「悪い奴じゃないんだよ。むしろ、いい奴なんだ」
桜さんの職場には、盛岡さんという人がいる。仕事もプライベートもごくごく普通。
奥さんを大切にするサラリーマンだ。……だった。
盛岡さんの奥さんは3年に事故で亡くなっている。
「しばらくは落ち込んでたけど、あるときから、急に元に戻っちゃってさ」
いろいろと勘ぐる必要もなかった。
盛岡さんは奥さんの遺影を職場で自分の机の上に置いた。家族写真でも飾るかのように、大きな額縁をノートパソコンの横に立て掛けた。
「おかしくなってたんだよな」
そこまで言って、桜さんはため息をついた。
「悲しいですね」
鐘子が言うと、桜さんは首を横にふった。
「怖いよ」
先日、盛岡さんの部屋を訪れた桜さんは愕然とした。あらゆる奥さんのものが、すべて揃っている。しかも、生活感もそのままに。
盛岡さんは、なにもいない空間に語りかけていたという。
「何より一番怖いのはさ、壁にかかってた写真」
盛岡さんの遺影が飾ってあったのだと。
「あいつ、もう死んでんのかな?」
じゃあ、毎日仕事してるあいつはなんなんだ、と桜さんは首をひねった。
ことあるごとに、尚樹は盛り塩を勧める。
「外から入ってこれないようにするんなら、昔からこれだろ」
鐘子は反論しない。それはそれで間違いではないと思うから。
確かに、塩が行く手を阻んでいるのは間違いない。と、思う。
「ねぇ、中にいる奴らはどうなるの?」
尚樹は黙って塩を蹴飛ばした。
西崎さんは営業で遠出することが多い。いま使っている車も、既に日本を3周するくらい走っている。
「車っていうのは、やっぱり凶器なんだよね」
バックミラーにちらりと目をやり、そう言った。
「交番の前に、『本日の事故件数』とか言って、負傷○○人、死亡○○人とか出てるの見ると、乗ってて怖くなるんだよな」
ナイフ持って人混み走るの想像してみてよ、と少し笑った。
やたらあおってくるバイクだったという。
夕方5時過ぎ、真冬だったからか既に真っ暗。異様に距離をつめてくるそいつに辟易していた。
仕方なしに、減速して道を譲る。バイクは西崎さんの隣を抜けて、前に、……出なかった。
確かにエンジン音と、横を通る何かの気配を感じたが、前にはなにも出てこなかった。ただ、暗い道路が伸びているだけ。
「バイクじゃなかった気がするんだよ」
西崎さんは、信じらんないけど、と付け足して言った。
「チャリだった気がする」
それが異常な速さでこがれたことで、地面とタイヤのすれる音がエンジンに聴こえてたんじゃないか、と。
「転職するときは、営業がない仕事にしたいな」
道のわきを走る自転車を見つけると、必要以上に避けて、西崎さんは車を走らせる。
川崎くんは昔、実家で犬を飼っていた。
ある夜、その犬が、深夜やたら家の門に向かって吠えるので、眠い目をこすりつつ出てみる。門の外になにかがたっている。なにか、もじゃもじゃしたもの。
信じられないくらい大きな白い犬だった。門の塀の高さに届くほどの大きさ。どう考えても異常である。しかし、当時子供だった川崎くんは特段それを不思議には思わず、「大きいなぁ」くらいの認識だった。怖いとも思わなかった。
白い犬は出てきた川崎くんとその母親を一瞥すると、夜の闇に消えていった。あとから聞いた話では、母親は卒倒しそうになっていたのだとか。
野良犬にしてはでかすぎるし、何より毛並みが物凄く綺麗だった。しかも、考えてみれば真っ暗な闇の中に立ってたはずなのに、はっきり見えた。
白い毛一本一本が発光していたかのようだった。
「別に犬なんて好きじゃなかったんだけどな」
そう言うと、犬を散歩する人たちに目をやった。
日没になると、時々光る犬はいないかと目で追ってしまうのだという。
飼われていた犬は、18歳の大往生だったそうだ。
「ロボットみたいな幽霊、見たことあんだよ」
尚樹が言ったことの意味がわからなかった。わからないだけに、気味が悪かった。
「変なこと言わないでよ」
鐘子は腕枕されたまま、尚樹の脇腹に顔を押し付けた。
「見えるくせに怖がりなんだな」
そう言いながら、彼氏は鐘子の髪を撫でる。
昔、尚樹が子供だったころ、両親と同じ部屋で寝ていたとき。
なにかの気配に目をさまし、目の前に視線を向けると、暗闇のなかに人型のものが浮かびあがっていた。
「よくある話じゃない」
鐘子は顔を上げ、尚樹のほうを向いた。
「まぁ、聞いてって」
浮かび上がっていた人型のもの、それがなにかおかしい。身体の部分部分が四角い。四角い人型の物体が立っている。
まるで漫画に出てくるロボットのようだった。
尚樹は恐ろしさに目をつむり、朝が来るのを待ったという。その後、このロボットが現れたことはない。
「これだけなんだけどさ。僕が見たなかでは一番怖かったな」
鐘子はため息をついて、尚樹の背後から目線をそらした。引っ越しのときの段ボールはもう片付けたはずだよな、と考える。
いま、彼氏の後ろに積み上がってる四角い箱はなんなんだろう。