂れ目ぎみの目元にかかる髪の下で、眉間に微かな皺と、唇をだらしなく苦笑させた山崎は、神楽がスイートピー柄のワンピースを手に振り向くと、また苦笑を深くして微笑った。どこか甘い微笑いでもある。だがまたすぐに山崎の顔は苦くなる。
部屋のそこらじゅうには、神楽が着ては脱いでを繰り返したのか、とっかえひっかえしたようなファッションショーの跡があり、脱ぎ散らかしたそれらの上をぴょんぴょんと飛び越えては、次に和室に入った。
神楽はそこに置いてある鏡台の抽斗を開け、陶器で出来た宝石入れを開いた。バレリーナが乗った、オルゴール状のドーム型の宝箱のなかに、オモチャの腕輪やビーズの指輪などと一緒に、がらくたのように入れてある細い砂金のネックレスなんてものもある。その他に、小さなピンクのダイヤで覆われた兎のトップがついたプラチナのネックレスや、リボン結びにできるサテンのチョーカ。四隅に四角い古い王冠の角のようなものの出ているクリスタルの指輪を、白兎の帽子の中から取り出したりもした。銀時の与えた本物のダイヤモンドの指環なども、むくむくと見せてくる。
山崎はあきれたように苦く開けた口を漸う閉めて、また笑いを滲ませたが、それはどこか感嘆の入り混じった称賛の顔だった。
「あとはまた今度、機会があったらネ」
そう言って神楽は再びソファーにかけ、まだ洋服箪笥の前に立っている山崎を見た。その二つの眼は何か別なことを考えている。山崎は手にもった報酬の包みを机に置いて、心持ち頭を下げた。
そうして、
「そうだね。そろそろ旦那が帰ってくるだろうし、俺はもう帰るよ」
と、言った。神楽は瞳を上目蓋にひきつけた目になって、山崎を見ていたが、ふふんと微笑っている。
まるで事が終わったあとの娼婦と男──または浮気妻と間男のやりとりみたいだ、と山崎は一瞬馬鹿みたいに思ったが、鬼が居ぬ間になんとやらだ。──実際、間違ってもいない。神楽は銀時の婚約者なのだから。
海での顛末は聞いていた。自分は仕事があって行けなかったので、婚約の事も後から聞いた。別段驚きはしなかった。当然の結末だろう。上司たちはすこぶる機嫌が悪いようだが…。この気まぐれな、突然降ってわいたような頓珍漢なあいびきを愉しんでいる自分もいる。
美しい少女との束の間の専横な戯れは、ぼんやりと突っ立つ山崎を道化のように滑稽にしたが、そういう自分を自覚していた。頓珍漢でいて妙に興奮する。そんな自分をすでに受け入れている。ハイエナのように、獅子の食い残しのおこぼれを貰う、そういった自分を。
「銀ちゃんの箪笥にも、まだいっぱいあるネ。いっぱい買ってくれるから、入りきらなくなったアル。水着もあるんだヨ。赤いビキニ──。ジミー、見たい?」
山崎の胸には、神楽の企みがむっくりと悪いイタズラのように燻った。
水着よりもタチの悪いものもいっぱい入っているのかもしれない…。そんな風に思ったが、本当にそろそろ銀時が帰ってきそうで恐い。
鬼の上司に頼まれて、未払いだった分の報酬を律儀に届けに来ただけなのだが、ここまで長居するするつもりはなかった。
ピンポンを押すと、唇に鮮血をのせた美少女が、白いタンクトップとショートパンツ姿のままの薄着で、無防備に山崎の目に飛び込んできたのだ。ミルク色の白魔の膚が蒸し暑そうにしっとりと湿るなかで、ぷるん、と弾ける赤い唇が血が滲んだように病的で、酷く煽情的だった。リップクリームだろうか。そんな神楽をはじめて見た衝撃と、その猛毒にかかって、山崎は頭の芯がぼんやりと麻痺してしまった。気がついたら、ついつい「旦那は?」と聞いて奥を見渡し、居ないのをいいことに強引に上がりこんだ。
神楽は少しむすっとしていたが、仕事の依頼かと思ったのか、素直に依頼人を通すように山崎を上げた。
そこに辿り着くと、色とりどりのチャイナドレスやワンピースの錯乱現場があった。──そうして冒頭の台詞に戻る。
あれもこれも全部、銀時が買い与えたものだ。
神楽が教えてくれずともそんなことは一目でわかった。
愛情でも何でも、銀時の与えるモノの中で神楽は甘やかされて生活し、その豊かな餌と水がある草原の藁床の中で、優雅にごろんごろんしている獅子の仔なのである。
ここは銀時の城で、銀時の黄金の塒、銀時の巣箱だ。
この巣箱をときどきは外に出し、霧吹きで水浴びをさせたりもしなければならない。天気が三日続いて、次の日も晴れるという予報が確かだと思われると、箱詰めの神楽を外に出して陽にあて、水浴びをさせなければ。
自由を愛する誇り高い獣の仔は、そうでないと死んでしまう。
瞳を上にひきつけた異様な神楽の目は、そのような鬱憤のせいでもあったのかと、山崎は想い、眉間の皺を暗くして戸口へ向かった。
扉を開く前に振り向くと、神楽はまだソファーから微動だにせず、ぐったりと寝そべって山崎を見ていたが、山崎が「じゃあね」と挨拶すると、微かな秘密のような微笑いの蔭を口の端に浮かべて彼を見送った。
扉の閉まる音とともに、山崎は現実に戻ったような自分に少しだけほっとした。
見てはいけない世界を見てしまった秘密を、胸に仕舞いこむようにして階段を下りた。
fin