私は基本ポジティブだが、一度ネガティブにはまるとけっこーずるずる抜け出せない。
そのネガティブ自体が曖昧で、自分でも説明できないものだから尚更だ。
それでも小さな頃から、そういった混沌とした自分を、ある程度偽ることだけは覚えてきたから───だってそうしないと、あんな場所では無理、生きられない。神経衰弱もいいとこだ。
───表面上のほとんどの人の目にも私が、メランコリーな気分最高潮でいることは悟られやしないんだろう。
もしくは気づいていてもそこまで重要視されないのかも。(例えば銀ちゃんなんかは私の態度に敏感だけど、こういう時、私を放っておく。表面上、私が不平も不満も何も言わないから、わかりやすく匙を投げている。)
……ある意味、世間一般論、年ごろの少女の悩みは気まぐれで、悩みを叶える望みは山よりも高いのだ。
海よりも深いと思っている悩みはたいてい本人のみで、後々から思うとそれなりにつまらないことだったりする。それなりに真剣だったりも。
でも、実のところ本人でさえ把握できない憂鬱というものもあるのだ。
例えばそれが他人にとっても、自分にとってもあまり意味がなかったり…。
あえていうならいま、自分が置かれているすべての現実に、不当な、不遇な、不遜な、不安をもってして、平等にくすぶる魂の根幹に問いかけてみるだとか。
……てなわけで。私はときどき自分でも真面目だと思えるメランコリーの海に漂って、高い堤防をわざと遠くから見つめている。
ぷかり、ぷかり、波に揺られて時には沈み、時には浮上できない不機嫌をひそかに飼い馴らす。
そういう時は日がな一日読書をするフリでもして耽っていたいけれど、やっぱりそうもいかないから、意識的に誰かの手を借りたりすることもある。
「……今度はなーに?」
優しい体温と事後のいたわりに、いっそさめざめと泣いてしまうだとか。
「……うん?」
少しだけ浮上しかけた波のすぐ下で返事をする。
私は決して泣き虫ではないけれど、幼児がえりのように、または一丁前の女のように泣いてしまいたくなるのは…
こんな時だ。
(何が悲しいの?)
でもそれが本当に悲しいのかもわからない。
そのわからない悲しみすべてを取り去って欲しいと願うのも… こんな時。
やわらかく髪をすく指の感触が、一定のリズムをとって安心する。
瞑っていた目をあければ、鼻と鼻の先が触れ合うほどの距離で相手は私を見つめている。
私はこの弾力ある肉の枕に頬を押しつけ、潜って溜めた息を少しずつ・・・、少しずつ・・・、吐きだす。
『……戻ってこいや。』
まるでそう呼びかけられているよう。
…うん。
『 』
後すこし……後すこし……
余裕もなく私をかき抱いた先ほどの熱に甘えて、少しだけ波間から手をあげた。
時には不機嫌ごとかっさらって
fin