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【NWR】色を失くした少女B

「焼きプリン、いただけて良かったですわ。それに希望通り、きちんと10人前ありますのよ!」

 『ソレイユ・ルヴァン』からの帰り道。
 プリンの入った箱を大事そうに抱えながら、上機嫌にはしゃぐアウラ。その足取りは今にも踊りださんばかりで、彼女と同じくプリンが大好物のツァイスも思わず笑みをこぼしてしまう。
 2人の後ろを無言で歩くクルーエルの仏頂面は変わらなかったが、テンションの上がっているアウラは特に気にした風もなく、不機嫌な青年にも笑顔を投げて寄越すのだった。

「わたくしの我儘を受け入れてくださった、プリンちゃんには感謝致しませんと」
「……おい、もしかしてフルールの事言ってんのかよ」
「ええ。プリンちゃんとお呼びしたら、言葉を失う勢いで喜んでいらっしゃいましたわ!」
「いやソレあまりにも斜め上すぎてツッコめなかったんじゃねえの……」

 とりあえずフルールには後でメールか電話で謝っておこう。そう心に決めたツァイスなのだった。
 それにアウラの所為でゆっくり話も出来なかったし。ついでに今後の予定を聞いて、次の休みには遊びに誘ってみよう。これはあくまでついでだ。主題はあくまでアウラである。

「……ツァイス様、顔が少しニヤけてますわ」
「し、下心なんてないからな絶対に! あくまでついでだからな、ついで!」
「あらまあ、何の話ですの?」
「…………」

 全てを察したかのようなクルーエルの溜息が耳に痛い。というか全部お見通しだ、絶対に。
 それを違う方に勘違いしてしまったらしく、アウラの表情が少し曇った。恐る恐るクルーエルに視線を向けて、か細い声で謝罪の言葉を呟く。

「あの、クルーエル様。今日はわたくしの事で心配をかけて、本当に申し訳ありませんでした……」
「誰も貴様の身など案じていない」
「お前、またそういう事を……」
「いいのです、ツァイス様。それにわたくしの立場を考えれば仕方がありませんわ」

 ──わたくしは素性の知れない怪しい娘。
 それに記憶まで失くしているだなんて、警戒されて当然なのです。それにわたくしは、貴方がたの重大な秘密を知ってしまっているのですから。

「ならば忘れるな。貴様が監視される立場であるという事を」
「……クルーエル、もうその位にしておけ」
「あの事を口外したら、殺す」
「てめえ、いい加減にしろ!」

 いきり立ってクルーエルに殴りかかろうとするツァイスを、アウラが静かに手で制する。
 その手が僅かに震えている事に気が付き、やむなくツァイスは拳を下ろすしかなくなってしまう。そんな2人を、クルーエルはまるで他人事のように冷ややかな目で見ていた。

「……はい。命に代えても、秘密はお守り致します」

 はっきりと、迷いのない口調でアウラは告げた。
 フルール達に告げた事実には誤りがある。ツァイス達は『シュトライテン一族』の傭兵として、アウラを救ったのではない。
 シュトライテン一族の知られざるもう一つの顔、義賊『シュヴァルツヴィント』の仕事を遂行している最中に、標的の屋敷でアウラを見つけたのだ。衰弱し、死の淵を彷徨っていた彼女を、義賊の首領である『断罪者』──ツァイスは見捨てられなかった。
 政治犯だった標的の仕向けた間者である可能性を、暗殺者『死神』ことクルーエルは指摘し、すぐさま殺害することを主張した。仮にそれが杞憂だったとしても、彼女を保護すれば確実に『義賊』の正体が知られてしまう。
 不正者を暴き、そして然るべき罰を与える義賊シュヴァルツヴィント。彼らの所業を世間は高く評価しているが、治安を乱す存在であるのもまた事実。軍部に『第一級討伐対象』に指定され、あの軍門シュレンドルフ家に追われる立場である以上、どんな些細な不安要素でも確実に摘んでおかねばならない。
 だが本来の優しさが仇となって、ツァイスはそれを怠った。得体の知れない少女に秘密を握られ、クルーエルはアウラに過剰とも言える警戒心を抱いている。未だに少女の殺害を主張し続ける程には。

「大丈夫だ、俺はアウラの事を信じてる。クルーエルの心配するような事にはならねえよ」

 「アウラ」という自らの名前以外に思い出を持たない、記憶という名の色を失くした少女。
 無色を意味する「ファルブロス」の名字は、ツァイスが付けたものだった。かつてツァイスが生命を救った少年に、「クルーエル」という名を与えた時と同じように。
 諦めたようにクルーエルが溜息を吐いた。どれだけ反発したところで、クルーエルはツァイスには逆らえない。
 もしもアウラが脅威になるのだとしても、この生命を賭してツァイスを守る──そう、その事実さえ忘れなければいいのだ。

「……まあいい。女、約定は違えるな」
「はい。わたくしは、絶対に貴方がたを裏切らないと、お約束致します」
「よーし。晴れて仲直りってことで、握手しようぜ握手! 俺達の熱い絆の証明をだな……」
「断る」
「おいクルーエルそこは乗っかる所だろ!」
「そんなにしたければ勝手に1人でやっていろ」
「馬鹿かお前! 1人でやったって意味ないだろうがぁぁぁ!」

 男たちのやりとりを見ながら、アウラは密かに湧き上がる感情を抑えずにはいられなかった。
 歓喜。どんな形であれ、ツァイスとクルーエルが自分の為に、ここまで駆けつけて来たのは事実なのだから。
 記憶を失くし、色を持たないアウラに色彩を与えてくれる人達。アウラは彼らが大好きだ。それは無色の自分を彩った、一番最初の「色」だ。
 例え記憶を失くす前の自分がどんな存在だったとしても、この「色」だけは塗り替えられない。
 彼らを見つめる少女の蒼い双眸には、確かに慈愛の色が浮かんでいたのだった。

【NWR】色を失くした少女A

「ツァイス、一体どうしたの!?」
「まあっ、ツァイス様!」
「ツァイスお前もうちょっと静かに来れないのかニャー!?」

 異口同音に名前を呼ばれ、闖入者が一瞬たじろいだ。
 とりあえずリコリスの非難に対して、反射的に「すまん!」と謝罪の言葉を口にするツァイス。お蔭で一瞬状況を忘れかけたが、少女の姿を見て本来の目的を思い出す。
 少女の腕をおもむろに掴み、どこか焦ったような必死の形相で怒鳴りつける友人の姿に、事情を知らないフルールとリコリスが顔を引き攣らせた。

「てめえ、一人で勝手にほっつき歩くなって言っただろうが! 何も言わずに抜け出しやがって、馬鹿野郎!」
「まああああっ! わたくしのこと、心配してくださったのですね! 感激ですわ……!」
「あ、えと、何だ、その……ご、誤魔化そうったってそうは行かないからな! 自分の置かれた状況が分かってんのかよ!」
「分かっておりますわ。だからこそ、地理に明るくないわたくしを、案じてくださってるのですよね?」
「方向音痴と言え! たっ、確かにそれもあるけど、大体そういう問題じゃ……」
「お前ら、痴話喧嘩は他所でやるのニャー!」

 再びリコリスがキレた。
 痴話喧嘩と言われて焦ったのがツァイスである。片思いの相手・フルールが目の前にいる状況で、誤解を招く発言は非常にまずい。少女の手を離すと、大慌てでリコリスの口を塞ぎにかかる。

「だああああああっ馬鹿っリコリス! そそそそんなんじゃねえっつうの!」
「ふみゃーーー!」
「ツァイス様、喧嘩はよくありませんわ。手をお放しになって」

 散々リコリスを翻弄していた少女の言える台詞ではなかったが、本人はまったく気にしていない様子だった。
 そして全く意味の分からない展開に呆然とするフルール。とりあえずツァイスと少女が知り合いだという事は理解したが、ツァイスが何故ここまで焦るのかさっぱり分からない。痴話喧嘩のくだりを含めても。
 ツァイスがここに居るということは、恐らく彼の相棒であるクルーエルも来ているはず。そう思って辺りを見回すと、入り口のドアにもたれかかる形でクルーエルが騒ぎを注視している姿を見つけた。
 ──しかし彼に説明を求めようにも、その鋭い眼光と滲み出る殺気に気圧され、近付くことさえ躊躇われてしまった。
 普段も近寄りがたい印象のクルーエルだが、さすがにこれは尋常ではない。不機嫌で言い表すには生温すぎる雰囲気に、フルールが身を震わせる。

「……もういい、ツァイス。お前では話にならない」
「おい、クルーエル……」
「立場をわきまえろ、女。余計な事をすれば只では済まさん、と言った筈だが?」

 そして彼の口から紡ぎだれた言葉も、背筋が凍るほど鋭い。
 クルーエルはその場所から一歩も動いていない。にも関わらず、怒気に身体を竦ませた少女が2、3歩後ずさった。それでも少女はクルーエルから視線を放さない。まるで全てを受け入れる、とでも言うように。

「……勿論、分かっていますわ。貴方がたの心配なさるような事は、何もしておりません」
「俺はツァイスほど甘くない。次に不審な動きがあれば、容赦なく消す」
「止めろ、言い過ぎだぞクルーエル!」
「もう喧嘩は止めてください皆さんっ! 事情はよく分かりませんけど、私でも怒りますよ!」

 フルールの一声が険悪な空気を一蹴した。
 突然の大声にツァイスと少女が凍り付き、思いがけない人物から奇襲を受けたクルーエルが軽く目を見開いた。各々のリアクションにフルール自身も驚いてしまったのだが、もう引っ込みがつかない。全員の間に微妙な空気が漂うが、それでも大切な店で喧嘩をされるよりは余程いい。

「あ、あの、私達にも分かるように、説明していただけたら、助かり、ます……」
「そうだニャー。お前ら、このプリン娘と知り合いなのかニャ?」
「まあ。プリン娘だなんて、ネコちゃんったら……」

 そう言われても無理もなかった。
 クルーエルは不機嫌そうに黙り込んでしまったので、後始末、もとい説明は結局ツァイスに委ねられる。あんだけ空気ぶち壊しておいて……と恨みがましい目を向けるも、クルーエルが気に留めるわけもなかった。

「あ、えーと、こいつ……アウラっていうんだけど、数日前、ちょっと仕事関係で、面倒を見ることになったというか……」
「改めましてお二方、アウラ・ファルブロスと申します。どうぞお見知りおきを」
「お前らの仕事関係というと、傭兵団のお仕事かニャ?」
「あ、ああ。ちょっとばかし危なかった所を、俺達が助けたというか、何というか……」
「そうなのです。危うく命を落としそうだった所を、こちらのツァイス様とクルーエル様に助けていただきました」

 ツァイスの説明はどこか歯切れが悪かったが、傭兵団の機密に関わる部分にも抵触しているのだろう。そう思い、フルールも特に詳しく説明を求めなかった。
 傭兵団シュトライテン一家は、世界でもそれなりに名の知られた傭兵を束ねる一族だ。各地で争いの絶えないこのご時世、彼らの抱える人材と戦力は高い評価を得ており、とりわけ戦争を生業とする勢力からの人気は高い。
 ちなみに一見してそうは見えないが、このツァイス・シュトライテンこそ傭兵団の指導者であり、シュトライテン一族の当主に他ならない。甘いものに目がなく、片思いも激烈一方通行、挙げ句母親に頭が上がらなかったとしても、正真正銘のリーダーなのである。

「それがご縁で、ツァイス様たちの住まうシュトライテン一族の屋敷で、お世話になっておりますの」
「ニャ! さっき言ってた仲間とやらは、もしかしてツァイスのことなのかニャ?」
「ええ、件の焼きプリンも、ツァイス様が手に入れてくださったのです」
「紛らわしい事吹き込んだのはお前だったのかニャアアア!」
「わあああああ! ちょ、何の話だああああ!?」

 リコリスにぽこぽこと体当たりされる、所謂「フルぬっこの刑」に処されたツァイスの情けない悲鳴が店内に響き渡った。
 微笑ましい(?)光景にくすくすと笑うアウラの姿を見て、フルールは少し胸を撫で下ろした。先程のクルーエルの険しい形相から、(想像したくはなかったが)アウラが虐待を受けている可能性も考えていたのだ。
 ちらりとクルーエルの方に目を向けるが、相変わらず仏頂面のまま入口に佇んでいる。ツァイスも微妙にはぐらかしていたが、恐らくフルール達が踏み込んではいけない事情があるのだろう。こうしてツァイス達とは親しくしているが、シュトライテン一族は名高い傭兵団だ。複雑な問題の一つや二つ、抱えていたって不思議ではない。
 それにフルールが見た限り、ツァイスはそれなりにアウラの事を気にかけている様子であるし、クルーエルの胸中が如何なるものであったとしても、アウラが危害を加えられる事はないだろう──多分。
 フルールも幾度か戦場を経験しているが、あの時のクルーエルの殺気は確かに本物だった。彼の事は信頼しているつもりだが、どうしてもそれが忘れられず、フルールは人知れず全身を戦慄かせる。

「まあっ、わたくしも仲間に入れてくださいまし!」
「ぎゃああああっいきなり飛び出してくるな馬鹿野郎っ!」
「上等だニャお前らまとめてフルぬっこにしてやるニャー!」

 フルールの不安と、クルーエルの険しい視線にも気付くことなく、アウラは楽しげに笑い声を上げるのであった。

【NWR】色を失くした少女@

 クライドラフト連邦大陸・首都ノースタウン州郊外の農耕区画。
 牧歌的な風情の漂う小さな街の一角に、フルールとリコリスの働く花屋「ソレイユ・ルヴァン」は在った。
 豊富な種類の花だけでなく、癒し効果の高いハーブを取り扱う事から、主に浄化派の傭兵や軍部の人間にも重宝されており、また店主夫妻の温和な人柄も評判が良く、小さな店だが「知る人ぞ知る」ポジションを確立していた。
 数ヶ月前から住み込みで働き始めた看板娘・フルールの淹れるハーブティーや手作り菓子も人気で、待ち時間に出されるそれらを目当てにやってくる客も時折いるのだという。
 しかし、ここまであからさまなパターンは、フルールもさすがに初めてであった。



「ごめんくださいませ。焼きプリン10人前、頂けますかしら?」

 店内を彩る花に目をくれることも無く、その少女は自信満々に言い放った。
 フルールの呆気にとられた表情にも臆することなく、その少女はどこまでも自信に満ち溢れていた。
 リコリスの蔑むような視線にも怯むことなく、その少女は楽しそうに、弾んだ声音で確かにそう、言った。

「……ねえリコリス、ここって確か、花屋よね……?」
「しっかりするニャ! フルールが自信を失くしてどうするのニャ!」
「そ、そうね。一瞬頭がこんがらがっちゃったわ……」
「あの、わたくしの注文は聞こえましたかしら? 焼きプリンを10人前、頂きたいのですけど」

 むしろばっちり聞こえていたからこそ、フルール達は混乱しているのである。
 しかし目の前の少女は、当惑する2人(1人と1匹)の様子に気付いた風もなく、蒼い瞳をぱちくりと瞬かせるばかり。きっと自分の発言に、疑問など何一つ抱いていないに違いなかった。
 アメジストの輝きを思わせる長い紫色の髪に、白いシルクのヘアバンドが印象的な少女だった。プリン10人前発言さえなければ、素直に美少女と形容したい顔立ちをしている。
 淑やかで丁寧な言葉遣いから察するに、どこか良家のお嬢様なのかもしれない。それも相当、世間知らずな。
 ツッコミたい。ここは花屋なのだと。しかしあまりにも得意げであるものだから、あの遠慮のないリコリスでさえもツッコむのを躊躇っている。
 お願いリコリス、何か言ってあげて。フルール、早くコイツを何とかするのニャ。2人が目線で押し付け合ってる間に、少女は何か思い当ったらしい。はっと息を飲むと、恥ずかしそうに苦笑をもらす。

「あら、わたくしったら今頃こんな事に気が付くなんて。お恥ずかしい限りですわ」
「い、いえ。ご理解いただけて良かったです」
「あらかじめ予約が必要でしたのね。どうしましょう、折角ここまで来ましたのに……」
「気付くとこ違うのニャアアア!」

 さすがにリコリスが突っ込んだ。
 しかし少女はどこまでも斜め上を行っていた。突然嬉しそうに歓声を上げたかと思うと、ふわふわと漂うピンク色のネコちゃんを、あろうことかがしっと鷲掴みにしたのである。
 リコリスが逃げ出す間も、フルールが阻止する間もないほどの素早すぎる所業だった。

「まあああ! 喋るぬいぐるみかと思ったら、この子本物のネコちゃんですのね! 感激ですわ!」
「ニャッ! いきなり何するのニャ!」
「ああっ、何て愛らしいのでしょう! あの、抱っこさせていただいてもよろしいでしょうか!」
「フニャーーーーー!?」

 抱っこどころか力いっぱいハグしながらの台詞である。
 押し潰されたリコリスが何とも言えない奇妙な鳴き声を上げた。少女の腕から逃れようと、小さな手足をばたつかせるのだが、その姿も少女の目には愛らしく映るらしい。更に強い力で抱きしめ……むしろ締め上げられた挙句、頬ずりまでされる始末。
 そしてフルールはと言えば、相棒のピンチに手も足も出せないまま、この何とも珍妙な光景を見守る事しか出来なかったのだった。その間にもリコリスのぽよぽよ☆ボディがむぎゅーと押し潰されて、とっても愉快な形に歪む。

「まあ、何て面白い感触なのかしら。まるでプリンのようにぽよぽよしてますわ」
「ふにゃあああああんフルールううううう! 助けてほしいのニャアアア!」
「お、お客様、どうかそれくらいに……」
「ああああっ。すっかり忘れていましたわ、プリン! 焼きプリン10人前を頼みに来たのでした!」

 話は巡ってプリンに戻り、本来の目的を思い出した少女は、それまで散々愛で倒していたリコリスをぽーんと放り投げた。ようやく解放されたはいいものの、これはこれで酷い。
 もう抗議の声を上げる事すら出来ず、ぐったりしているリコリスを尻目に、少女はフルールにずいっと詰め寄た。爛々と輝いた眼差しに気圧されたフルールが数歩後ずさる。

「あの、我儘を申して心苦しいのですが、どうにか1つだけでも……いえ3つ、やっぱり5人前ほど売って頂けないでしょうか。苦労してここまで来ましたのに、手ぶらで帰るのも遺憾ですわ」
「えーと、あの、ここはそういった店じゃなくてですね……」
「手ぶらがイヤなら花買って帰るニャアアア!」

 黙っていれば、もといプリン10人前発言さえなければ、花を愛でる姿のよく似合う可憐な美少女だというのに、この少女は先程から店内の花に一瞥もくれていなかった。
 フルールなら20分もあれば、少女に似合う花を見繕って、可愛いフラワーアレンジメントを作り上げてみせるのに。あらゆる意味で残念な少女だった。

「あら、どうしてお花なんですの。わたくしは焼きプリンを買いに来ましたのよ」
「……………………あの、お客様。ここ『ソレイユ・ルヴァン』は花屋なんです……」
「まぁ、可笑しなご冗談を。ここは手作りスイーツの店ではありませんの?」
「お前こそ冗談も程々にするのニャ! 周り! 周りをよく見るのニャアアア!」
「えっ……?」

 そして少女はようやく気付いた。
 店内に所狭しと並べられている色とりどりの花、花、花。
 どこからどう見ても、花屋以外の何物でもない光景を目にして唖然とする少女。理解を得られて助かったと思う反面、店主夫妻とフルールが丹精込めて手入れした花を、わなわなと身体を震わせて見回され、フルールはいささか複雑な心境なのであった。

「……これ、良く出来た飴細工、というオチは……ございませんわよね?」
「んなワケあるかニャー!」

 リコリスが盛大にツッコんだ。少女の後頭部に向かって、体当たりで。
 花屋にプリンを買いに来ていようが、リコリスを締め上げようが、これでも一応大切なお客様である。フルールが咎めようとしたのだが、内心激しく同意したい部分もあるので、結局言葉を飲み込んだ。
 ぽよぽよ☆ボディでの体当たりでも、勢いを付けていたので威力はそれなりに高いはず……なのだが少女は意に介した風もなく、ここが手作りスイーツ店でなかった現実からまだ立ち直れないようで、手で顔を覆いながら恥ずかしそうに呻き声を上げ始める。

「申し訳ありません……焼きプリンに目が眩むあまり、ロクに確認もしないで突っ走ってしまいましたわ……ああっ、何とお恥ずかしい」
「い、いえ。あまり気に病まないでくださいね……」
「それにしても妙な勘違いだニャ。どうしてここが手作りスイーツの店だと思ったニャ?」

 リコリスの疑問ももっともである。確かに花束やフラワーアレンジメントを作成する待ち時間に、フルールの手作りスイーツを提供することはあるのだが、これはあくまでサービスの一環であって、専門店と勘違いされるほど本格的なものでもないはずだ。
 少女が一体どこからどんな情報を仕入れたのか、フルールもリコリスもそちらが気になって仕方がない。

「わたくしの連れ……いえ友達? 家族? 仲間? ええと、何と言い表せば良いのかしら……」
「ややこしいニャア。その辺りはどうでもいいから、さっさと話を進めるニャ」
「と、とにかく、その方に分けて頂いた焼きプリンの味に、わたくしすっかり魅入られてしまいまして。
 話を聞けば、ここ『ソレイユ・ルヴァン』で手に入れたとの事でしたので、居ても立っても居られず、こうして馳せ参じた次第ですの」
「まあ……私のプリンを褒めていただけるのは、嬉しいんですけど……」
「そいつも迷惑なヤツだニャ。紛らわしいこと吹き込まないでほしいのニャ」
「いいえ、いいえっ! わたくしが勝手に早合点しただけですわ! あの方は悪くありません!」

 猛烈な勢いで否定する少女にリコリスが目を丸くする。
 余程その相手を信頼しているのか、今にも泣きだしそうな表情である。さすがにリコリスもまずいと思ったらしく「すまんニャア……」と小さく呟いた。
 ここは花屋であって手作りスイーツ店ではないので、プリンを初めとした手作り菓子を客に振舞う事はあっても、テイクアウトの要望は基本的に断っている。フルールの菓子作りはあくまで趣味の範囲であって、手土産に渡せる相手となれば、フルールが個人的に親しくしている人間に限られてくる。それに、少女の知人は『ソレイユ・ルヴァン』で手に入れたと言っていたようなので、この店の客であるのは間違いない。
 一体誰なのかしら……と思案にふけるフルールだが、それは突如、店に飛び込んできた人物によって明かされることとなる。

「てめえアウラあああッ! こんな所に居やがったのか!!!」

 ばたーん!
 青年の叫び声と、叩き付ける勢いで開かれたドアの音が、店内に盛大に響き渡った。

【NWR】海賊船長と花屋の娘の邂逅

 首都郊外農耕区画の花屋「ソレイユ・ルヴァン」でのワンシーン。



「という訳で素敵なお嬢さん。俺と夜のクルージングでもいかがかな?」
「……何が『という訳で』なのかよく分からないんですが、お買い上げは以上でよろしいですか?」
「ああ。君のように美しい、この赤い情熱の薔薇を100本いただこう!」
「ありがとうございます! では、領収証の名前は『バッカナーレ様』でよろしかったですか?」
「おう、よろしく頼む! ところで可愛いお嬢さん、君の名前を教えてくれないかい?」
「私の名前、ですか……。フルールと申します」
「フルール! なんと美しい響きだ……!」
「ど、どうもありがとうございます」
「どうだい可憐なお嬢さん、この後俺と一緒に夜のクルージングでも?」
「あの、ええと、まだ仕事がありますから……」
「そう釣れない事を言わないで。夢のような楽しいひとときが、君を待っているというのに」
「あううう、そんな事言われても……ってああ、しむら……じゃなかったお客様!後ろ、後ろっ!」
「え、後ろ?」
「我輩の妹分に手を出すとはいい度胸ニャ!」

 バキッ☆

「ぎゃああああ!」
「きゃあっ! 申し訳ありませんお客様! ちょっとリコリス、大切なお客様に対してなんて事するのよ!」
「フルールを悪い虫から守るのが我輩の役目ニャ」
「よくやったリコリス。君の行動は賞賛に値する。軍で言うならば二階級特進モノだ」
「わっ、いつから居たんですかユリウスさんっ!」
「くっ……しかし俺はこのくらいでめげねえぞおぉおお……!」
「気が付かれましたかお客様! ああっ、後頭部に大きなコブが! 本当に申し訳ありません〜!」
「……こ、これはかなり美味しいシチュエーションなんじゃねえか?」
「ごめんなさいごめんなさい! どうしよう、何かお詫びをしなくちゃ!」
「心優しいお嬢さん。そうだな、一晩ナイトクルージングに招待させてもらえれば……」

 パァン☆

「どわあああぁあ!」
「ちっ、私としたことが狙いを外したか……運が良かったな貴様」
「きゃあああ! お客様に発砲しないでくださいユリウスさん!」
「ちょ、耳! 今耳掠めたぞオイ! うわっ何か血出てやがるし!」
「脳天を打ち抜かれなかっただけマシだと思え」
「いつから農耕区画はこんな物騒な場所になったんだ!?」
「わあああん本当にごめんなさ〜い! もうこうなったら最終奥義・東洋秘術ハラキリでお詫びをするしか!」
「落ち着くんだフルール! 意味を分かって言ってるのか!」
「お、落ち着いてくれ麗しいお嬢さん! ハラキリ良くない!」
「女性を泣かせるとは何事ですか。この豆粒脳味噌船長」
「おわっ、チェレブラーレてめえいつからそこに!」
「このピンクの猫に後頭部をどつかれた辺りからずっと」
「見てたんなら助けやがれえぇえええ!」
「自業自得でしょう。全く、食材の買出しに出かけた筈が何故薔薇を100本も買い占める事態になっているのです。私に分かるように500文字以内で説明なさい」
「……後で作文にして提出する」
「よろしい。おや、所で貴方はもしや……先週の『週刊チェス☆フレンズ』で巻頭カラーを飾っていたユリウス・シュレンドルフではありませんか?」
「いかにもその通りだ」
「え、ユリウスさん雑誌に載ったんですか!」
「こ、これは、是非一勝負お願いしたいですね……! 我々の船にご足労頂いても構いませんか?」
「フルールが一緒なら構わないよ」
「問題ありません。何でしたらそちらの猫もご一緒でも」
「ただの猫じゃないニャ。小天使猫だニャ」
「これは失礼しました」
「おい、てめえ船長の俺を差し置いて何を勝手に」
「わあ、私船って初めてなんです! うふふ、楽しみだなぁ……」
「……まあ、いっか。とりあえず当初の目的は達成出来たし」
「あ、それと。100本の薔薇は船長の自腹で購入してくださいね。間違っても経費で落とそうとは思わないように」
「………………」

【NWR】願い事ひとつ

「行方不明の師匠を見付けだすこと」

 ──今年の目標は何ですか?
 きっぱりと、迷いの無い口調でコルトが答えた。

「そして、逢えたら思いっきり、ぶん殴ってやるの」

 これもまた迷いの無い口調で言い放った為に、フルールとリコリスが同時に目を丸くした。
 クルーエルだけは無表情のままだったが、その眉間には僅かに皺が寄っている。

「ぶん殴るだニャんて、新年から物騒すぎるのニャー!」
「別にいいでしょ。1年以上何の連絡も寄越さない、師匠が悪いんだから」

 ティーカップに注がれた紅茶を飲み干すコルト。
 フルールが故郷から取り寄せたという、特製の茶葉を使って淹れたものだ。ほんのりと口内に広がる甘みに、ほっと息を吐く。
 苦笑を浮かべるフルールに、不審そうな顔のリコリス、相変わらず仏頂面のクルーエル。
 新年早々、妙な組み合わせでティータイムを過ごす事になってしまった、と秘かにコルトは思った。
 しかしここは傭兵の集い場「Bar Blue Kid's」である。この場所ではままある光景なので、誰も口に出して突っ込むような真似はしない。
 あのクルーエルでさえも慣れてしまったらしく、不機嫌そうな顔をしながらも、特に文句を口にしたりはしなかった。

「でも、心配なのよね、師匠さんのことが」
「……当たり前でしょ。年中のほほんお花畑の師匠が、余所様に迷惑掛けてるんじゃないかと思うとね」
「フニャー。素直じゃないニャ」
「分かったような口聞かないでよ」

 誤魔化すようにティーカップを口許に運ぶコルトだが、既に空である事に気付く。
 その様子を見ていたクルーエルが鼻で笑った。大方リコリスと言いたい事は同じなのだろう。
 その余裕ぶった顔を何とか壊してやろうと、コルトの口から飛び出したのは憎まれ口。

「素直じゃないのは、あんただって同じでしょ」
「……何が言いたい」
「まぁまぁ、お二人とも。新年だし仲良くしましょう、ね?」

 にこにこ微笑んでいるフルールも、コルトに言わせれば師匠と同じ、のほほんお花畑っ子である。

「うふふ。コルトちゃんも、自分で言っちゃったわね。素直じゃないのは同じ、って」
「……!」

 ──そのお花畑に思いがけない形で反撃され、言葉を詰まらせたコルトであった。
 以前、フルールと共にリゾットを作った時も覚えた既視感が蘇る。
 このお花畑にはかなわない……なんてコルトが考えているなどと、きっとフルールは夢にも思っていない。
 穏やかな空気に絆されて、自然と素直な想いが、コルトの口を吐いて出た。

「……あたしは、師匠に逢いたいの」

 あの時の不思議な暖かさを思い出し、コルトの表情が少しだけ綻む。

「逢えたら、思いっきりぶん殴って……それで、許したらまた一緒に、地味に暮らしていくの」
「コルトちゃん……」
「ぶん殴るのは譲らない。あたしの気が済まないから」
「そうね、それも、いいんじゃないかしら。師匠さんもきっと、笑って許してくれるわ」

 コルトの物騒とも言える台詞に、さらっと同意を示すフルールだが、それが激励であることは、リコリスもクルーエルも十分に承知していた。

「力になれる事があったら、何でも言ってね、コルトちゃん」
「ニャー! 我輩も協力するのニャ!」
「手を貸してやらんでもない……あの時の借りは、必ず返す」

 あの時──Dr.JK絡みの性格逆転事件を、クルーエルはまだ水に流せないらしい。
 リゾットの材料費を出させたことだし、コルトとしては片付いたつもりだったのだが、向こうがその気ならば、せいぜい利用させてもらう事にしよう。
 思いがけない形で励まされてしまって、コルトの顔に少しだけこそばゆそうな微笑が浮かんだ。

「…………ありがと」
「ニャ? 何か言ったかニャ?」
「何でもない。遠慮なく頼らせてもらうから、今後ともよろしくね」

 (新年のスタートとしては、悪くないかもね)
 微かな紅茶の残り香が、コルトの鼻腔を心地よく刺激した。
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