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できるだけ優しくしてみる

「主さん主さん、こっちァ終わりましたぜィ」
 与えられた仕事が漸く終わり、強張った背筋を伸ばしながら、悪魔は後ろで同じように机に向かっているであろう主人に声を掛けた。壁に掛けられた時計を見れば短針は既に朝に近い時刻を差しており、つくづくこの手の仕事は向いていない、と悪魔は思う。黙々と机に向かうよりも東奔西走させられる方が気が楽だったし、疲労も遥かに少なく済む。とはいえど不向きな仕事の出来は上出来で、これならば小姑の如く口煩い主人にも難癖を付けられることはあるまい。
「……主さん?」
 が、当の主人から返事はない。嫌な予感を引き連れて振り返ってみれば案の定、主は主の机に伏して静かな寝息を立てていた。いつ頃からそうしていたのかなど気付かなかったが、依然として机の端に山と積まれた未整理の紙束を見る限り、主は早々に眠りに落ちていたようだった。
 ――今日は寝ないで片付けるぞ、だからお前も絶対に寝るな。寝たら許さないからな――と、数時間前にはそう息巻いていた主の面影はそこにはなく、悪魔は人知れず溜息を吐き出した。身勝手な女だと、悪魔は思う。かといって主人を嫌いになるかといえばそういうこともなく、主人の傍若無人に振り回されるのもすっかり慣れたものだった。
 出来るだけ音を立てずに椅子から立ち上がり、床に散らかった紙屑やら小物を踏まないように無防備な主の背中へと近付く。間近に立って見下ろしてみる。常の三白眼は瞼の下に隠れ、言葉を――概ね暴言を吐く時以外はきつと閉じられた口は幸福そうに緩み、口端から垂れたよだれは枕代わりになった紙面のインクを滲ませていた。滲んで読めないだとか、またそんなようなことで文句を垂れる主人の姿が悪魔の脳裏に浮かぶ。
「主さん主さん、寝台で寝ねェと体ァ壊しますぜ」
 身を屈めて声を小さく話しかけながら、一瞬の逡巡を挟み肩に触れてそっと揺さ振ってみる。そうして主人の肩が思いの外細いことに気付いて、こんなにも細かっただろうかと少しだけ驚く。
「主さん、」
 起きる気配のない主に、僅かに声量を増やしてもう一度呼び掛けてみる。と、おもむろに伸びる主人の細長く白い腕が朝顔の蔓のように悪魔の首を捕えて絡んだ。直後にとすん、と、こめかみが胸に当てられる。明るい飴色の髪がその後を追って揺らいで、主人のにおいがヒトよりも良く利く悪魔の鼻に触れた。
「運んで」
 そして首のすぐ下、胸元越しにくぐもって聞こえる声にはいつものような刺はなく甘えるように鼻にかかり、悪魔は服の布地を隔てた柔らかな体温と静かな吐息を感じた。一呼吸分か二呼吸分かその程度、主人のつむじを眺めてから、細い体を腕に抱いて赤子にでもそうするように椅子から掬い上げる。
「冷たいぞ、」
 途端に主人が口にするのはやはり文句で、悪魔は苦笑混じりの僅かな嘆息をこぼした。
「ちょンの間、我慢しちゃくれませんかィ」
 体が冷たいと言われたとて、悪魔にはそれをどうすることもできないのだ。寝ていながらの横柄ぶりが可笑しくなったが、とはいえ主人の体まで冷やさぬうちに寝台へ運んでやることにして、乱雑に物が溢れた書庫の出口へと向かう。その歩みに揺り動かされて何ぞ夢でも見たのか、首に絡む主人の腕に力が篭る。
「――ン、だいすき、」
 と、普段ならば悪魔には決して聞かせることのない甘えた声に、悪魔は少しだけ目を見開いて、
「タゲリぃ」
 すっかりだらしなくにやけた口元が続けた名前に、悪魔は少しだけ眼を細めた。
「……そいつァわっちじゃあねェよ」
 薄暗い書庫の扉を開ければ廊下はもう、朝が近付く薄明かりに照らされていた。

小ねたログ

▽つれない

「主さん主さん」
「うん?」
「こっち見ちゃくれねェですかぃ」
「あっちにタゲリがいるから後で」

「主さん主さん」
「うん?」
「かァいいなぁ主さんは」
「馬鹿にしてるのか? そんなことタゲリに言われなきゃ嬉しくないぞ」

「主さん主さん」
「うん?」
「わっちァ主さんのコト、お慕いしておりますぜィ」
「そうか私はお前よりタゲリが好きだ」

「主さァん」
「うるさい寄るな」

▽ぼうじゃくぶじん

「おい集真、タゲリとコソコソ会ったそうじゃないか」
「へえ。コソコソなンざしちゃあいませンぜぇ、主さん」
「とにかく会ったんだな」
「へえ、まァ」
「タゲリに手を出したりしなかったろうな」
「……はァ?」
「タゲリに手を出さなかっただろうなと聞いてるんだ」
「手ェ出すったって主さん、ありゃア野郎ですぜ」
「男でも惚れるぐらい可愛いからな、タゲリは」
「さいで」
「出したのか?」
「出すワケねェでしょう」
「なんで出さないんだ! あんなに可愛いのに! 信じられん!」
「出しゃあ良かったンで?」
「ふざけるな! タゲリは私のだこの淫魔め! 汚らわしい!」
「どォすりゃ良いンですかィ」

「それでそれで、タゲリは私のこと何か言ってなかったか?」
「……」

▽あとほんのちょっとだったのに

「主さん主さん」
「うん?」
「これァこっちで良いンですかィ?」
「どれ……、あぁ。良いぞ」

「主さん主さん」
「あ?」
「コイツァここで良いンですねィ?」
「良いぞ」

「主さん主さん」
「ん」
「こりゃあコッチに遣りますぜィ?」
「ああ良い良い」

「……」

「主さん主さん」
「ん」
「口にちゅーして良いですかィ?」
「ああ良い――――くない! 良くない良くない迫るな離れろ馬鹿!」
「……」
「何を“ちぃ惜しかった”みたいな顔してるんだ馬鹿!」
「口でいけねェンなら頬で」
「駄目だ!」
「額は」
「駄目だ!」
「耳」
「駄目だ!」
「首」
「駄目だ!」
「肩」
「駄目だ!」
「手」
「駄目だ!」
「臍」
「駄目だ! 何でだんだん下がるんだ馬鹿!」
「何処なら良いンですかィ?」
「何処も駄目だ馬鹿!」
「……」
「何を“やれやれ困った人だ”みたいな顔してるんだ馬鹿!」
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肉食系

「あ」
「あァ?」
 主人にしては妙に間抜けた声に一瞬だけ遅れて軽い金属が跳ねる音が耳に入り、悪魔は傍らを返り見た。
 無造作に床に転がされた錆一つなく光る小型包丁。視界を上げればいつもより険の削げていくらか戸惑うように手元を見下ろす主の顔。その視線を辿って目を下ろせば上向いた白い掌。掌を横切ってひとすじの赤い線が引かれているのを悪魔が見落とす筈もなく、主人と悪魔が見詰める先で線はあっという間に膨れ上がり、とうとうと床の包丁の上に滴り落ちた。
 主人は少しだけ口を開けたまま何をしろだとか何をするなだとか言うでもなく。
「あ」
 何かを言われるよりも早く悪魔は、主人の手首を掴んで自分の口元へと引き寄せ、真一文字に開いた傷口に口を付けた。視界の下端あたりでこれでもかと琥珀色の双眸を見開く主人の顔を見て見ぬふりをして、溢れて止まらぬ血液を拭い、濡れた切創に沿って舌を滑らせ、外気に晒された微量でありながら甘い肉を味わう。唖然としているのを良いことに、わざと音を立てて啜り上げてやると漸く“女”の小さな掌が悸いた。瞳に一抹の恐怖が宿る。
「やめ、」
「何を」
 傷口から僅かに浮かせた口先で彼女の言葉を遮ると、得体の知れぬ存在でも見るかのように、悪魔に釘付けになった瞳が揺れた。
「怖れて」
 舌なめずり一つして、眼差しの動きばかりで見返せば、ひつ、と、喉が引き攣る音が漏れる。
「いらっしゃる」
 手首はその場に固定したまま身を屈め、息も当たろうかという近さで瑕の一つも存在しないかんばせを覗き込む。
「自ら造った物の」
 彼女が感じる吐息は血の香に違いあるまい。
「其の、何を、おそれる」
 その言葉を皮切りに、我に返ったように女は今一度、殊更大きく瞠目した。
「――やめろ!!」
 甲高い声と共に強く引かれる手を開放しながら身を起こし、次は頬を目掛けて顎先を掠るばかりの手首を掴む。“やめろ”とは言われたが、“止めるな”とは言われていない。
「集真、お前!」
 間髪入れずに怒鳴る主人の、あらん限りの憎々しげな眼差しが悪魔を射る。悪魔はこれみよがしに眉尻を下ろし、捕らえた手を放してやった。
「そりゃあねえぜ主さん。傷は早々に塞がねェと、痕が残っちまう」
「何を――あ、」
 言われて初めて、主人は己が掌の切り傷が、血の跡だけを残してきれいさっぱり消え去っていることに気付いた。
 主人は暫くの間、掌と悪魔とを見比べて。
「もういい、あっち行ってろ」
 決まりが悪そうにそう言って、包丁を拾い上げながら悪魔を追い払うのだった。
「へェへェ」
 悪魔もまたいつも通り、下された命令に従順な姿勢を見せながら。
 鼻孔に残る味は、
(実に)
(あまい)

「返事は一度!」
「へェへェ、承知承知」
「馬鹿にしてるな!」
「おっと危ねェ」
 飛んで来る薬缶を回避しつつ。
「何で避けるんだ、薬缶が壊れたらどうしてくれる!」
 やれやれと、溜息を吐き出した。
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所詮

 ――は、は、は、
 自分の荒い息遣いが耳に障る。口を閉じて息を殺す。固い唾を飲み下す。辺りに満ちる紫陽花の香。無数の花の全てがこちらを監視しているような錯覚。
 紫陽花の庭で、白い獣と目が合った。
 咲き誇る花の間に潜み、太い前脚を揃え身を低くした獣は、右と左と色の違う瞳でこちらをじっと睨んでいた。絶えず虹色に揺らぐ淡い光が獣の体に幾何学模様を描き、獣がこの世のものではないと一目で気付かせる。
 目を逸らした瞬間に殺される。直感ではなく確信。目は合わせたまま、硬直する足を叱り付けて後退りをさせ、獣に荷物を投げ付けると同時に、身を翻してその場から逃げ出した。
 がさり、がさりと紫陽花が風に揺れる。屋敷から見下ろした庭はそこまで広いようには見えなかったが、走れども走れども赤紫と青紫と緑から成る壁は途切れない。
 ――森まで逃げ切れば。
 そう、森まで。森に逃げ込めば、もう街は近い。……と、そこまで考えて愕然とした。
 ――ここは。
 紫陽花が作る壁の上へと視線を向ければ、鬱蒼とした針葉樹が空を塞ぐ。
 ――この場所は、森だ。
 屋敷へ向かう時には森には存在しなかった筈の紫陽花が、今。森の中で自分を取り囲んでいる。
“此処から逃してなるものか”
 紫陽花が自分に向かって、極刑を宣告しているような気がした。
 咲き誇る花の間に、白い獣がいた。
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一次創作テキストサイトのサブコンテンツ的なはきだめ。きもちのわるい妄想の産物がほとんどですよ。
成人向けではありませんが、あまり教育によろしくないものがあるかも知れません。気に入ったものがあれば商品紹介なども。
もちろん創作物は全てフィクションです。

本家
読書メーター
らいの最近読んだ本
まがうたうたい
▽エル=ネイ・ローレライ
 異形の右目と翠玉色の血をもつ性別不明の謎のいきもの。精神的には男寄りだがどちらにも見える顔立ちで性器はない。死に難い。
 アーロン大好き。後天的どM。
▽ナダ
 粘性のある液状の体と無数の眼球をもつ謎のいきもの。命を食って大きくなる。
 エルに懐いている。エルが死にかけると暴走する。
▽“ファヴニール”アーロン
 まともには生きていけない人や人じゃないものたちに仕事を与えてごはんを食べている人。大きなお屋敷でエルとその他大勢の働き手と暮らしている。
 エルが面白い。どS。
錬金術師と司書、それから悪魔
▽クロエ・ワーズワース・ミツルギ
 由緒ある家系のハイエルフ。錬金術師。とある小村の森深い場所にある屋敷にて不死の研究している。研究の手伝いをさせる為、悪魔を呼び出した。ら、こんな筈じゃなかった。
 ハイエルフには女性しかおらず、言うまでもなく女性。少年時代のタゲリに一目惚れをしてから一途な(割と一方的な)愛を貫き続けている。
▽タゲリ
 小村唯一の図書館で司書として働いている人間の男。唖。図書館に村人が訪れることは滅多にないが、日がな一日、本に囲まれ本を読んでいられるので幸せ。本の虫。
 事実上クロエの恋人ということになっている。流れで。とはいえクロエに対して深い愛情は持っている。
▽集真(あづさ)
 千年紫陽花と老虎を依り代にしてクロエが呼び出した悪魔。元々の素材が素材な上、精霊に近い種族が召喚を行った為スペック自体は異常。
 プライドが高く、始めは女王様気質のクロエに苛立ちを感じていたがいつの間にかぞっこん。その気持ちに気付いてからというもの、熱烈アタックを繰り返すが相手はタゲリ一筋(=まるで相手にされてない)。こうなったら隙あらば食べたい。タゲリが邪魔。