手足の切断はこの時勢においてさほど珍しいものではなかった。都市部や限られた土地での医療は日々進化を遂げていると聞く。だが国が広大である故に、大多数の平民は十分な治療を受けるのが難しいのも事実だ。病や事故から命を守る為に身体の部分を失わざるを得ない状況もあるだろう。アレスが傭兵だった頃、内乱や反乱の裏にも少なからず目にしてきた光景だ。
目の前の女も腕を、それも両腕を失くしているという。珍しくない事とは言え、夜の通りでアレスはまるで心臓が鉛にでもなったかのような心持ちであった。それはヘカーテに対するいたたまれなさであり、彼女に付き従う盲者への戦慄でもあるのだろうか。それにしても何で早くに気付かなかったのかと考えていたところ、
「ーーーアレスさん?」
ヘカーテに覗き込まれた。アレスははたと我に返る。
「さっきから上の空ですね、どうしました?」
「あ…いや、悪い」
長く思案してしまっていたようだ。気がつけば彼らは今目抜き通りの端に辿り着こうとしていた。宵の始めで点き始めたばかりの灯明の下に人通りは絶えない。日中とは異なる賑やかさの中には耳の尖った者、獣の顔を持つ者、遠目に見ても機械仕掛けだとわかるような者なども散見される。人通りの少ない場所から大通りに入り、がらりと変わったその光景に、 ヘカーテは一つ息を飲んだ。
「噂には聞いていましたけれど…」
「ここまで色々集まる街もなかなかないだろ?」
「そうですね。本当、凄い」
ここなら私でも生きていけるかしら、と目を輝かす様子は少しばかり魅力的にも思える。しかしその気持ちも彼女に付き従う物言わぬ従者の圧力を感じ、早々に打ち消されたが。
三人は人の波をすり抜け横切り、細い通りへと入る。それから路地を歩き裏路地を抜けて方向も曖昧になってきた頃、アレスの足はある建物の前で止まった。古びた煉瓦の壁には蔦の跡や修繕の箇所がまばらにある。木造りの扉の上には存在を示す看板が吊り下げられているがあいにくその文字も掠れて読めない。
「…ここですか?」
「ああ、ここだ」
「看板が読めません」
「マスターがあれだけは変えたくないんだと。読めない看板のせいで依頼人は減ってるらしいけどな」
アレスはぼやく。扉に手を掛ければ蝶番が軋んだ音を立てる。客の来訪を告げる呼び鈴が軽やかに鳴った。二人の客を振り向き彼はドアを開いた。
「踊る案山子亭へようこそ」