1年ですね。
自分の住む地域は被害もほとんどなく無事でした。被災地が一日でも早く復興出来ることを祈りたいです。
そしてあの時、前の携帯に保存をしていた日記を追記にそのまま載せます。
14時46分そこから始まった。
自分はあるお菓子を焼いている最中に揺れたのだ。
凄い揺れとは分かっていたものの、焦がしてはならないと思い揺れる中ひっくり返し、一回目の作
業を終えた。
その間に電気は消えていて、一緒に仕事をしていた上司は棚の上のラジオを取ろうとしたが、なかなか取れない。
ようやく取れてラジオを聞いた瞬間、最悪な事態に直面した事がわかった。
自分の住んでる地域は震度5強、小学生の時に日本海中部地震を経験しているものの、鮮明には覚えてはいない。
約6分以上の揺れ、外を見たら車も止まっていて、どうする事もできない。
とりあえず、ラジオを聞き続け作業台の上の物を片付けて落ち着こうにも落ち着いてもいられない。
まず仕事を強制的に終え駐車場に車を取りに行く途中、信号は消えてボランティアの人が手で合図をして、小中学生は帰宅していた。
店に戻って、実家に電話をしたがつながらない。
ラジオを聞きながら時間が過ぎた。
外の様子を眺めながら、少しずつ日が落ちて行き暗くなった店内はろうそくで中を照らす。
何故なら、一人のお客様の注文の品物があり連絡が取れない。
19時頃そのお客様が3時間かかって店に到着。そして、店を閉めて全員帰宅。
信号は一部点かない所もあり、30分かかり到着。
そして、コンビニへ直行。しかし入ろうした瞬間、店長が閉店ですって言われて撤収。
他2つコンビニに行ったが既に閉店済み。
暗闇を包む街をその足で公衆電話に向かい、実家に電話をする。
母が出て、家族とニャンズの無事を確認。
誰も来なかったので10分以上話しをした。
アパートに戻り、携帯のライトを点けて倒れた物を確認。結果的に何も被害がなかったので良かった。
1時間くらいして手探りでバッグに色々と物を入れ毛布を持って車の中に移動。
雪が降って寒くなったが、毛布が暖かい。
余震の度にラジオを聞き、仮眠を取りつつ過ごしました。
話題:東日本大震災
こちらも停電以外は大きな被害はありませんでしたが、信号やお店の灯が消えた中を何とか家に帰り着き、我が家とにゃんずの無事を確認してほっとしました。
相方は川向こうの仕事先から歩いて帰宅。懐中電灯の光の下で大混雑のコンビニで買ったパンとカップ麺の夕飯。
携帯のワンセグで、やっと事態の重大さを認識しました。
生き残った命、大切にしないといけませんな。