どんな状況に置かれても一つは打開策があるって事。

それは自発的に動いた結果だったり、周囲の人の力だったり、はたまた時の流れだったり、それらが複雑に絡み合った結果だったり…要因は様々だけど、少なくとも私には必ず一つは打開策があった。


受動的で私にとっては努力してないような気がしてむかつくけど、特に『時の流れ』ってヤツの効力は認めざるを得ない。


万人が口を揃えて言うであろう『時間が解決してくれる』もまんざらデタラメって訳じゃないなと思った。


立ち止まってしまってどうしようもないと思っても、その時何かにぶつかって立ち止まってるのは自分だけで、周りはみんな時間の流れに従ってそれぞれのスピードで進んでて…。

『取り残されてる』って思うのは自分が立ち止まってるからで

『立ち止まってる』のは自分のスピードで進んでなかったせいでついて行けなくなったからで

そもそも自分なりのスピードで進んでたら『ついて行く』っていう概念さえ要らなかった訳で



そんな事を考えてる間も時間は粛々と進んでいて、周囲も何かしらを考えながら、実は気づかせないだけで立ち止まったりしながら進んでいて


それに伴って自分を取り巻く環境も徐々に変わって


結果『時が解決して』くれていて…。


やっぱり認めたくないけど、それでまた一歩ずつ踏み出して行って今の自分が居る。



立ち止まらないで駆け抜ける生き方もアリだと思うけど、よそ見しながらでも、立ち止まりながらも生きないともったいない。
駆け抜けていたら見つけられなかった物をよそ見して、立ち止まって沢山拾って生きていったらそれこそ、生きてるだけで丸儲けだと思う。

そのくらいのふてぶてしさは皆持ってていいんじゃない?


立ち止まる事は悪い事じゃない。
八方塞がりの時に毎回がむしゃらに壁に穴開けようとしなくてもいい。
その壁に綻びが見える瞬間まで立ち止まって待つのも大事。


立ち止まってるのは自分だけじゃなくて、皆時々はそうして生きてるんだって。


たったこれだけの事が分かっただけでも私は駆け抜けた人よりちょっとだけ幸せなんだと思う。