ベイビーブルー







この未知の女生徒と一緒にいると、自分が若返り、失われていくような感じがしてくる。









「ちょっといい? せんせ、一応電話入れなきゃならないから」


銀八は立ち上がって、携帯の履歴を確かめるように外に行く。
神楽は木枯らしに遊ばれるやや猫背ぎみの担任を眺めていた。
これだけ離れると、彼の年齢がよりはっきり見て取れる。いつも学校で見るときにはもっと若いように思えた。でもいまは、彼が自分より八歳以上は年上にちがいないと確認する。
兄と同じく、シンスケと同じく。
だからといって神楽ががっかりするわけではない。
逆にそのことでかえって、じつに大胆で、じつに危険なこの冒険が、自分の人生の圏内にあり、見かけほど常軌を逸したものではないという気がして心強くなる。




携帯を切った銀八がまた店のなかに戻ってくるのを、神楽はじっと観察していた。
彼はテーブルのほうに向かいながら、一瞬汚物を跳ねかけられたような顔をした。


「シンスケ、怒ってたアルか?」
「──いーや…。別に怒ってはいなかったけど」


銀八は答えて座る。


「でも、不愉快だろーね、たしかに」


言って黙る彼を見て、神楽もまた黙った。
眠れない夜の睡眠薬が疲労というかたちで立ちもどってくる。その疲労を追い払おうと、神楽はグラスに残りのトニックソーダを注いで飲んだ。それから、青白い手を彼の手のうえに乗せて、


「先生とわたし、ここでは恋人同士みたいなものアル。 …何かオゴって?」


なかなか追い払えない疲労を感じている彼女は、自分の感覚を充全に覚醒させておくためなら何でもする覚悟なのだ。
だから、たとえ銀八が見守っていても、三つ目の小瓶を選ぶ。
教師のまえで平然とお酒を注文しにいく。
神楽がバーのほうに向かうと、そのバーからは強烈な音楽が漏れてきた。
ロック、ジャズ、オペラの断片。
神楽は一瞬たじろぐが自制する。アルコールが欲しいからだ。ふたりはカウンターでそれぞれ綺麗な色のカクテルを一杯ずつ頼む。
彼女についてきた銀八は、しょうがなくこの不良少女を見守っている。


さっきの電話の相手は、実は銀八とは昔ながらの古い友人だ。
銀八も勤める高校の保健医だったりする。


神楽は、たぶん故郷で父親があんな死に方をしなければ、日本に来ることもなかったのだろう。
彼女の父の古い知り合いでもある男──高杉晋介という医者にあずけられ、兄や過去と切り離されることもなかった。
銀八は知らないが、神楽は兄のことを考えすぎるといつも眠れなくなるのだ。
すでに睡眠薬を一錠呑んでまどろんだのに、夜のまっただなかに今夜も目が覚めたので、もう二錠呑んだ。それから、落胆し、苛立って枕の横の小さなラジオをつけた。
ある局から別の局に移るが、いたるところから音楽、音楽の洪水。
もう一度眠れるように彼女は人の声、自分の考えを襲って、自分を別のところに運び、落ち着かせ、眠り込ませてくれるような言葉を聴きたいと願った。
けれど、息のつける空間がほしいと願うのに、悪夢のごとく、自分の上に泥袋のように落とされる、ぐったりとして生気のない思考にぶつかる。兄や自分を檻のなかの手負いの獣のように扱うシンスケへの、新たな癇癪(愛憎)の波が神楽を捉える。
少しまどろんでいた瞬間も目が覚めると、枕元の横の小さなラジオがあいかわらず物音となった音を放送していた。
神楽は頭が痛く、自分がくたくたなのを感じる。
そしてとうとう、憎悪の強さが麻薬のように働いて、彼女は夜の町に飛びだした。







「そろそろ帰らない?」


銀八が覗きこむようにして言ってくるのを、神楽は完全に無視した。
彼は真夜中に拾った夜行性の非行少女が抱える複雑な問題など、いったいどこまで踏み込んでいいのか見当もつかない。
当たり前だがすべてを把握しているわけではないのだ。
教師といえどそこまで熱心な性格でもないので、問題のある生徒だとは、聞き及んでいるが──。
だが、それだけ。
教師だからといってなんにでも詮索が許されるわけじゃないのを自分は知っている。
彼女の保護者としていつも一番近くに居座る高杉も、それを許さない。
ただひとつだけはっきりしていると思えることもあった。
それは、いま、彼女が銀八に助けを求めているのだということだ。


銀八は困ったように神楽から目をそらした。
ぼんやりと夜に漂う少女は、綺麗な赤いカクテルをすすっている。
これではまるで本当に深夜のデートを楽しむ恋人同士のようだ。



「もう一杯」
「だめ」


いやいやと彼女は首をふる。
もう一杯、もうもう一杯、もう一杯。



「わたしと先生、このままじゃ幸せになれないアル…」



銀八は神楽を見た。


「どうして?」


彼女は頭で合図した。



「…──音楽?」



それはみんなが歌い喚いているので──朝が近づいてきているのに、眠りがやってこない“それ”に似ていた。
黄色い薄明かりのなかには、ぽつりぽつりといるカップルたちが見える。
みんなそれほどうるさがってはいない。
神楽のいう気難しさは、銀八にはわからない。
でも、彼女がイヤというなら、どうにかしてやりたいとも思うのだった。



「音、小さくしてもらおうか?」


そんな担任のいやに面倒見の良すぎる優しさに、神楽はふとおかしくなってくる。
クスクス笑う少女に、銀八はそっとささやくようにからかう。
それは、決して言ってはいけない言葉だった。
だが口についた途端、とても自然に、ふたりになじんだ気がした。





「───俺のところにくる?」


少女がうっとりとまばたきする。










fin

もし傷つくのなら、最初の相手はあなた(きみ)がいい。



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07/11 06:45
[銀魂]




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