話題:原爆を考える


元・広島市民にとってはやはり今日は特別な日だと感じています。
広島に住んでいると、夏休みに入った頃から夕方のローカルニュースで
戦争や原爆を考えるといったシリーズが放送されたりして
原爆記念日自体が身近なものとして捉えられているけれど

一歩広島を出ると、今日って本当にただの「原爆記念日」ってだけで
NHKが朝ドラの放送時間を変更して記念式典を中継する。

それだけ。

みたいな。このあまりにもあっさりした感じに正直驚きを隠せませんでした。
やっぱり広島と長崎以外の土地ではそれぞれの原爆記念日って
ただのニュースのひとつにすぎないんだな…という実感です。

地元と他県の温度差というものは
これからますます開いてくるでしょう。
それは、東日本大震災や、阪神淡路大震災、それ以外の災害にも当てはまることで。
その土地にとっては大切な日も他県の人間にとってはただ流されるニュースでしかない。

この差を、埋める術は無いんだろうなと思います。

時の経過と共に人々の記憶から薄れていって
大きな悲劇も、どこか絵空事のような、夢物語のような、
リアリティの無いものへと変わっていく…

残酷かもしれないけれど、この風化に立ち向かうには
地元の努力しかないんじゃないかと個人的に思っています。

唯一の被爆国である日本の、原爆が投下された地域でしかできないこと。
それは未来を担う若い世代に『伝えて』いくこと。

ノーモア ヒロシマ
ノーモア ナガサキ

我々人間が、二度と過ちを繰り返さないように。
二度と、同じ悲しみを味わう人間を作り出さないために。

はっきり言って。日本人の中にも、核は必要悪で
原爆投下のおかげで太平洋戦争があれ以上長引かずに済んだ。
と思っている人間は恐らく存在しているんじゃないかと思います。

けれどそう主張する人はきっと。

広島や長崎を訪れたことの無い人じゃないかな。
原爆資料館に行ったり、生き証人である語り部の方の話を聞いたり
あの日が伝えてくれるものをちゃんと事実として受け止めたら
絶対に原爆投下を肯定する言葉は出て来ないと思う。

広島や長崎の人を始め、戦争を経験したすべての人の気持ちは

戦争を繰り返してはならない
同じ悲しみ、同じ苦しみを、誰も味わうことが無いように

…と、いうことだと思います。

核兵器の廃絶とか、そんな大げさなことではなくて。
今の自分の命を大切にする。
自分の周りの人間の命を大切にする。

自分が生きている今は、名前の知らない誰かが生きられなかった今だから。



平和を祈るって。
最終的にはそういうことなんじゃないかと
個人的には思っています。

今朝、8時15分に黙祷を捧げながら
子どもたちが大きくなって、被爆者がこの世に存在しない原爆の日が訪れたその頃は
どんな原爆記念日になっているのだろう?
そんなことを考えていました。

慰霊碑に眠る被爆者の方々が、安らかに眠っていられるような

そんな世の中であってくれますように。