2022/11/12 Sat 00:05
火災で急逝!★元プロ野球選手の村田兆治さんが最後まで「監督」の道を選ばなかった理由…の巻





話題:プロ野球







元プロ野球選手の村田兆治さんが、11月11日の早朝に亡くなった(享年72)。

同日の午前3時頃、東京・世田谷区にある村田さんの自宅で火災が発生。

村田さんは意識不明の状態で病院に搬送され、午前6時ごろに死亡が確認されたという。

村田さんは68年に東京オリオンズ(現・千葉ロッテ)にドラフト1位で入団。

投手として、金田正一氏のアドバイスをもとに編み出した「マサカリ投法」から繰り出す速球とフォークを武器に、通算215勝を挙げた。

90年に引退後は、95年から3年間、福岡ダイエーホークスの1軍投手コーチを務め、05年にはプロ野球OBとともに、長崎県対馬市に「対馬まさかりドリームス」を設立した。

全国離島交流中学生野球大会(離島甲子園)を開催するなど、野球を通じた社会貢献活動も行っていたのである。

スポーツ紙デスクが振り返る。

「今年9月23日には、羽田空港で女性検査員の肩を押したとされる暴行容疑で現行犯逮捕。釈放された際には『(女性検査員に)誠心誠意謝りたい』と頭を下げ、ファンや子供たちに対しても詫びていました。10月には沢村賞選考委員会もありましたが、本人の申し出により委員を辞退しており、かなり滅入っていたことは間違いないでしょうね」

前述の通り、村田さんはプロ野球でコーチを務めているものの、大投手でありながら、監督経験は一度もない。

「現役引退後、離島に招かれて子供たちとの交流を深めるにつれ、なんとか自分の経験を生かせないかと考え、方々の離島を、野球道具を配りながら巡っていたそうです。そうした活動が実り、08年からは離島甲子園がスタート。この離島甲子園に出場していた佐渡出身の菊地大稀投手は昨年、育成ドラフトで巨人入りを果たしています。プロ野球界だけではなく、野球界全体を考えた視点から、プロの監督の道はほぼ眼中になかったのかもしれません」(前出・スポーツ紙デスク談)

今後も「一流」の道を歩んできた村田さんにしかできない活動が期待されていただけに、残念でならない。

(アサ芸プラス発)








村田兆治さんの死去にネットでも衝撃広がる!★大投手の最期に悲しみの声★「勇姿が忘れられない」「どうか安らかに」など悲しみの声が…の巻







元プロ野球選手の村田兆治さんの訃報にネットで衝撃が走り、ツイッターでは「村田兆治さん」「世田谷区」「マサカリ投法」「住宅火災」といったワードがトレンドにあがった。多くの人が村田さんを悼んだ。

産経ニュースによると、11日午前3時すぎ、東京都世田谷区成城の村田さんの住宅から出火。

村田さんは病院に運ばれたが、死亡が確認された。

72歳だった。

村田さんは広島県出身で、プロ野球ロッテのエースとして活躍。

豪快な投球フォーム「マサカリ投法」から投げ込む剛速球と、落差の大きいフォークボールを武器に、通算215勝を挙げた。

ロッテで現役時代をともにした愛甲猛さんは「本当にショックです。ついこの間江本(孟紀)さんとYouTubeで村田兆治さんの話をしたばっかりなのに。素晴らしい野球人でした。御冥福を御祈り致します」とツイッターに記し、偉大な先輩の死を悼んだ。

村田さんの訃報に、ツイッターでは「村田兆治さん どうか安らかに」「マサカリ投法でバタバタと打者を斬るカッコいい投手でした。合掌」「現役時代は見てないけど、紛れもなくプロ野球史に残る名選手。ご冥福をお祈りします」などと多くのファンが思いをつづった。

「亡くなり方」というワードもトレンドになり、「亡くなり方が悲しい」「火事で亡くなられるとは、何とも…」「あれだけ多くの人々の記憶と記録に残る輝かしい人だったのにこんな最後を迎えたことが悲しい」などと衝撃が広がった。

「サンデー兆治と言われた当時の勇姿が忘れられない」「マサカリ投法、サンデー兆治…。野球史に名を残す大投手だった」「野球少年だった頃マサカリ投法マネしたっけな…」「豪快なマサカリ投法が好きでした」などと活躍を思い返す書き込みも。

昭和のプロ野球を彩った大投手の最期は、多くのファンが悲しみに暮れるショッキングなニュースとなった。

(iza(イザ!)発)











さらば、サンデー兆治!(; _ ;)/~~

さらば、ロッテの大エース!(; _ ;)/~~

合掌。



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