パンケーキ
マエノスベテ7
2022.8.22
23:49
話題:創作小説
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「だからね、あなたいい加減にしなさいね?
この写真の女以下なのよ? 挨拶も出来ないわ、恵まれても感謝も出来ないわ、すぐ誰彼話しかけにいく! 年長者の言うことも聞けない!」
「そ――そこまで、私が、悪いことをしましたか? どんな悪いことですか? それはどういう罪なんでしょうか、私は、ただ自分の部屋くらい好きに使いたいだけです、どんどん狭くなっていきます。
マエノスベテだって、なぜ、他にあちこちで付き合いながら私のもとへ来るのですか、私は彼が羨ましい、あなたが羨ましい、なぜ私は他人とも話せず、どこへも行けず、しゃべることも笑うことも、批難されるのでしょう、なんのために生きるんですか?」
彼女はすぐに、はっ、と気がつき、戸惑った表情になる。
「ご、ごめんなさい、私、年配者と口を聞いてしまった!! あぁ! 独り言です、これは、聞かなかったことにしてください」
余程思わずだったようで慌てて口を押さえて、二階へと上がって行く。なんだか現実のこととは思えなくてぼんやりと聞いていた僕も我に返る。
「ウシさんは、《彼》のお知り合いですか?」
「あなたには関係がない、早く、帰りなさい」
今、彼女は平気だろうか?
それが気がかりだったがウシさんがかなりイライラしているので長居は出来なさそうだった。押されるようにして、廊下に放り出される。
後ろ、さっき出てきたドアの向こう……の上の階だろう、頭上からバタン、バタン、と暴れるような鈍い音が何度か聞こえてくる。二階だ。
「人生を終えてくれ!
人生を終えてくれ!
人生を終えてくれ!
頼むから!
人生を終えてくれ!
人生を終えてくれ!
一生を終えてくれ!」
叫び声がしている。
なんだか懐かしい気がした。
感傷に浸る場合ではなくて、慌ててドアに手をかける。
恐らくそれはウシさんの声だった。
2019/05/16 23:25
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「あれ?」
ふと声がかかる。
さっきまでの修羅場と対極的な、朗らかさの少年だった。
「瑞、なんだ、廊下に出たのかい、ってなんか緊張してる?」
「あぁ……そう、かな」
彼の、ふわふわした髪が帽子で押さえつけられているのが少し惜しいと思った。
「さっきはありがとな、外の空気が吸えてよかった」
「外、か」
「どうかした?」
「そうらしい」
天井に目を向ける。
未だにばたん、ばたん、と暴れる音がする
「あれ、ナエさんは?」
振り向くと、確かに、いない。いつのまに。
というかどこ行ったんだろう。
「さあ」
2019/05/17 00:03
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途中から着信があった為、『私』は戦場から抜け出して、ささっと外へ出ていた。挨拶しようと思ったが、そうは行かなさそうな様子だった為何も言うわけにはいかなかったが、まあ、彼は頼りになるから、きっとどうにかするだろう。そんな曖昧なことを思った。彼に一応の礼儀でメールはしておく。
「いえー! のっぴきならねえ用事が出来ました。あとはよーろしくぅ★」
これでばっちりだ。携帯の電源を落とし、私はドアを開けた。外はこの時期にしては晴れていたが寒かった。
辺りに特に車や人がいないのを確認した後に連絡された場所へ足を向けるべく、少し坂を降りた場所の横断歩道をわたる。煉瓦のあしらわれた壁に、えらく近代的な信号機がついている不思議な空間だった。
ピンポン、と音がなったのに従い、前へ進む。
時間を待つ、という行為は案外忍耐が必要で私は好きじゃない。渡る、というより、渡らされる。管理されている自分を感じる。秩序とはそういうものだとしても車が居ないこの瞬間律儀にそれをこなすのはただの習性だろう。
もちろん忘れず腕に抱えたままのくまさんは、昔の事件の話をしていた。
「ええ、そうね……」
私は相づちを打つ。
目の前のトラフィックサインが思い出させる事件。
密輸事件。
模様。
キルト(quilt)という布は、ときに奴隷を逃がす合図に使われた符号を含んでいた。
十字路を曲がる。
クロスロード。
『オハイオ州のクリーブランドで待ち合わせましょう』を意味した。カナダに逃げるとき、そこの湖が拠点にされたという。生活に混じる模様や柄が、実は『何か』ということに私たちはあまり気付かない。
大きな事じゃなくとも、たとえば立て掛けるだけで救われる未来もあった。
ただ描くだけ、創るだけで、ガラリと変わる世界もある。それはとても凄いことで、過去の誰かがしてきたことだった。
裕福な自己顕示欲だけが芸術ではないことを私もかつて知ったのだ。
だから私は今日も『彼』を抱えていた。そして、こうして今も動いていた。あの子は、元気だろうか?
2019/05/19 12:26
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2
『私が言うだけでは説得力に欠ける、ところが辞書を引いて読んで聞かせると社員の納得感がぐんと高まる。しかもお互いに共通した認識を持てる』
は、ホンダカーズ中央神奈川の相澤賢二会長の言葉らしいけれど、辞書をコピペに変えると、多様な意味合いを持ちすぎてしまう。
やはり、辞書は辞書だ。
意味は意味。
定義だから、力を持つのだろう。
そんなことを考えながら、細い道を何度か右折、左折していた。
何度目かに曲がった壁に、風船が描いてあった。
「最近、増えてないか?」
まあいいや、あとであの子に報告しよう。
呼ばれた場所は、ある国立病院……の隣にある隔離病棟の跡地だった。
その場所は最近ではある程度改装されて小綺麗なホスピスみたいになって来たらしい。とはいえあまり人が訪れる場所ではない。
くまさんが私を見つめて話した。
「そうね、きっとそうね」
2019/05/19 13:02
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病院に付いた途端、目的地はあとわずかというのを変に意識したからか歩いているうちに、少し喉が乾いてきた
。
病院には大抵自販機があることを私は知っていたので、足早に中へ向かうとここも例外でなく、設置されたそれのひとつからお茶を購入。
それを持ったまま指定された番号の病室へ向かう。
廊下にはあちこち矢印が張り巡らされて、迷いかけたがどうにかなった。
個室のひとつのドアをノックする。
今さらのように来る前に電話してと言われたので携帯を出して見たが、電池はいつのまにか切れていたのか、起動できそうになかった。
「もしもし、入るよ」
と、開けたとき、その子は、普通に鞄の荷物をまとめていた。どうやらこの部屋から出るみたいだ。節電のためか、部屋のなかは薄く暗い。
なにか気配を察してから、その子がちらりとこっちを向いた。
「うわー! わわ! アポってよ!?」
そして目を丸くさせた。
「ごめん、電池切れてて」
しょうがないな、とその子は、
鞄から出した充電器を渡してきた。
「熱くなりやすいから極力燃える!使っちゃだめって白の充電器使ってみて!言われた! ちょっとなら平気やねん」
「……ありがとう」
「早いねっ。やっぱり走ったに? びっくりだよねですよ、私はです」
「ここ、充電してもいいのかな? まあいいや、つけちゃおっと」
白いふわふわした髪と綺麗な瞳の子。言語を制御するとこがなんかどうにかなってるらしくて、会話は大体こんな感じだ。
2019/05/22 14:09
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椅子に腰掛けたままここに来るまでの間の話をする。
「それはそれは、きっと、見てみたい! 答えだね、それが」
「理由が答えられないことってたくさんあると思う、それを解き明かすエゴは美談じゃないと思うの。でも」
「キャフフフ! そうも、いってられない理由がですね、あるんだかも?」
その子は、愉快そうに笑った。それだけなのになんだか酷く現実から解離したような、ふわふわと幻想を漂うような気分にさせられる。
「ええ、そうなのよ。あと、壁にお絵描きしてる人、探してるんだけど、知らない? あなたのライバルとかじゃない」
「ライバル? ライバル、ね……張り合いなんか、それ、相手に寄生して、です、相手じゃん、だから、私じゃない、既に!
それが不快だから作らないよ。のんびりね、キャフフフ!」
その子は、ここに来る前は――元気な頃は筆を折った、芸術家だった、何か、らしい。詳しくは知らないけどもしかしたらと思ったが、ニヤニヤ笑うだけだった。
「下を見ると、きりがない、きりがない、惨め、キャフフフ!」
2019/05/29 00:38
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■
その部屋は荒れていた。
どうにか元の家具の配置は想定出来るが、服や小物が散乱していた。勝手ながら二階の一室のドアを開けたとき、ウシさんと彼女が何やら向かい合って話をしていたようだったが、彼女の方は、魂が抜けたようにぼんやりとしている。
「人を好きになるなんて誰にでも出来る、簡単なことなのに……コストパフォーマンスで選んで恋愛から逃げてるだけよね?
でも実際こういうものはね、不利益も付き物なの、綺麗事じゃないのよ。
どうしてあなたはいつも逃げるの? そうやって逃げて失礼だと思わない? こんな簡単なことから」
彼女は聞いているのか居ないのか、ただ、ぼーっと頷くのみだった。
「もう、やめてください」
部外者の癖にだが、思わず部屋に飛び出していた。
「それは間違っています。
誰でも出来ることじゃありませんよ、人なんか好きになる方が難しいんです。ぼくだって、そうですから」
「いきなり入ってきて、なんですか」
ウシさんは驚いてはいたが、騒いだからと少し予想できていたのか、案外に冷静だった。
「たまたまあなたに簡単だっただけのことで、追い詰めても何も特はしません。
それに誰でも出来るなんて言葉を使うのは、恵まれた富裕層だけです」
「ハハハ。あなただって、居るじゃありませんか」
ウシさんは、急に高い声で笑った。ぼくの後ろ、を見て。
「…………」
ぼくが、なんとも言えない表情のまま、彼を見ると、彼は項垂れたまま「またかぁ……!二回目かぁ」と嘆いていた。
2019/05/29 20:23
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「あなたたち、いい加減にしないと。いつでもLEDライトにつけたカメラが見ていますからね!」
ウシさんが声を張り上げる。
頭上には丸く光を放つ電灯があった。
「僕らは何もしていない」
彼が肩を竦める。
「まあ、騒ぎは勘弁かな。
ウシさんが知っての通り、僕はあまり僕のことが公になりたくない理由があるんで」
最近の監視カメラは良くできていて一見それとはわからないものが多く出ていた。
世間では防犯グッズとしてつい最近も、電気型カメラが発売されていたばかりだったが、その写真ではカメラ部分が大きくてそれとわかりそうな作りだった。しかしこの家のカメラはよくできていたのか、じっとみてもなかなかそれとは思わなかった。
「しかしよくできていますね」
彼は関心しながら言う。
心から感心しているみたいだった。
「確かにこの部屋、一見それとわからないですがあちこち見通しが良さそうです」
なにかを思い出したのか、クスクスと笑っている。
「な、どこの部分?」
ぼくがさりげなく訪ねると、彼はそれを言うと面白くないなどと答えただけだった。
彼の携帯が着信を知らせる。
失礼、と携帯を開いた彼は、すぐに苦笑いした。
「ハハハ、よろしく、ってさ。ま、そんな約束だから仕方ないか」
2019/05/30 23:11
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すぐに、携帯を持ったまま彼は彼女を手招きした。
彼女は黙ってやってきて頷いている。
「少し、見てもらいたい」
ぼくが近くに行こうとすると、彼は後でわかると言って拒否した。
そういえば相談に来た当初、あまりぼくは詳しい部分、二人が何を話したか全て知るわけではないことを今更のように感じる。どことない疎外感のなかで二人が画面をのぞき込む。
「そうです、はい」
彼女はなにかを納得したように頷く。
「それは良かった、ひと安心だよ。今日はありがとう。ではまた後で……一時間後に、今度は二人きりで会えるかな、連絡先を聞いていいかい?」
ぼくがぽかんとしている間に彼は優雅な動作で彼女の手をそっと握った。
彼女は慌てて近くの紙に鉛筆で、番号を記した。
「はい、此処に」
それからすぐに放すと、ぼくの背を押す。
「帰ろう」
「え? あの、いいの?」
「うん。ご馳走にもなったし、これ以上の長居は無理そうだからね」
にっこり。ヒロインさながらの笑顔だ。
2019/05/31 21:08
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帰るときには昼らしく太陽が天に登り始めていた。
廊下にいる女神に少し惜しいような、また再会したいような気持ちになりながらもなるべくそちらを見ないように務める。
挨拶をしてドアのを開くと、ふんわりと涼しい風が身体に吹き付けた。
「なぁ、急にデートの約束なんかしてどうしたんだ、軟派な性格と思ってなかったけど。まあ楽しんで来てくれよ」
帽子の位置を確認しながら、ぼくが言うと彼は真顔のまま、きみも来るんだよと言う。
「あれは、ウシさんの前では言葉に出さない形で示し合わせただけなんだ。これから、どうにか夜までに帰るべく、行程を短縮するからね」
「短縮? 短縮って」
「そうだ今から、ラーメンを食べに行こうか」
「おい」
行き先のラーメン屋として示されたのは近所にある……『あの写真の』、つまりマエノスベテと女性が撮られた店だ。
「ちらりとしか見えなかったが、ラーメン屋の横、替え玉無料キャンペーンの幟(のぼり)があったんだ。先週までだったらしいよ」
「なんだって、今行っても、替え玉は無料じゃないじゃないか!」
ぐにー、と頬を引っ張られる。
「そうじゃない、日付の特定だよ。この写真は恐らくウシさんが撮ったものではないからね。だとしても理由としてあんな罵倒を浴びせられる立場は得ているというわけだ。写真を撮っていないとなると背後が浮かび上がりやすくなるからな」
2019/05/31 21:30
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そんなわけでしばらく歩いて店に向かう。
ラーメン屋の入り口には、食券の販売機があるコーナーがあり、ここからチケットを購入してレジに向かうようだった。
あまりこのような場所に来ないので、なんだか物珍しい気がする。
「お金あるの?」
ぼくははっと我に返り、聞いてみる。
「どうせ昼食は外になると見越してたから、持ってきた。君のも払うよ。あとで返してくれ」
用意周到だった。
タッチパネルを押すと、いらっしゃいませ、と丼のイラストが浮かび上がる。それを押すと金額とメニューの表が、ずらっと並んで居た。壁にも同様にメニューが書いてあった。
「これじゃただ食べに来たみたいだな」
「食レポはしないよ」
レジで注文をして、箸などをとって向かい合って席につくと、来ていた周りの客がちらりとこっちを見た気がした。
穏やかに注文を承るレジ側と、雰囲気が、違う。
「事件の……」
「ほら、あの子って」
ざわざわと、席から声がする。いろんな声。
「目を合わせるな」
「あの店行った?」
「俺がこの先輩だったら、殴り付けてますよー、わざわざ、雨の中助けたのに、この後輩なんすか生意気」
「やっぱり、凍らせ過ぎたらほぼ水みたいな味になるじゃない?そしたら甘さが」
「あら、あの子」
「こっち向いてー!」
耳を塞いでしまいたいのに耐えていると、しばらくして注文が届いた。メシテロ小説じゃないのでそのあたりは割愛するが、それなりにおいしかった。
彼は食べ終えた後、店員が片付けにくるタイミングで替え玉無料の日に来た客について聞いていた。
いつ撮ったのか、なにかから入手したのか、『マエノス』の写真を彼が携帯の画面に映して指す。
このときの店員は頭に黒い頭巾をつけた青年だった。
「あぁ、たぶんそのくらいの日も居ました。俺も居たんですが、女性とその男性でしたら印象に残ってます、わりとたまに、此処に来ますよ。独占欲というか彼女大事にされるみたいで、テーブルにご注文を置くときに……いや、もう戻りますね」
彼は最後に、その日付を聞くのを忘れなかった。
恐らく、と先週の金曜日を示してくれた。
2019/05/31 22:07
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店から出ながら、彼はぼくに謝ったが、ぼくはぼくで彼とでも居なければこういったところに寄らなかったと思うことや、新たな経験になったということを告げた。
「殺人犯と同じ席と言われているよりは、マシな気分だよ」
彼は、じっとぼくを見て、少し悲しそうな目になった。
「あれは、きみが、殺したわけじゃないだろう」
「櫻さんは、ぼくが殺したと言った。ぼくは、殺したんだよ」
帽子がちゃんとかぶれているか確認しながら、息を吐き出す。 近所に住む櫻さんという作家をしている女性の父親を――ぼくは殺している。
もっとも、それは短くまとめた結果であるのだけれど。
今ぼくの隣に居る彼の巻き込まれた誘拐事件と、何か繋がりを持っているある組織と関わっていたのが、その父親だった。この街は、その櫻さんたちが多くの土地を持っていたから、それからはあちこちから恨まれている。ずっと。
「逃げ出した、だけじゃないか、それに」
「君がわかってくれるならいいさ。でも、今の、この現状は、みんなぼくを避けているじゃない?そういうことなんだよ」
正義とか悪とかじゃない、何か。事実は事実。どうにもならないだろう。
「謎が、解けなきゃ、もっと多くの人間が殺されていた。僕も、死んでいたかもしれない、僕は、正直櫻さんがきみをどう言おうと別に構わない」
「なんでそんなに、必死に言うんだ?」
彼がやけに困った顔になるのでぼくは逆に、穏やかに笑った。
「どんな理由でも、誰かは死ぬよ」
櫻さんの声を、微かに思い出す。なにを、言ったかまでは、よくわからなかった。
ぼくは、ただネタにされているどころか、櫻さんには執拗にネタにされているのだが、これもこの憎悪が背景にあるみたいだ。少し前に見かけた彼女は、父親殺しの主人公の話を描いていた。
「櫻さんの恨みは相当なものなんだ。だからこそぼくを常に描かなければ、昇華出来ないという凄まじい暗示にかかっている。もはや自分の意思では止めることが出来ない。
出版社側も、それを黙認しているしかない状態なんだと思うよ」
2019/06/02 23:43
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「ぼくを殺すか何かすれば、いいのにな」
死にたいわけでもないが、誰もが櫻さんの病気を止めるわけでもないなら、もう為す術がない。意思ではどうにもならないなら、周りがどうにかするしかない。
もしかするとネタにされる為に、奴隷みたいに生きろってことだろうか。
いや、既に死んでいて此処が、ぼくの地獄なのか。
毎日、毎日、本が増えていく。櫻さんの本は、花びらのようにぼくへの恨みがネタになって増えていくのだろうから、きっと今、『これ』をぼくが記していることすら、許せなくて、また書いていくのかもしれない。
比例してぼくの自我は、毎日、毎日、壊れていく。
櫻さんの恨みが、数年後にはひとつ人間を形成できなくなっているまでぼくを例えば削りとったとき――そこに、何が残っているんだろうか。
こんなワケがあるなんて、誰も思わないだろうななんて言いながら、彼を見上げてぼくはできるだけ明るく言った。
「さてと、金曜日にウシさんがどこに居たのかな、誰かが見てるといいけど」
2019/06/03 00:15
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さてウシさんの元に行こうかと足を進めようとしたら、肩をつかまれた。
「話、聞いてなかったかな? 今から行くのは映画館。デートだからね」
せっかく金曜日がわかったのにという気持ちもあるが、そういえばそんな約束をしていた。
「そうだったね」
そんな話をするなかでも、ひよひよと頭上で可愛らしい鳥が鳴いていて、心地よいBGMだった。アスファルトの上を踏みしめている間、彼はコンクリートとアスファルトについて熱く語っていた。
しばらく語った後に間があいたのでぼくは思いきって口を開く。
「そういえば何を示し合わせたんだ?」
「これからわかることだよ、そうだな、まず僕が彼女と二人になる。君は隠れていて何かあったときのために通報の用意をしてくれ」
そのためにぼくを呼んだのか。少し疎外感はあるが致し方ない。
「いや、その前に……」
ちらりと、彼は腕につけていた時計を見た。
「うん。約束まであと30分はあるか」
「え?」
彼は、映画館がやや遠回りになる細い路地へ向けてぼくの腕を引いた。
「行こう」
2019/06/03 11:12
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二人して人が一人やっと通れるような細い路地を縦になって走った。
わざわざなぜ走るんだとも思えたが寄り道のぶん距離が増えたと考えると短縮のためなのかもしれない。
少し行った先で、何かの店先の窓ガラスが行き止まりの役目をし、左右にT字路に曲がるようになっていた。
「はぁ、やはり久々に走ると、疲れるな」
店を背に壁にもたれた彼が荒い息とともに呟く。ぼくはまだ軽く動いたくらいにしか感じず平気だった。
なぜ曲がったのかを聞く間もなく、彼はまっすぐ左へと曲がって進んで行く。
「映画館なら遠回りだけど」
ぼくが言うと彼は笑った。
「あぁ遠回りしているんだ」
後ろの方で、サイレンのようなものが聞こえた。
振り向いて遠巻きに見る限りどうやらもと来た道のほうで、赤いスポーツカーと青いオープンカーが何かあったようだ。
「運がよかったな。もう少し遅れていたら、あの渋滞に巻き込まれていた」
「運、というよりも、これは、デジャヴな気がするんだが」
彼はアハハハ、とよりいっそう高らかに笑った。
「鋭いな。そう、マエノスベテのご友人とやらが、こうしてぞろぞろと来てしまうみたいだね」
ノリノリな感じで腕を絡めて来る。少し不気味だったので、退けようとすると「彼女のフリ」と言った。
なんて雑な変装だ。
「……しかし、ぼくらが隠れなくてもいいんじゃないか?」
「いや、あれは、目を付けられてる。たぶん僕らが出てくるのを待ち伏せしてたんだ。
これからの用事を思うと、なるべく会わないようにしたほうが無難だろう」
2019/06/06 00:59
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「映画館へ遠回りするためにこの道に来たのか?」
「それもある、かな。きみ、携帯の電源は」
「通報できるように、つけているけど」
ぼくの携帯は暴力に合っているので、無理矢理遮断されたりGPSによって雇われたバイトの人に追い回されたりすることがある。
今の時代、家の住所がわかれば、ネットで検索して家や近所の店を把握しやすいらしい。
やろうと思えばSNSなどの情報を拾ってグルグールからストーカー出来るよ、と彼は冗談混じりに笑う。探偵はしやすいかな、とか。
つるつるした石畳の上に、先日降った雨で水溜まりが出来ていた。蒼い空を映して揺れている。不安定な気分になっていると彼が付け足すように口にした。
「僕もそうだった。家まで押し掛けてきた犯人もそうやっていたんだろう。
展示した作品の応募のときの名前や住所からおおまかな情報を掴むくらい、わりと簡単なことだ。道徳的にはなっちゃいないけれどね」
――彼は何か作るのが好きだった。
けれどいつしか、作風を見失った作家たちという亡霊に取り憑かれてしまうようになった。
彼らは手段を選ばず、付きまとい嫌がらせ、強盗に誘拐となんでもやった。
彼らのいくらかの背後には、政治家や宗教団体があった。
ぼくが殺した人の背中。
彼が帰ってきたあの殺人の後宗教団体は一気に減った。
櫻さんの恨みは、減ることが無いだろうけど。
「そういえば櫻さん、最近じゃ、きみに恋をしたという嘘をついて付きまとう理由にまでしているらしいと近所の子が言ってたぞ」
「えぇ……恋は、無いだろ、気持ち悪いな」
まあ、そりゃ確かに黙って付けていたら変だからな。
「警察も怠慢だよな。ぼくは殺人犯なのに」
櫻さんがまさか本当に『親を殺した殺人犯と付き合いたい』というイカレた思考になってしまったんなら、しかるべきところで診察を受け、ぼくとしては止めるように説得して欲しいところだ。
櫻さんの背後にある宗教団体連中政治家連中から嫌われているってこと、それは万が一があろうと彼女以外は祝福する気ゼロだってこと、早く気がついて欲しい。
殺される。間違いがない。
そんなことを考えなんとなくうつむきがちで歩いていると、少し先の方に、破れた新聞が地面に落ちていた。
『けも耳の研究、すすむ』とかの見出しが踊っている横に、政治家のニュースがある。
『水山氏、泥酔で暴行』とか、水山氏がまた事件!とかが書いてあった。夜中に男性につかみかかったとかなんとか。
政治家から熱烈な祝福を受けている。だからわかる、この名前の見出しはわざわざぼくの近況を再現し(ぼくの名前を直接出すわけにはいかないため)
こんな行動は、櫻さんにふさわしくないことについて語るべく作ったものだ。
ぼくは、確かに似たような状況になった(正確には少し前の日の夜に、後ろをつけてきた怪しい男を捕まえた)ことがある。
「ほら、櫻さん以外喜んでない」
バカにしたい気分だった。
親殺しと付き合いたいような人なんか、絶対おかしい。
ぼくだったら最低な人だと思うはずだ。
苦しい嘘も大概にした方がいい。
「その偽りの好意がある限り、こんな風にみんなに迷惑をかけてる。一回、注意した方がいいかもな」
2019/06/06 08:43
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