よい本屋だなと思った。本が生きている。

そういう本屋にいると、本と自分とのまわりには薄い膜が張られている。
棚から本が見つめてきて、私も見つめ返して、そこには私と本だけの緊密な空気が確かにある。
後ろで黙って仕事をしていた店主がこちらに近づいてくる。すーっと背後に気配を感じるが、私は振り向かない。邪魔をされることはないと、その足音でわかる。
意外にも、シャッターを切る音がする。
何を撮ったのだろう。「お月見」のフェア台なのか、別のどこかなのか。
それでも、私と本とのまわりの膜がはがれることはない。欲しい本に目星をつけながら、私はひとつずつ棚をみていく。

小さな店内を半分ほど廻ったところで、他の人の声が聞こえてくる。別の客が入ってきて、常連であるらしい彼らは慣れた足取りで店の奥へと踏み込んでくる。

その瞬間、パチンと膜が破裂した。
あっけなく恋は終わった。本は私を見なくなって、私にも本が見えなくなった。さっきまで膜のなかで膨らんでいた本への期待が、みるみるうちに萎んでいくのがわかった。どの本でもいい。適当に買って早く店を出たい。どうして今はこんな風に思ってしまうのか。でも私は、ここにいていいのだろうかと焦ってしまう。
早く気の知れたみんなで話したいかもしれない。そんなことはない。が、行ったり来たり。
さっき欲しいと思った二冊をあまり悩まずに手に取り、彼らと入れ違いにレジへ向かった。

「当店は、はじめてですか?」
店主が本にカバーをかけながら聞いてくれる。そうです、と言うと、どこで知りましたか?と。
答えあぐねる。私はべつの本屋の店主からこの店のことを聞いたのだが、教えてくれたその人がいまこの店の奥にいるのだ。
蚊の鳴くような声で、あの人に聞きました、とようやく答える。
「それは小声になりますね」と店主は優しく笑う。
別に小声になることはないし、むしろその人にもいま挨拶すればいいことなのに、こうして同調してくれて優しい人だなと思う。……私がおかしいのだ。

欲しい本がひとつあったので聞いてみると、なんとレジ横の本棚に置いてあった。見落とし。
合わせて三冊購入。もうお金もなにもない。働かなくてはいけない。
お礼を言って、そっと店を出た。


◇◇◇

この本屋に寄ろうとしたとき、夕立に降られた。
傘を持っていなかったので、濡れずに行ける違う本屋に先に寄ろうと行き先を変えた。そこの本屋の店主はビールを差し入れるとたいへん喜んでくれるので、商店街の酒屋に寄って外国のビールをひと缶買った。
しかし店にいくと、入り口のドアは閉まっていた。休業日ではないはずだが、人はいないようだった。しかたなく、ドアにビール缶の入った袋を提げた。あとでまた戻ってきて、先にさっき行きそびれた本屋へ行こうと思ったのだ。

◇◇◇

三冊買った本屋を出た私は、ビール缶の袋が提がった本屋の前にまた来た。

袋のなかで、ぬるくなっていく、かわいそうなビール。ゆきばのないビール。
さっきの店内ですれ違った店主は、もう今夜は戻ってこないだろうに。



◇◇◇おまけ

今朝起きると、携帯電話に連絡が入っている。「昨日はありがとうございました。……私は学校です!お仕事がんばってください」
昨日、練習をみてあげた子からだった。もう朝練に行っているらしい。
その子のお母さんと仲がいいので、ねぼけた頭で連絡を送る。お互いに今日は休みということがわかり、一緒に朝ご飯を食べることに。
本当に色々なこと(おもに愚痴)を話して、かなりプライベートなことまで踏みいって話してみるけれど、本当に打ち明けてみたいことだけがどうしても言えない。どうしてもどうしてもどうしても、喉から声になって出てこない。
土曜日もそうだった。友達と話していて、言おうと思っていたのにどうしても話せなかった。
言っても言わなくてもなにも変わらないのだけど。
言えなかったのは相手ではなく、100%自分自身に原因がある。
なかなか壁は高いな、と息を吐くしかなかった。



友達から、子どもではなく卵を産みそう、と揶揄されたことを思い出す。
普通の人間にはなれないのだろうか。



さいきん森山京さんの作品をよく読みます。


黒井健さんってこんなラブリーな絵も描くんだと衝撃を受ける。
おとうとねずみチロの世界はくすりと笑えるところもあって好きです。


多趣味のシニア(リス)が、姿をかくして幼い子ども(クマ)を応援する……しかし偽りの関係は長くは続かない……
やさしい世界……これはぜひ世間のジッチャンバッチャンたちもよむべき。


そこにあるとき、きいろいばけつは確かにきつねのものだった。
きつねときいろいばけつのあいだにも薄い膜がはりつめていたはずだけど、ばけつは……

さいきん本の読み方が「ピュアじゃない」と言われました。

話題:最近読んだ本