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闘病記と備忘録と語学。
先週も例のごとく面談がありました。
面談は毎週一回有るのですが、今週は病院で休むし無くてすむかな。
結局件のもう一人の心理士さんには相談しませんでした。相談しても話を共有されておしまいなのです。
さて、先週の話に戻るのですが、心理士さん曰く、「元気がなくなって見える。何でも話して欲しい。話してくれなきゃ。」だそうな。
今年に入ってから初めての診察がありました。
先日職場への復帰も決まりその報告も兼ね、先生が進めていたカウンセリングの話を進める予定でした。
結果は復職が決まったからか、カウンセリングの話は無くなってしまいました。
もともと職場の臨床心理士の方々も親もカウンセリングには反対していたので、当然の結果にはなってしまったのかなと落胆しています。
自分自身、悩んだ末カウンセリングを受けようと決意した矢先でした。
結局自分のいいたいことは言えず、と言うか、ずっと言っているのですが、先生には私自信の気持ちというか心理が分かっていただけず(だからカウンセリングの話を進めていたのですが)、親、職場の心理士、先生の2枚どころか3枚の板挟みになってしまいました。
誰かに泣きつきたくとももともと口べたの私には説明できず、泣きつくことのできる友人もおらず、やっぱり別の病院に行った方がいいのかなとも悩んでいます。しかしそれではせっかく決まった復職がまた一からやり直しになってしまうかもしれないし。
一縷の望みを託して、もう一人の心理士さんに相談してみようかな。
梅雨を間近に控えた2013年6月2日。
私は自/殺未遂をしました。
死のうという強い意志、繰り返す幻聴に目の覚めない妄想、夜になればパニック症状。
自分なりに必死に「助けて」と周囲にいっていたつもりでしたが、誰も気がついてはくれませんでした。
「職場はあなたを助ける場所じゃない」
そう言われたのを覚えています。
もちろん分かっていました。しかし、当時の私には、もちろん今もそうですが、相談できる相手がおらず、職場の人間が唯一のはけ口だったのです。
そしてその夜、私は普段から全く飲めない酒と共に大量の睡眠薬と精神薬を飲み干しました。
結果的には翌日職場の人間に発見され、意識混濁状態ということで病院のICUに緊急搬送されました。
「馬鹿なことしたな」という気持ちと同時に「ああ死ねなかったんだな」と心の中で思いました。
その気持ちは今でも私の中に蔓延っています。
このブログは、そんな自分のこれからの闘病記と備忘録、そして、今同じ悩みを抱えている方に何か伝えることができればと思い、開設しました。
遅くなりましたが緋子と申します。よろしくお願いします。