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ハザマ、曖昧な笑い

 私がおかしいのか、ハザマが変なのか、それを確かめるのは極めて難しい。
 何故なら、私の言葉を解せるのはハザマだけで、ハザマと会話ができるのも私だけだからだ。
 私が他の人間とも話せるのであれば、私が猫としておかしい。
 ハザマが他の猫と話せるならば、ハザマは人として変だということになる。
 しかし、われわれにはお互いしか話し相手がいない。
 どちらが変であるか、確かめようがないのである。

「ははは。べつに、どっちでもいいじゃないか」
 ハザマはこの話をするたびに笑う。
 断じて良くはない。これは由々しき事態なのだ。
 大体、ハザマが能天気すぎるのだ。私はごく普通の猫として生まれ、変哲のない猫としての生涯を閉じる予定にある。それがどうして、こんな事態になったのか。
「どうして。楽しいんだからいいじゃない。それに、確かめようがないってことは、よく知ってるでしょう?」
 それは重々承知だ。しかし、せめてあともう一人、もしくは1匹、同類がいれば分かるというのに。
「それともワガハイは、僕と話しなんてしたくなかった?」
 ハザマはたまに、こういう意地の悪い問い掛け方をする。「そのとおりだ」と答えたらば、なんだか私がものすごい悪人のようではないか。
 ハザマは笑いながら、いつもより少し強く私の額を撫でた。
「ははは、ワガハイはお人好しだよねえ。ありがとう。でもその答え方も、結構ひねくれてると思うよ」
 ハザマにだけは言われたくない。

虹の袂でまた会おう[2]


 その後すぐに氷野は「すまない」とだけ言い捨てて、さっさと会議に行った。残された俺は、そう言えば今日の氷野は、いつものピシッとしたオールバックはへにゃへにゃで、ブランドスーツにもシワが寄ってたよな、なんてどうでもいいことを考えた。それで、少し彼のことが好きになった。ほんの少しだけど。
 あ、でも帰り際に会ったとき「ところでなんで『もぐた』って名前なんすか」って訊いたら「おまえに話す必要などない」なんて切り捨てられた。ひどくないか。これで好感度はプラマイゼロだよ。


 とまあ、そんなことがあって、今日は早めに帰ってきたんだが…おい、おまえ完全に寝てねえ?
 しっぽだけで返事するなよ、そんな疲れてんのかよ。
 ああ、おまえももう歳だよなあ。俺だっておっさんになっちまったし。時が経つのって、案外早いもんだよな。
 …なあ、俺、思うんだよ。
 永いこと俺とおまえは一緒にいるけど、おまえは俺を待っててくれんのかなあ?
 おまえ、きっと俺より先に逝くんだろう。それから俺、まだしばらく生きちまうんだろう。
 おまえは忘れっぽいほうだから、一年もしたら俺のことなんか、きれいさっぱり忘れてんのかもな。
 薄情なやつ!でも、それがおまえなんだよな。

 なんだか、俺も眠くなってきたよ。おまえがそんな眠たそうな目で見てくるからだ、絶対。気持ちよさそうにあくびまでしやがって。
 何だかんだ言いつつ、俺の枕には今日もおまえが乗っかって、仕方なしにそのまま眠るんだろうけど、部長は、今夜どうすんだろうな。
 明日の朝、もぐたの亡骸は灰になっちまう。煙になって消えちまう。それでも部長は、もぐたのいないもぐたの居場所に、おはようって言いに行くんだろうか。
 普段、カミサマだとか信じちゃいないけど、今夜は俺、祈ることにするよ。だからおまえも一緒に、ちょっとは祈ってくれ。天国のもぐたに、部長を待っててやってくれって。そんで部長が、天国にいけるようにって。

 眠たいのに付き合わせて悪かったな。わかったから、そんなに顔押し付けるなよ。
 それじゃあ、俺の話は終わりだ。おやすみ、また明日な。


 あとは俺のひとりごとだから、おまえは聞かなくて良いぜ。
 頼むから、カミサマ、俺もあいつと会えますように。

 おやすみ。



虹の袂でまた会おう[1]





 なあ、そこのぶっさいくなおでぶさんよう。
 ぐうぐう寝てばっかりだな、最近のおまえは。いや、いつもこんなに寝てるのか?
 まあ、でも、今日くらいは俺の話を聞いてくれよ。そうやって転がったまんまで、いいからさ。


 今朝の話だよ。
 会社着いてすぐだった。遅刻ギリギリで慌ててデスクに向かうと、そこに上司が立ってたもんだから、俺はてっきりお叱りを受けると思った。
 が、どうにも様子が違う。訊けば、その上司の飼い犬…『もぐた』って名前らしいんだけどさ、そいつ、死んじまったんだって。だから明日は休みをもらいたい、許してくれって。言われたんだよ。
 氷野って言うんだが、その名の通りの冷血漢って有名な上司がだぜ。ぺーぺーの俺に、なんでか許しなんか求めてきたんだ。
「今朝、飼い犬のもぐたが死んだ。明朝火葬場に連れて行きたいので、出社が遅れることを許して欲しい」
 俺は呆気にとられて、はあ、としか言えなかったよ。いちいちこの状況が理解しがたいものだったから。
 氷野の口調はあくまで業務連絡みたいな、平坦な声だった。
「そう、すか。分かりました。その…ご…愁傷様、です」
 なんとかそれだけ言うと、上司は訊いてもいないのに、今朝の様子を話し始めた。ひとつ、横を向いて咳払いをする。
「…今朝、目が覚めて、いつも通りもぐたに挨拶をしに行ったんだが、そのとき既に彼は血を吐いて死んでいた。呆気ないものだな。老衰だったようだが、15年も共に過ごしたのに、死期すら悟ってやれなかった。…初山、おまえも、猫がいると言ったな」
 そう問い掛けられてようやく、何故氷野が俺に話を振ってきたのかを、ぼんやりと理解した。
「い…ます。年寄りの、デブ猫が、います」
「そうか。大事にしろ」
 もうすっかり業務命令の口ぶりだったが、俺は素直に同意した。
「氷野部長、あの、虹の橋って、知ってますか」
 踵を返す氷野へ、俺は思わずそう口にしてしまっていた。振り向いた氷野が俺を睨むように見た。すげえ後悔した、が、もう言葉は口に戻せない。
「知らん。なんのことだ」
「作者不詳の、古い詩…です。生前誰かに愛されたペットは、死んだらそこに行くんです。天国へ繋がる虹の橋の、袂」
 自分が気色悪いくらいメルヘンな話をしてるのは解ったが、仕方がない。事実、そういう詩なのだから。
「そこにはメシもあるし、年中あったかいし、もぐたは若い頃みたいに元気になって、楽しく遊びながら過ごすんです。いつか橋を渡るとき…、氷野部長が死ぬそのときまで」
 一息ついて、俺は常識的にかなり失礼な発言をしたことに気付いた。氷野は眉間に皺を寄せたまま、俺を見ていた。感情の読めない、瞳だった。
「もぐたは、淋しいけどずっと待ってます。部長が死んだら、そこでまた会えるんです。ふたりで虹の橋を越えて、その先の天国で、また…一緒にいられる、って…話で、す」
 氷野に睨まれると、大抵の人間は理由もなく謝りたくなる。俺はすぐにでも土下座したいくらいだったが、10秒経っても氷野は沈黙のまま、俺の目をじっと見ていた。そして、呟いた。
「私のような人間でも、死ねばそこに行けるのだろうか」
 よく分かんないけど、その言葉を聞いた途端、俺はすげえ悲しくなって、必死になって頷いたんだ。
「行きます。行けるはずなんです。だって、もぐたが待ってるんですよ。部長が来るまで、部長と一緒に行くために、ずっと」
 さいごは声が上擦って、我ながら情けなかったが、氷野は笑わなかった。
 だから、俺も、目のふちを赤くした上司のこと、笑わなかったんだ。

伝わらない幸福[2]

 くたくただった。足がぜんぶ、ちぎれちゃいそう。
 それでもあたしは、おうちを見付けた。気付けば声は出なくなっていたけど、ここまでくれば、だいじょうぶ。
 階段を上る。リッコちゃんのお部屋を見つける。
 閉ざされたドアのすぐ横に、大きな窓がひとつある。ひらひらカーテンの隙間から、懐かしいお部屋が覗いて見える。
 リッコちゃん、リッコちゃん。ようやく見付けた。

 カーテンの奥に、リッコちゃんが座っている。うつむいたその顔を、手のひらで覆った姿で。
 ああ、やっぱり!リッコちゃんは泣いている。早くお部屋に入らなきゃ。
 ドアは閉じてあったから、あたしは窓を爪で引っかいた。カリカリ、小さな音がする。リッコちゃんなら気が付くはず。
 そのとき、知らない声がした。お部屋の中から、低い声。
『ありがとう、リツコさん、受け取ってくれて』
 やめてよ、聞こえなくなるじゃない。あたしは必死に引っかき続けた。カリカリ、声に負けないように。よくよく見るとリッコちゃんの前には、見知らぬ変なニンゲンがいた。オトコのひとだ。リッコちゃんを見つめてる。どうしてあたしがそこにいなくて、そいつがリッコちゃんの前にいるの。
 オトコは何か話しかけながら、リッコちゃんの頭を撫でていた。それは、あたしの役目なのに。
『一日でも早く一緒に暮らしたい。準備が出来たら、すぐにでもこっちにおいで』
 カリカリカリカリ。
 ねえ、リッコちゃん、リッコちゃんてば。
 カリカリカリカリ。
『…ありがとう、アユムさん』
 あたしはぴたりと動けなくなった。だって、リッコちゃん、泣いているのに。
 泣いているのに、笑っているのよ。
『…あれ、リツコさん、あの猫、こっちを見てるけど』
 先にオトコが、あたしに気付いた。
 リッコちゃんは、こっちを見ない。またうつむいた。どうしたの?そのオトコに、ひどいことでも言われたの?
『ね、こ?』
 リッコちゃんが小さな声でつぶやいた。首を振る。オトコがこっちに近付いて来て、さっとカーテンを閉じてしまう。あたしの視界はまっしろになった。
『知らない…知らない…猫なんて知らない。わたし…そう、猫アレルギー、だから…知らないわ』
『そうだったんだ?いや、この前話したとき、リツコさん何も言わなかったから不安だったんだ。僕だけだったら、気を遣わせてしまうと思って。安心したよ』
『ごめんなさい。平気よ』
『一緒に暮らしたら、犬でも飼おうか。ダックスとか、プードルとかが好き?』
 リッコちゃん、リッコちゃん。
 そいつと、何を、お話しているの?
 こんなにはっきり聞こえているのに、そのコトバの意味をあたしは知らない。
 ずるい。ふたりで、おしゃべりなんて。
 ああ、あたしにコトバがわかれば。
 リッコちゃんのコトバがわかれば、最高なのに。

『…うん、猫なんて、いらない』







 リッコちゃん、リッコちゃん。
 となりに行かせてよ、リッコちゃん。
 どれだけ呼んだら、コトバは伝わるのかな?




伝わらない幸福[1]

 リッコちゃん、リッコちゃん。
 あたしはリッコちゃんを探して走る。
 リッコちゃん、リッコちゃん。鳴きながら走る。いつもあたしがこうやって鳴くと、リッコちゃんは駆け寄ってくるの。あたしを見付けて、頭を撫でるの。
 今はちょっと、この声が聞こえない場所にいるだけなのだわ。声が届けば、リッコちゃんは飛んでくるもの。
 だって、リッコちゃんは、私のともだち。

 リッコちゃんと出会ったのは、公園のヒマワリがまだチビだった頃。リッコちゃんは真昼間から、ベンチでひとり泣いていた。近付いて顔を覗きこみ、その膝に落ちる雫を舐めたら、リッコちゃんはようやく笑った。それからリッコちゃんのおうちに招待されて、そこで一緒に暮らしてた。
 あたしがニンゲンだったなら、多分リッコちゃんのいちばんのともだちよ。リッコちゃんはあたしの背中を撫でながら、たくさんたくさんお話をしてくれた。悔しかったのは、わからないこと。リッコちゃんのコトバは、あたしにはわからない。
 それでも良かった。あたしは楽しかった。リッコちゃんがあたしに話しながら笑う。怒る、悲しむ、おどけて、笑う。それを見てるのが幸せだった。
 本当は、ふたりでおしゃべり、出来たら最高なのだけど。

 リッコちゃん、リッコちゃん。
 今、となりにリッコちゃんはいない。
 はぐれたのは、五日前。暗い暗い夜だった。
 夜が暗いのはあたりまえ、それくらいならあたしも知ってる。けれどあの日は本当に暗くて、お互いの顔すら、よく見えなかった。
 リッコちゃんのクルマに乗って、ふたりで遠くの公園に出掛けた。そこでお月見をしていたのだけど、あたしったら、ベンチでうとうとしちゃったの。
 ぱちっと目を覚ましたときには、隣にリッコちゃんはいなかった。乗ってきたクルマも見当たらなかった。
 リッコちゃんはきっと、あたしもクルマに乗ったと思って、先におうちに帰っちゃったんだわ。そうよ、とっても暗かったから。
 だからあたしは最初の日、知らない場所でじぃっと待ってた。すぐにリッコちゃんが大慌てで、迎えに来ると思っていたの。

 二日目、リッコちゃんはまだ来ない。あたしはふっと気が付いた。もしかしてリッコちゃん、おうちであたしを待ってるのかしら。入れ違いにならないように、おうちを出ないで待ってるのかしら。
 三日目、を待たずに、あたしは走り出した。もしそうならば、早く帰らなきゃ。リッコちゃんがまた泣いちゃうわ。理由は多分さまざまだけど、リッコちゃんたら本当によく泣く。それを、あたしが慰めないと。

 四日目、五日目、つまり今日、あたしはずうっと走り続けた。最初は見知らぬ場所だったけど、頑張れば何とかなるもので、よく知る景色に辿り着いた。ここまで来たら、なんとかなりそう!
 あたしは走った。公園を見付けた。リッコちゃんに出会ったあの公園。ヒマワリは首がなくなっていた。
 あたしは走った。リッコちゃんに抱かれて通った道を。身を切る風は冷たいけれど、もうすぐ、もうすぐリッコちゃんのおうち。
 リッコちゃんはきっと泣いてる。そう、おナベを焦がしたときも泣いたし、おフロで転んだときも泣いてた。台風の夜は音におびえて、あたしを抱いてしくしく泣いてた。
 あたしがいないと、リッコちゃんは泣きやまない。ずっとしくしくしてしまう。

 早く早く早く早く、リッコちゃんを慰めに行かなきゃ。
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